23-3 リュウ兄ちゃん

 気が付くと、感情が抜け落ちたようにただただソファに座っていたことがある。


 大抵隣にドッペルがしゃがみ込んでいて泣きそうな顔で

「カズマ! 大丈夫っ? カズマ!」と二の腕を強く掴んでいた。


「え、ああ、大丈夫だ。お前こそどうかしたのか?」


「どうかしたのはカズマだよ! もう三十分以上ぼーっとしてたんだから!」


 怒声混じりで責める口調になっているのはそれほどカズマが心配だったからだろう。


 その後はいつもドッペルを安心させるために平気だ、ということをアピールし続けた。


 一人でいる間にも感情の喪失現象は起こっているのかもしれないが自覚がない。


 ドッペルに心配されて初めて気付くということを繰り返していた。




 またはドッペルの何気ない一言に心がざわついて怒鳴り付けたい衝動に駆られる時もあった。


 その場では必死で抑え込んで、ドッペルが家を空けた後に、枕に口を押し当てて叫んだ。


 叫び疲れてから、いつかドッペルに直接酷い言葉を吐いてしまうかもしれないという恐怖が襲うのをじっとやり過ごした。


 夜中、悪夢を見るようにもなった。


 何度も何度も顔を殴られる夢だ。

 永遠に終わりが来ないような絶望が心を蝕み始めた頃にようやく飛び起きる。


 夢だったと気付き、いや夢ではないと気付く。


 現実で殴られていたあの時は薬を使われていて思考が正常ではなかった。


 だから客観的にその状況を思い出せるようになった今に、当初感じるべきだった恐怖だけがカズマを追いかけてきたようだった。




 外に出て気分転換してみようとドッペルに誘われたこともある。

 つい一日パジャマで過ごしていると外に出ることすら億劫になってくるのだ。


 散歩をしているうちは、ドッペルに振り回されつつも気分も良かったが、家に戻るとそれ以上の疲労が襲ってきた。


 顔色の悪いカズマにドッペルが後悔の色を浮かべる。


 それを宥めようとして「俺は吸血鬼になったらしい」とふざけてみせたら、ドッペルがくしゃっと、笑うのに失敗した。


 咄嗟にドッペルの頬っぺたを掴んだ。


「何か自分の顔の変形を観察するって変な気分」


 感慨深くカズマが呟く。


「うわああ。触んないでよ、カズマ! 触んなって! 変人! バカ、カズマ。バカズマ!」


「俺の名前と悪口くっつけないでくれ! 省略すると原形留めなくなるから!」




 この状態が続くようなら怪我が治っても大学に通えるか分からない。

 焦りや申し訳なさが募る。


 早めにスミレを頼ろうと考えてはいるが、つい先延ばしにしてしまう。


 ドッペル以外の人の前では普通に振る舞えるのだ。

 この状態は一時的なもので何もしなくてもいつも通りに戻れるんじゃないか、と楽観的に考えたくなってくる。




 ヨモギと約束があるらしく、ドッペルは帰ってきて早々にまた出掛けて行った。


 俺の気持ちも知らないで呑気なもんだな。


 鳩尾みぞおち辺りから湧いてきた皮肉が面に出る前に飲み込む。


 代わりにそっと手を上げてみせる。


「買い物行くなら車とか気を付けてな」


「カズマは俺をいくつだと思ってんのぉ? 失礼すぎるでしょ、全く」


 ジトッと拗ねてみせるドッペル。


「そうだな、ヨモギがいるから大丈夫か」


益々ますます失礼だぁ! カズマはそうゆーところがダメなんだよ」


 ドッペルは腕を振り回した。


 玄関の扉が閉まる寸前、ドッペルが心細そうに瞬きをしたように見えた。


 いや、気のせいかもしれない。

 外の眩しさに目を細めただけだったのかも……。




 カズマは携帯機器を取り出した。


 ――やはりスミレに連絡を取ろう。

 ドッペルにこれ以上あんな顔をさせたくない。


 頭の中で話す内容をシミュレーションしてスミレの番号を呼び出した。





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