18-1 植物園の蝶
再びカズマたち五人が研究所に戻ってくる頃には、夕焼けが辺りを包んでいた。今日は一日があまりに長く感じる。
研究所の、温室に続く廊下の一角にある実験室。
出迎えたスミレが、カズマとドッペルだけその実験室に入るよう指示した。
ヨモギたちは別室待機らしい。
「これから二人にはまず『廃棄処分』の処置を行うわ。それでいいのよね?」
スミレは念を押すようにカズマとドッペルを振り返った。
「えっと、『廃棄処分』をすれば完全にオリジナルとドッペルゲンガーのつながりを切れるわけじゃねえんだよな?」
カズマは手順を掴み切れず、訝しげな口調になった。
「そーだね、カズマの言う通り『廃棄処分』っていうのはあくまで記憶と人格を元に戻すってことだからさ。
その後、つながりを切る工程がいるだろーねー。ややこしーけどー」
なるほどな、と咀嚼するカズマをよそに、
「スミレさん! 俺、カズマのドッペルゲンガーしてる今の記憶も残したいんだけど出来るよな?」
当然のように言い放ったドッペルに、スミレが一瞬言い淀んだ。
「……ええ、それを君たちが望むなら」
カズマはドッペルと顔を見合わせて、確認の意味で伝えておく。
「俺はドッペルの決断を尊重するけど」
「うん! えへへ」
……何でそこでドッペルが照れ笑いなのかは訊かない。訊くと長いから。どーでもよい説明が延々続くから。
ちなみに、ドッペルがカズマの元に来たばかりの頃『廃棄処分』に関する通知が来たが、あれは企業が独断で取り決め、研究者の一部を懐柔し、証拠隠滅を行おうとしたものだという。
記憶と人格を元に戻す場合、オリジナルに『廃棄処分』を行わなければならない。
ドッペルゲンガーに『廃棄処分』を行えば、ドッペルゲンガーにのみ記憶が返還される。
が、オリジナルの記憶、そして両者の人格は戻らない。
その上、ドッペルゲンガーの情動は操作され続ける。
それによりドッペルゲンガーは、高い確率で解離性同一性障害つまりは多重人格と同じ状態に至るらしい。
カズマを反面模倣するドッペルと、手術を施される前の少年。
それらの記憶と人格が解離したまま一つの体に押し込められる。
それこそが企業の狙いだったという。
企業は研究所を出し抜き、計画に関する社会的責任の一切を研究所に負わせようとした。
研究所が裁かれた後、自分たちは計画を秘密裏に進め、甘い汁を吸おうと目論んだのだ。
ドッペルは「俺の憶測も入ってるけど」と爽やかに苦笑して続けた。
「モモウラ教授に実験失敗を印象付けるには、手術前の俺の人格を見せるのが効果的だった。
で、こっそり計画を続けるには今の俺の人格が必要だった。
要は、俺は企業にとって、責任逃れの隠れ蓑であり、一攫千金への踏み台だったんだ」
妙にきっぱりと言い切った。
「……その、リスクの方が大きくないか? バレるだろ普通。個人の人格を、他人が好きに出し入れできる訳もないのに」
とカズマが怪訝にすると、ドッペルは笑みの形を崩さぬまま、すっと表情を翳らせた。
その意味は言われずとも察せた。
解離した人格を好きに出し入れできる装置の用意が企業にはあったという意味だ。
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※解離性同一性障害について、以下の著書を参考にいたしました。
・柴山雅俊,「解離性障害――『うしろに誰かいる』の精神病理」,株式会社筑摩書房,2014年第一版発行
解離の症状は、この物語全体の主眼ではないため本文に書き入れませんでしたが、ちょっとだけご紹介しようと思います(私が話したいだけ……)。
解離性障害は、ざっくりですが「意識、記憶、同一性、または周囲の知覚についての、通常は統合されている機能の破綻」と定義されています。
このエピソードでの『廃棄処分』で起こり得ると想定しているのは、自分の経験を忘却してしまう「健忘」と、自分自身や自分の情動から分離される感覚である「離人」、異なった自我状態の現れ……いわゆる交代人格の出現が起きる「同一性変容」です。
解離は脅威を感じるような状況からの逃走や、外傷的出来事の不安を軽減するために起こるという解釈があります。
つまり簡単に言えば、受け止めきれない出来事があった時に生き延びるために別の人格を生み出す……と言えるわけです。
私は、「ドッペル」は、人格が元に戻らない場合、ドッペルゲンガーとして無邪気にふざけたりはしゃいだりできる自分を保つために、少年期の辛い出来事(記憶)を受け入れず別人格として切り離すんじゃないかなあ……と想像しています。
(実は、ダニエル・キイス著の「24人のビリー・ミリガン」「ビリー・ミリガンと23の棺」「五番目のサリー」を読みまして(教えてくださった@fts01様に感謝申し上げます!)、多重人格の困難さと不思議さに魅了され「書きたい!」という欲に負けて急遽書き加えた次第でした……)
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