脱出
12-1 海辺の家
ドッペルはスープスパゲッティを苦労しながら食べていた。
スープスパは何事にも淡白なクロが作ってくれたにしては、クリーミーな優しい味。
さりとて、これはどう食べるのが正解なんだろう。
うどんや
巻き付いたそばから解けてく。
めっちゃ美味いから温かいうちに食べたいのにぃ!
斜め前に座るクロは表情の読めない顔でパクパク食べていた。何故だ⁉
「食べ方下手ね。……スプーンを添えてスパゲッティを巻いてみなさいな」
ドッペルはスープスパをじっと見てから、クロのアドバイスに従った。
「あっ出来た。なるほど! こうやって食べるのか! もぉ。クロさん、もっと早く教えてくれたらいいのにさぁ」
「あら、あんた器用ね」
「へっ?」とドッペルは驚いた。
自分が器用なんて言われたのは初めてかもしれない。
そこではっと気付いた。
今もしドッペルが器用なんだとしたら、逆にカズマは不器用になっているのか……。
嫌な不安が過ぎりかけて何とか振り払った。
ドッペルはクロの指示通りに洗剤を洗濯機に垂らした。
うちとはちょっとやり方が違うなあ、と考えて、ああ、そうか。もうカズマの家は『うち』になっていたんだなと実感した。
カタカタと動き始めた洗濯機を前にニコニコと立ち尽くすドッペルに、クロが盛大に怪訝な顔をした。
昼間、二人で黙々と、庭の雑草を駆除して部屋に戻った。
まあ、ドッペルは一人で「へぇ~これ何の花~?」とか喋っていたが。
クロはマイペースな人だった。
というか自分の生活リズムをドッペルに合わせないことを貫いていた。
クロはドッペルが見ていることには構わず、仕事の書類を広げ始めた。
「ねえ、クロさんは何でアドバイザーやってるの?」
「昔の私がやっていたらしいから。今さら転職なんて面倒でしょう?」
「へ~すげぇ。悩みを聞いて解決したりすんの?」
「しないわよ、そんなこと。会社の問題点を改善する企画書を提供するのよ」
ドッペルは感心して相槌を打ちながら、クロは事故以前どんな人なのだろうと思いを馳せた。
クロの料理はどれも濃すぎない味付けでとても美味しい。
庭の花の手入れはほぼ毎日欠かさずやっているようだ。
ドッペルゲンガーとオリジナルの性格は正反対だが趣味や好みは変わらない。
クロが料理や花が好きなのはきっと昔からそうだったのだろう。
ドッペルは自分の母親だったかもしれない女性に向ける自分の笑顔が寂しげにならないように気を付けて笑った。
夜、クロは一階で寝るのでドッペルには二階の部屋を貸してくれた。
落ち着いた色合いの部屋は本棚やテーブルがあっても十分に広いはずなのに何だか息苦しかった。
思い出すのは暗い箱の中。
手足を折り曲げていなくてはならなくて、声が出せない。
優しくてきっと大好きだった人。
置いて行かないで、どうか……。
がばりとドッペルはベッドから飛び起きた。
息を整えて、何年も昔の話だ、と自分に言い聞かせた。
いまだにこの時味わった絶望感がドッペルの心には蔓延っていて、嬉しいことや楽しいことがある度にそれを塗り潰さんと蘇る。
カズマの家で暮らし始めてから悪夢を見ることは減っていたはずだが……。
眠れなくなってしまって一階に降りた。
トイレに行こうとしてリビングの電気が点いているのが見えた。
リビングの磨り硝子が嵌ったドアを開けた。
「クロさん、仕事中?」
「ええ」
クロはパソコンと睨み合っていたその顔のままドッペルを睨み付けた。
黒いパジャマに乾ききっていないまま束ねたのだろう髪が掛かっていた。
「うっわー。クロさん疲れてるんでしょ。酷い顔だよ」
「
クロは不快そうな口調で言うものの、それほどドッペルを追い出そうとはしていないように感じた。
「ねえ、あんた。私に息子のことを訊いたわね」
「えっ、うん。訊いたけど……」
「ほんとに私はよく覚えてないのよ。……ただ……そう、いい子だったと思うわ、とても」
クロの顔からは相変わらず何の感情も読み取れない。
「……何でそんなこと俺に教えてくれるの?」
「そうね……」
クロは窓の外を見るように顔を背けた。
「……誰かに教えておきたかったのよ」
クロの横顔は確かに寂寥感を帯びた自嘲するような笑顔だった。
ドッペルがクロの笑顔を見たのはこの一度だけになった。
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