第20話 の人

 はなえは教科書を見ているフリをしながら、遠くの席に座っている渡瀬部長と三好マネージャーを眺めていた。ジュースを飲みながら楽しそうに会話している二人はどう見てもお似合いのカップルだ。


「――ちゃん」


 三好マネの発言――あいつ、彼女おるから――あれは、もしかしたら敬遠だったのだろうか。自分はそこまで分かりやすいのかな、とはなえは口を尖らせる。


「はなちゃん!」

「……え?」

「はなちゃん、聞いとる?」

「え、ごめん。なに?」

「なにって公式……やけど」


 杏奈が声を抑えて、男子二人に聞こえないように、はなえに耳打ちする。


「場所、変える?」


 先輩カップルのいない場所で――ということなのだろう。はなえは首を振る。

「大丈夫、ありがとう。ちょっと気になっちゃっただけだから」

「分かる。気になるやんな……」

「うん、でも勉強しないとだよね。えっと公式ね」


 そう言って、はなえが手にしていたの教科書をめくる。


「公式? ……あれ、数学?」

「うん、数学」


 杏奈が少し遠慮がちに笑う。すると、『あべのの人』が口を開く。


「なになにー? 数学やったら聞いてや?」

、ここやけどさ」


 『あべのの人』に続いた誠人の言葉に、はなえが目をパチクリさせる。


「え? どしたん? はしもっさん」

「ナベ?」


 鍋?


「え?」

 誠人は『あべのの人』を指さす。はなえが手で口を覆う。

「あ」


「嘘やん! はしもっさん」

 『あべのの人』が叫ぶ。はなえが両手を一生懸命振る。

「違う! 違うの! 渡邊君だよね!? 知ってる!」


「ナベの名前知らんかったんかと思った」

 笑いながら杏奈が言う。はなえが首をブンブンと振る。

「知ってたよ! 『あべのの人』と思ってただけで」


「「あー」」

 思わず本音を言ったはなえに対して誠人と杏奈がハモると、『あべのの人』――改め渡邊徹也が教科書でテーブルを叩く。

「なんでやねん!」


「ごめんなさい、渡邊君」

「ええよ、もう……はしもっさんも、『ナベ』って呼んだって」

「『ナベの人』」

「なんでやねん!」


 勉強は捗ることなく、ファーストフード店で騒ぐ4人。


 遠くに座っていた渡瀬部長は頬杖をつきながら、楽しそうにそれを見ていた。

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