第2話 あべの

 橋本はなえは、先ほどの自己紹介を思い出していた。思った以上に言語、文化の壁というのは厚く、それに必要以上に過敏に反応してしまっている。それが顕著に表れた瞬間であった。


『橋本はなえ、です』

 標準語だ、とざわつく教室。はなえは、ドキドキしながら先生が用意した設問に答える。

『中学の時は、バスケ部、でした。趣味……は――』

 言い淀む。本当の趣味は言えないから、少し変化をつけて。

『読書です。よろしく……お願いします』


 標準語を話すクラスメイトに話しかけて来たのは、さきほどの長谷川誠人だけだった。後のクラスメイトは、新しい友達づくりに夢中なのと、東京の人間をどこかけん制しているようであった。


 はなえは、それでもいい、と鞄から文庫本を取り出そうとした。これから休み時間は、これが唯一の友となりそうだ。


 机の横に掛けた鞄に手を伸ばした、その時――


「なあなあ、自分」

「……なに」

 振り返る。後ろの席の誠人が笑顔で待ち構えていた。ついさっき、訳の分からない玉子焼きの話を一方的にしてきて飽きたかと思いきや、今度は隣の席の生徒を指差しながら話しかけてきた。

「こいつ、阿倍野から来てんねんて」

「へえ」

「阿倍野、分かる? アベノ。だいたい天王寺駅」

「さあ」

「動物園あんねん。天王寺動物園。ホウちゃん生まれたばっかでな。この名前の付け方、俺、あれはいかんなあ思うねんけど。そもそも天王寺動物園は……あれ、あっこ阿倍野? 天王寺区か。ややこいな。よう、てんしば行ったけどな。そうか天王寺か」

 誠人は隣の席の『あべのの人』に確認しながら頷いて、はなえに向き直った。

「自分、あべのハルカス知ってるか?」

「あべのはるかす?」

「あっちゃー。油断しとんな、東京」

「東京……」

「あべのハルカスは日本一高いビルやで。何メーターあるか知っとる?」

「さあ」

「さんびゃく! キリがいい、美しい、変な形やけど」

「へえ」

「それが阿倍野にあんねん。今日はこれだけでも覚えて帰ったってや」

「どこに……」


 あの『あべのの人』が誠人に話しかける。いつの間にかあだ名で話す仲になっているようだ。はなえは、そのコミュニケーション能力に目を見開いた。『あべのの人』は続ける。

「トーチタワーって知っとる?」


 トーチタワー。『松明のように日本を明るく照らしたい』をコンセプトに、高さ約390メートルの日本一の超高層ビルが2027年に竣工される計画がある。


「……なん、やて!?」

 誠人が大げさに机に突っ伏す。

「東京はなんでも持って行きよる! そんなに東京が偉いんか!」


 東京め! と叫ぶ誠人を見ながら、はなえは、チャイム鳴れとだけ思っていた。


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