赤い手の痕


ギスタへ帰還したイチカは、ヨンゴを所定位置に格納してからもコックピットを出れずにいた。電源が落ちた真っ暗な部屋で膝を抱えうずくまり、じっと動けないままだ。


役に立ちきれなかった悔しさ、情けなさ。

体がいうことを聞かない歯痒さ、恐怖。


いくつもの感情が忙しなくイチカの脳内を支配し合う。

しばらくすると、ぐんとイチカの体がコックピットシートに沈む。ギスタがナリバ基地に入港し、重力エリアへ進入したのだろう。それでも、イチカは動かなかった。


どれほどの時間が経過したのかは分からない。しかし、その均衡は突然崩された。外部からコックピットハッチのロックが外される音がして、すぐに開く。格納庫の強烈なライトがコックピットに差し込んだ。


「メンテしたいから、そろそろ出てきてよぉ〜」


ナナミのかったるそうな声がして、イチカの肩がピクリと動いた。のろりと視線を上げれば、ハッチの入口からナナミの影がこちらを覗き込んでいる。


そうだよな、いつまでもここにいたって邪魔だよな。


イチカはなんとか口角を上げて表情をつくろう。


「ごめん、すぐに退くね」


重い腰を上げて外に出ようとハッチに手をかけるのと、油で黒ずんだ指先が自分の首にからむのは同時だった。

イチカはぐっと首元を押されて再びシートに倒し戻され、次の瞬間には勢いそのままに首を締め上げられていた。


「ダメだよぉ、イチカ。だめだめ、まだダメ」


ナナミの声はいつもとかわらない。が、されていることはこれまでイチカが経験したことがない、『いつも』と大きく外れた出来事だった。

何かがナナミの気に触ったことは確かだが、なにがダメなのかまったくもって分からない。出るタイミングがまだだったのか?いや退けといったのはお前だろう。


イチカの口からは詰まった音が断続的に漏れ落ちる。

イチカはナナミの意図を読み取ろうと顔を見るが、その表情は逆光のためよく分からない。この間の会話から予測するなら、情けない戦闘をしたことが気に食わないのだろうか。自分のような人間がヨンゴに乗るのが許せないとか。


苦しさからイチカの手がナナミの腕に爪を立てる。空気を求めて魚のようにあうあうと口が開いて涎が顎を伝う。ナナミはじっとイチカの瞳を見つめていたが、何かを納得したように悲しそうに眉を下げると、首を締める力をゆるめることなく、その涎を舐め上げた。


「イチカの味、覚えておくね。ちょっとだけど、1番楽しませてくれたから」


とうとう視界もぼんやりと霞んできた。指先が痺れ、音も遠ざかっている。

色んな死に様を想定していたが、まさか、自軍のしかも自分の担当整備士に殺されるとは思っていなかった。だが、不思議と先ほど戦場で死にたくたいと感じた恐怖は感じていない。......そうか、罰として苦しみを与えられていると思えるから受け入れているのか。戦場で素性も知らない相手から無機質に殺されるわけではない。パイロットとして戦いきれなかった罰を与えられている。だから仕方がないと心のどこかで納得している自分がいる。


そうか、自分はずっと罰せられたかったんだ。

初めて人を殺してからずっと。


イチカがひとつの答えにたどり着き、意識が落ちそうになったその瞬間、急に空気が気管に流れ込んできた。身体が反射的に酸素を取り込もうとするが、急激に大量の空気を吸い込んだため唾液が気管に紛れ込み派手に咳き込む。


「おい、嬢ちゃん!しっかりしろ!!!」


朦朧とする意識の中、聞こえたのはクドウの声だった。そうか、彼の腕力なら小柄なナナミを一掴みでコックピットから引きずり出すことができるだろう。あと数秒遅れてたらアウトだった。逞しい男はカッコいいな。


イチカはクドウに感謝を伝えようと頭を上げようとするが、途中で力尽きそのまま意識を手放した。







ナリバ基地防衛戦終了から1時間。アキトは格納庫に足を運んでいた。まだイチカがヨンゴから降りてきていない。流石に様子を見に来たのだ。


すでにギスタはナリバ基地に入港。物資補給や敵の第2波攻撃に備えるために、2週間ほど滞在する予定となっている。


アキトはこのナリバ基地防衛戦でイチカが動けなくなる可能性を想定していた。

事前のストレス耐性チェックのデータ、初陣からの彼女の様子、クレバやエヴァンから聞いていた彼女の性格。それらを総合的に見ればイチカのメンタルが強くないことは明らかだ。そんな彼女が初陣からアカデミー学生とはいえほぼ一般人、しかも自陣営の殺しを命じられたのだ。トラウマから戦闘不可になるのは容易に想像できる。


そのため、事前にクレバとエヴァンに万が一の応援を事前に相談していた。これまでの付き合いで人望があったのだろう、2人は快く了承していた。特にクレバからは『あいつのこと、頼むな』とまで言われている。

パイロットとしてメンタルが弱いことは致命的な弱点だが、逆に普通の女性だからこそ、仲間からの信頼や協力を得られるのだろう。

人付き合いに重きを置かない自分には持ち得ない特性だ。皮肉でもなく、素直に羨ましくもある。


格納庫に入ると、ヨンゴのコックピットハッチは開いていた。すでにロッカールームにでも行ったのだろうか。行く先を変えようとしたとき、


「おい、嬢ちゃん!しっかりしろ!!!」


クドウの焦りを含んだ大声が格納庫に響いた。

周りの整備士がなんだなんだとヨンゴのタラップに集まっていく。


「おい、お前!そこのクソガキをふん縛っとけ!!!」

「そんなことしなくても逃げないよぉ」

「黙れ!今回ばかりは庇いきれねぇぞ!!!」


クドウは集まってきた整備士の一人にナナミを拘束するよう指示を出すと、コックピットからイチカを引きずり出した。

遠目からみてもイチカの四肢はだらりと力なく揺れており、彼女の身に何かあったのは明確だ。


アキトはクドウに駆け寄った。クドウもアキトに気づき、「おい坊主!応急処置みたいなもん知ってるか!?」と声をかける。

アキトが頷くと、タラップを降りきったクドウは横抱きにしていたイチカを床に寝かせ、入れ替わるようにアキトがイチカの傍で膝をつく。


バイタル確認をするためにパイロットスーツのジッパーをみぞおちまで下げる。すると、彼女の首には痛々しく人の手の跡が赤く残っていた。


「何が起きたんだ?」

「ナナミの馬鹿が嬢ちゃんの首を締めてやがった......理由はわからねぇ。ぶっ飛んだやつだがここまでとは......」


クドウから状況を聞いたアキトは、顔色、呼吸状態、チアノーゼの有無などを確認する。確認する中では深刻な状態ではなさそうだが、意識がないため至急医師に見てもらったほうが良い。


「すぐに医務室へ運ぶ。ナナミ整備士については任せた」


アキトはイチカを横抱きにして医務室へと急ぐ。なるべく頭を揺らさないように気をつけながら歩いていると、胸元から自分の名を呼ぶか細い声が聞こえた。


「ア、キト......?」

「あぁ。意識が戻って良かった」

「あー...なんで...おひめさまだっこ......?はずかし......」


イチカが降りようと身をよじるが、まだその動きは弱々しい。


「抱えにくい、動かないでくれ。手足の痺れはあるか?」

「......ない」

「気分は?」

「ちょっと...きもちわるい......でも、それより羞恥心が−−−」

「もうすぐ医務室だ。動くな」


最後の方は口調もはっきりとしていたため、後遺症などはなさそうに見えるが、精密検査をするまではまだ分からない。


アキトは医務室に入ると医師に状況を伝えながらイチカをベッドに降ろした。

その報告内容でナナミにされたことを思い出したのだろう、イチカは目を一瞬見開くと静かに閉じる。


医師がCT装置をイチカのベッドサイドに設置する。スイッチを押すと、装置はイチカの頭部から足先にかけて生体情報をスキャンしていく。医師はタブレットに送られた映像(特に脳画像)を丁寧にチェックしている。


アキトはイチカにある種の同情を覚えていた。


自陣の民間人を殺したと思ったら、今度は仲間に殺されかけた。天涯孤独で軍人になるしかなかった女性、しかも全て1週間以内の出来事だ。人によっては、なぜこんな目にあうのだと、世の中の不条理を恨んでもおかしくない。


「ナナミはどうしてる?」


スキャンが終わったイチカがアキトに問いかけた。


「拘束されている。しばらく懲罰房行きだろう」

「そっか......なんとかしてあげられないかな?」

「正気か?殺されかけた相手に?」


イチカは「だよねぇ」と困ったように笑う。


「でも、整備士としての腕は信頼できるし。ナナミのおかげで気づけたこともある」


それに、とイチカが今度は眉間に皺を寄せ口を尖らせる。


「なんで殺されかけなきゃなんなかったのか、本人の口から聞かなきゃ納得できない。まぁ、聞いてもあのナナミの行動原理なんて私には理解できないかもしれないけど」


その様子は恨んでいるというよりも、納得がいかないことに怒っている様に見えた。

アキトは疑問に思っていることをそのまま訊ねる。


「恨んだり、憎んではないのか?」


イチカは恨む、憎むと呟きながら少し思考した。


「恨んだり、憎んだりっていうのはないかな。ただ、苦しんでる姿を楽しんでそうだったのには腹が立ってるけど」


イチカのあっけらかんとした様子に、アキトは先ほどまでイチカに感じていた『か弱い女性』という認識が間違っているかもしれないと思い始めた。

たしかに、弱い部分はある。しかし、ただ弱いだけではない。不条理溢れるこの世界で、他者を憎まない強さが彼女にはある。


医師から何も問題ないという結果を聞く。しばらくしたら自室に戻っても良いそうだ。

アキトは近くにいた看護師に、イチカの着替えを持ってくるよう依頼する。


俺は君をもっと知るべきなんだろう。


アキトがギスタに乗ってから初めて、パイロットとしてではなく、イチカに興味を持った瞬間だった。

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