第24話 私の好きな人は、
アネット様とのお話の機会は、割とすぐに用意された。
リスター伯爵家の庭園。そこで、私はアネット様と向き合っている。もちろん、私の隣には旦那様がいてくださる。彼は眉間にしわを寄せているけれど、今のところお話を妨害するつもりはないみたいだった。
「……それで、もう一度お話を……って、どういうつもり?」
アネット様のその言葉に、私は息を呑む。けれど、すぐに気を持ち直す。
「いえ、個人的にしっかりとお話がしたく思いまして。以前は、しっかりとお話が出来なかったので……」
肩をすくめながらそう言えば、アネット様は露骨にため息をつかれた。まるで「困った子供」とでも言いたげな眼差しで、私を見つめてこられる。……その眼差しに、微かな違和感。
(以前は、明確な敵意にも似たものを持っていたはずなのに……)
何処か、その感情が和らいでいるような気がした。
が、今はそれを指摘している場合じゃない。そう思い、私は背筋を正してアネット様に向き直る。
彼女の座り方は、とても美しい。さすがは元貴族の女性……というべきか。きっと、しっかりとした淑女教育を受けていたのだと、思った。……だって、元々リスター伯爵夫人になるべきお方だったのだもの。
「私は、アネット様が明確に私を嫌っているとは、思えないのです」
淡々とそう言ってみる。瞬間、旦那様の視線が私に向けられた。アネット様も、目を見開かれている。
気が付かないふりをして、言葉を続ける。
「あなたさまは、私のことを嫌っている……というよりは、旦那様のほうになにかしらの感情を向けているのでは……と、思います」
それは完全な勘だった。
ただ、アネット様は私が倒れる際に戸惑ったような目をされていた。
もしも、本当に私を嫌っているのならば。彼女は、もっと勝ち誇ったような笑みを浮かべるのではないだろうか?
(目は口程に物を言うというもの。……目だけでも、笑っているはずだった)
なのに、彼女の目の奥には確かな心配の色が宿っていた。私を嫌っているのならば、そんな感情を宿すわけがない。
「それに、私思うのです。……アネット様は、本来はとてもお優しいお人なのだと」
自分の想像を押し付けるのは、いいことじゃない。わかっている。わかっているのだけれど……こればかりは、譲れない。
エリカだって、本来はとてもいい子だった。周囲の環境が彼女を変えてしまった。私のことも変えていた。
もしかしたら、アネット様には旦那様に『きつく当たらなければなかったわけ』があったのではないか。
そんなことを、思ってしまった。
「……あなたに、なにがわかるの」
私の言葉を聞いて、アネット様が目を細める。それは、柔和なものじゃない。
明らかに敵意を持っている。嫌悪感も、宿っているように見えた。
「あなたはなにもかも持っているわ。夫からの愛も、使用人たちからの信頼も。……私にないものを、全部全部持っているの」
テーブルをバンっとたたいたアネット様が、そう叫ばれる。
「私はなにも持っていないの。夫とは離縁した。子供もいない。……実家からは勘当されているのよ」
「それは、自分自身の行いが原因だろう」
アネット様のお言葉に、旦那様がそう口を挟まれる。
「そうね。ギルバートの言うことは最もだわ。……それに、あなたは嬉しいのでしょう?」
「なにがだ」
「大嫌いな私が、こうして不幸のどん底にいることが。……落ちぶれたことが、あなたは嬉しい。違う?」
挑発的な笑みを浮かべたアネット様が、そうおっしゃった。
旦那様は、なにも返答をされない。沈黙は肯定と受け取ったのか、アネット様がふんと鼻を鳴らされた。
「いいわよね。あなたは年下の小娘を捕まえて、高い地位だってある。……あーあ、私、あのときあなたを捨てなかったらよかったわ」
やれやれとばかりのそのお言葉は、間違いなく挑発だった。
旦那様は、なにも返されない。多分、出来る限り私とアネット様の邪魔にならないようにとされているのだ。
私が、そうお願いしたから。
「アネット様。……私、旦那様のことが好きです」
彼女のことをしっかりと見つめて、私はそう告げる。アネット様は、虚を突かれたように目をぱちぱちと瞬かせていた。
「お優しくて、こんな私のことも大切にしてくださる。愛してくださる。……そんなこのお方が、好きです」
ちょっと恥ずかしいけれど、言わなくちゃ。
その一心で、言葉を紡いでいく。アネット様は、意味が分からないとばかりに怪訝そうな表情を浮かべられている。
「私の好きな旦那様は、少なくとも人が落ちぶれていて喜ぶようなお人では、ありません」
「……あなた、なにを言っているの?」
「たとえ大嫌いなお人だったとしても、心の奥底では心配している。それが、旦那様です」
本心だった。このお方は、私のことを心が広いと思っているようだけれど。
……実際、心が広いのは彼のほうだ。私は、イライジャ様を許せなかった。お父様を許せなかった。そんな私が、心が広いわけがない。
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