第23話 ふつつかな妻ですが

「……サイラス、少し声のボリュームを下げろ」


 そんなサイラスを一瞥して、旦那様がそう言葉を返す。すると、サイラスは「申し訳ございません」と言って深々と頭を下げた。


「ですが、本当に至急お話したいことが……」

「……そうか。シェリル、俺は少し話をしてくる。ゆっくりとしていてくれ」


 旦那様は私の頭を軽く撫でて、サイラスのほうに行かれた。


 お二人が出て行くと、急に静かになったような気がしてしまう。


(寂しい、かも……)


 身体が弱っていると、精神もそちらに引っ張られる。だからなのか、私は確かな寂しさを覚えてしまった。


「……そういえば、アネット様はどうなさっているのかしら?」


 ふと、そう思った。


 アネット様と、もう一度でいい。……きちんと、お話がしたい。


 そう思うのは、贅沢なのだろうか。


「ううん、贅沢なんかじゃない……。私は、彼女の力になりたい」


 正直、アネット様のことが好きか嫌いかで問われたら嫌いだ。だから、これは親切心なんかじゃない。


 ……このリスター伯爵家から、離れてもらうための行動だった。


「アネット様の問題を片付ければ、きっとみんなゆっくりと出来る」


 使用人たちがずっと気を張る必要もなくなるし、私も一つ肩の荷が下りる。


 このままアネット様を軽くあしらい続けることも出来ると思う。だけど、それだと結局堂々巡り。なにも解決しない。


「……きちんとするわ。頑張るわ」


 そう小さく呟いたとき。扉が開いて、旦那様が戻ってこられた。旦那様は何処か疲れたような面持ちで、「はぁ」とため息をつかれる。


「なんのお話でした?」


 小首をかしげて、旦那様にそう問いかける。


 すると、旦那様は「大したことじゃない」と答えられた。……大したことじゃなかったら、あそこまでサイラスは慌てないと思うのだけれど。


「シェリルの耳には入れなくていい話だ。気にするな」


 人間とは、気にするなと言われれば気になってしまう生き物。けど、今はそれよりも大切なことがある。


 その一心で、私は口を開く。


「あの、アネット様のこと、なのですが……」


 少し眉を下げてそう言うと、旦那様が露骨に眉間にしわを寄せられた。


「その、もう一度、しっかりとお話ししたいと思っております……」


 旦那様は割と強面なので、眉間にしわを寄せられると迫力がある。見慣れている私でも、少ししり込みしてしまうほど。


 でも、しっかりと言わなくちゃ。


「……あいつとは、何度話しても無駄だろう」

「そんなこと、ありません」

「……シェリル」

「確かに話し合っても分かり合えないときは、あります」


 けど、話し合って無駄だったと思うのと、話し合う前から無駄だと決めつけること。それは、全然意味が違うと思う。


(私がしっかりと向き合っていれば、あんなにもエリカとの関係がこじれることはなかった)


 エリカとの関係だって、今でこそ修復できている。だけど、そもそもこじれなければ仲のいい姉妹でいられたはずなのだ。


 エリカのことを、辛い目に遭わせずに済んだかもしれないのだ。


「ですが、私、後悔したくない」


 その後悔は、私の後悔である以上に。旦那様の後悔だ。


「アネット様の真意を知るべきだと思います。……一方的に嫌っているだけでは、ずっと堂々巡りです」

「……それは」

「あと、純粋に。……儀式に臨む前に、きちんと不安要素は取り除いておきたいのです」


 魔力のコントロールは繊細なものだ。術者の精神状態にも左右されると教えてもらった。


 だったら、不安要素は一つでも少ないほうがいい。


「……そうか。わかった」


 私の真剣な意見を聞いてか、旦那様が大きく頷かれる。


「一応、アネットと話し合う場を設ける。ただ、条件がある」

「……はい」

「まず、俺も同席する」

「え……」


 旦那様のお言葉に、私は目をぱちぱちと瞬かせてしまった。


「さすがにここまでシェリルが言うのに、俺ばかり逃げているわけにはいかないだろう」


 何処か呆れたような態度で、旦那様がそうおっしゃる。……なんだか、嬉しかった。


「二つ目、もしもアネットがシェリルを傷つけようとした場合。俺はシェリルの意見を聞かず、アネットを追い出す。いいか?」

「……はい」


 条件を呑まないと、話し合えないことは理解していた。なので、私はなんのためらいもなく頷く。


「日程の調整は俺がしておこう。……シェリルは、今はとにかく身体を休めてくれ」

「……なにからなにまで……」

「いい。元々、俺がまいた種みたいなものだからな」


 ここまで面倒なことを押し付けているにもかかわらず、旦那様は笑われていた。


「それに、シェリルのわがままを叶えるのは、悪くない……と、思う」

「……旦那様」

「それに、俺もシェリルに助けられていることがたくさんあるからな」


 ……そんなこと、ないのに。


(だけど、嬉しい)


 そう思ったから、自然と頬を緩めて、私は旦那様に笑いかけた。


「私も、たくさん助けていただいています」

「……あぁ」

「ふつつかな妻ですが、今後も側においてくださると、嬉しいです」


 それは、私の心の底からの言葉だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る