第16話 お願い
翌日。私はサイラスの元を訪れていた。
サイラスは基本的に執事の部屋。もしくは旦那様の執務室にいることが多い。あとは、使用人の様子を見て回っているか。
この日は朝から私がお願いがあると言っていたので、執事の部屋で待ってくれていた。
「奥様、わざわざこちらにいらっしゃらなくても、と……」
サイラスが眉を下げてそう言う。だから、私は気にしないでという意味を込めて笑った。
(そもそも、サイラスだって忙しいものね)
執事は使用人をまとめなくちゃならない。いくらこのリスター家の使用人が優秀とはいえ、トラブルが全く起きないということはない。それに、旦那様とお仕事の打ち合わせだってあるもの。
そう思っていれば、サイラスが部屋にあるソファーに案内してくれた。私の後ろでは、クレアがちょこちょことついてきている。
「ところで、お願いがあるとおっしゃっておりましたが……」
「えぇ、サイラスに一度、相談してみようと思って」
ソファーに腰掛けて、真剣な面持ちでサイラスを見つめる。彼は、「ふむ」と声を上げていた。
「奥様のお願いは、使用人一同叶えたいと思っております。……ですが、わざわざこういう風に時間を作ってほしいということは、あまり好ましくないお願いなのでしょうね」
……読まれている。
それを認識しつつ、私はこくんと首を縦に振った。
(サイラスたちも、みんな心配してくれているのだもの。そう思うのは、当然よね)
心の中でそう零し、私はサイラスの目をまっすぐに見つめる。
ごくりと息を呑んで、私はお願いを口にする。
「……アネット様の、ことなの」
その名前を口にした瞬間、サイラスの眉間にしわが寄った。
「まさかですが、あの女、奥様に危害を……!」
「ち、違う! 違う違う!」
どうしてそういう風に捉えるのだろうか?
一瞬そう思ったけれど、サイラスは心配性だ。だから、仕方がないのかも……なんて。
「では、どういうお願いでしょうか?」
ごほんと一度だけ咳払いをして、サイラスがそう問いかけてくる。
なので、私はゆっくりと口を開いた。
「私、アネット様と一度、真剣にお話ししたいと思っているの……」
「……は?」
サイラスの表情が、一瞬ぽかんとした。でも、すぐに表情を整える。いつもの表情に戻りつつ、サイラスは頭上に疑問符を浮かべているようだった。
「失礼。……一体、どういう風の吹き回しでしょうか?」
私の目を見て、サイラスがそう問いかけてきた。……なんと、言おうか。
(私の思っていることは、ぼんやりとしているもの……)
だから、なんていうか。言葉にはし辛いというか……。
だけど、言わなくちゃ。その一心で、私はサイラスの目を見つめ返す。
「私の、直感のお話なの。……なんていうか、アネット様ってエリカと一緒なのではないかと、思って」
最後のほうの声は、小さくなった。だって、不確定もいいところだもの。
サイラスが、私のことをまっすぐに見つめる。その目には、驚きの感情がまだ宿っている。少し、和らいではいるのだけれど。
「アネット様、もしかしたらなにかあるんじゃないかって……」
膝の上でぎゅっと手を握って、そう言う。……サイラスは、何も言ってくれなかった。
「……クレアは、どう思います?」
しばらくして、サイラスが私の後ろに控えるクレアにそう声をかけていた。クレアは、少しだけきょとんとしているように思える。
「えぇっと、私が意見をしていいのかということは、置いておきまして」
「はい」
「私は、奥様の意見を尊重するのがよいかと、思います」
真剣な声音で、クレアがそう言ってくれた。
「だって、これが奥様のお願いならば、叶えるべきだと思うのです」
「……それが、万が一危険なことだとしても、ですか?」
「そこは、ほら。使用人たちの腕の見せ所と言いますか……」
しどろもどろなクレアの言葉。でも、私のことを思って言ってくれているということは、とても伝わってくる。
なので、私はサイラスに向き直った。
「私の自分勝手なお願いだと、わかっているわ。……でも、どうか考えてほしいの」
背筋を正して、サイラスに向き直る。……サイラスは、しばらくして深くため息をついた。
「はぁぁ。全く、奥様はなんて言いますか……お人好し、ですね」
呆れたようなサイラスの言葉。私がぽかんとしていれば、サイラスは私の目をまっすぐに見つめ返してきた。
「いいでしょう。……ただし、使用人が付き添うことを条件とします」
サイラスの言葉に、私は緊張がほどけていくのがわかった。
「……ありがとう」
そして、お礼の言葉を口にする。頬を緩めれば、サイラスは「ですが」と続けた。
「なにかありましたら、問答無用で追い出しますので。……そこだけは、お忘れなきよう」
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