閑話5 唯一、出来ることを(ギルバート視点)
「……旦那様、は」
彼女の形のいい唇が、そんな言葉を口にした。
……なんと、言われるのだろうか。柄にもなく、胸の奥がざわめく。
(シェリルはアネットとは、違うのにな……)
そう思っても、一度ついた傷はそう簡単には消えないらしかった。どうやら、俺は自分でも思っている以上にアネットのことを引きずっているらしい。
それを、否応なしに自覚させられる。
息を呑んだ。瞬間、視界に入ったシェリルの表情はとても真面目なもので。
「旦那様は、つまらないお方などではありません」
はっきりと、彼女の口がそう言葉を紡ぎ出した。
「私は、旦那様がとても素晴らしいお方だと思っております。……辺境伯としても、男性としても。とても、その……」
しどろもどろになるシェリルの頬が、赤い。
その姿が何だかとても可愛らしい。そう、思った。
(本当に、年甲斐にもなく恋に溺れるなんてな……)
心の中でそう思いつつ、シェリルを見つめる。仄かに赤くなった目元に、視線を奪われた。
「とても、魅力的だと、思います」
……シェリルのその言葉に、俺の中の何かが消えていく。
「アネット様がどう思おうが、どうおっしゃろうが。私のその気持ちは、変わりません」
「……シェリル」
「私は、何が何でも旦那様を好いております」
そう言ったシェリルは、やっぱり強かった。俺のほうがずっと弱いのだと、自覚させられる。
でも、こういうのもいいのかもしれない、なんて。
(支え合うことが出来れば、それでいいんだろう)
どちらかが弱っているときに、どちらかが支えれば。そして、その逆も。
もしかしたら、それが理想の夫婦の形なのかもしれない。
シェリルの手が、俺の手を握った。その小さな手が、少しだけ震えている。
「……だから、その、ですね」
「……あぁ」
「私のことを、どうか、忘れないでほしいのです」
声が、震えていた。
「もしも、私がいなくなっても。……どうか、お願いします」
……多分、シェリルはすべてを知っているのだ。この国の現状も、自分の身体のことも。
俺が思うよりもずっと、シェリルはたくましいということなのだろう。
「私に出来ることは、やりたいと思っております。……たとえ、この命に代えても」
そんなこと言わないでくれ。
のどまで出かかった言葉を、俺は飲み込む。
シェリルだって、好きでいなくなるわけじゃない。好きで死んでしまうわけじゃない。
ただ、自分に与えられた役割を全うしようとしているだけだ。……俺も、いい加減覚悟を決めなくちゃならない。
(シェリルを失うのが怖い。だから、何もかもを犠牲にしようとした)
たとえ、それが一時しのぎにしかならないとわかっていても。シェリルを失うよりは、ずっとマシだと思っていた。
彼女が辛い目に遭うくらいならば。俺が、苦労すればいい。そう思っていたのに……。
(その気持ちも、シェリルにはお見通しだったわけか)
それを、悟った。
だから、俺はふっと口元を緩めて、シェリルの手を握り返す。少しだけ驚いたように、彼女の肩が跳ねた。
「忘れるわけが、ない」
口から自然とそんな言葉が零れた。シェリルが、顔を上げる。……赤くなった目元と、頬を伝う涙。……彼女も、不安なのだろう。
「むしろ、簡単に犠牲になんてしない。……土も、シェリルも。どちらもを助かる方法を、必ず見つける」
「……旦那様」
「だから、そんな弱気なことを言わないでくれ」
弱気なのは、俺のほうなのに。
まるで、シェリルのほうが弱気なように言ってしまった。
後悔するが、言ってしまったことは取り消せない。誤魔化すように視線を逸らせば、シェリルが笑ったのがわかった。
「……そうですね」
しばらくして、彼女がそう言う。その声は、少しだけ明るい。
「私も、頑張って生きなくちゃ」
空いている手を口元に当てて、彼女が笑う。
「それに、もしも旦那様を置いて死んでしまったら……後悔しても、し足りない気がするのです」
「……シェリル」
「私、旦那様と長生きするんです」
シェリルがはっきりとそんな言葉を口にした。
……俺のほうが先に死ぬ。それは嫌というほどわかっている。でも、今はそれを口にするときじゃない。
「……あぁ」
だから、俺はすべての気持ちを呑み込んで、そう返事をするのが精いっぱいだった。
「いろいろと、頑張りますから」
ふっと緩めた口元が、やたらと愛らしい。……そう思いつつ、俺はシェリルの肩を撫でた。
まだ少し震えている肩が、やたらと小さく感じられる。
(絶対に、守ると決めたんだ)
アネットからも、なにからも。俺は、シェリルを守る。
それが、きっと唯一俺に出来るシェリルへの愛情表現なのだ。……俺は、不器用らしいから。
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