第13話 拒絶

 旦那様のお顔を見ると、私は安心してしまった。彼のその怒りを含んだような目が、アネット様を射貫いている。


「まぁ、ギルバート。久しぶりね!」


 アネット様が旦那様の方に近づいて来て、その手を取ろうとした。けれど、旦那様はその手をはたき落とす。


「……どういうつもりだ」


 そうおっしゃった旦那様のお声は、とても低い。地を這うような低さは、久々に聞いた。旦那様が、本気で怒っていらっしゃるときのお声だ。


「どういうつもりって言われても、ねぇ? 私とギルバートの仲じゃない」


 ころころと笑ってアネット様がそう言った。


 彼女の目が、私を挑発している。それを理解して、私は唇をぐっとかみしめた。


 だけど、そんな私に気が付いてくださったのか、旦那様がその手で私の背中を撫でてくださる。


「俺は、本気で会いたくなかったぞ」


 そのお言葉は、信じてもいいのよね?


 自分の中の弱い部分が、そんなことを問いかけてくる。……信じてもいい。違う。信じたい。


 アネット様と旦那様はなんてことないと、信じていたい。私は、心の底からそう思っている。


「お前の顔を見ると、虫唾が走るんだ。……あの頃のことを、思い出すからな」

「……まぁ、まだ恨んでいるの?」

「当たり前だろう!」


 旦那様が声を上げられる。……旦那様は、元婚約者の方に婚約を破棄されて傷ついた。その元婚約者は確かにアネット様なのだ。……恨むのも、仕方がないと思う。私だって、イライジャ様のことをそこそこ恨んでいるもの。


「そんな過去のこと、忘れてしまえばいいのに。……ねぇ、ギルバート?」


 アネット様が旦那様の方にまた一歩近づいて、旦那様のお顔を覗きこまれる。その妖艶な姿に、私の心臓が大きく音を鳴らす。……旦那様、この誘惑に勝ってくださるわよね……?


(いいえ、信じましょう。だって、旦那様は私のことを好いてくれているとおっしゃっているもの……!)


 正直なところ、上手く信じられるかは微妙なところだ。でも、旦那様ならば大丈夫。


 私が彼の衣服をちょんと握っていれば、旦那様とばっちりと視線が合う。……頷いてくださった。


「私ともう一度やり直しましょうっていうお話、していたじゃない」

「……そんなの、初耳だ」

「それに、そんな小娘よりも私の方が貴方を満足させることが出来るわ」


 アネット様は、自信満々のご様子だった。……そりゃあ、私はアネット様に比べて貧相かもしれない。


 けど、旦那様を想う気持ちは私の方が強いの。間違いなく。


「そういう問題じゃない。俺は、シェリルを愛しているんだ」

「……旦那様」


 その宣言が、私の胸の中に染み渡っていく。先ほどまでの不安な気持ちを打ち消すようなお言葉に、私か顔に熱が溜まるのを実感した。


「シェリルはお前と違ってとても素敵な人だ。……お前と比べるのも、おこがましい」


 旦那様が、アネット様を強くにらみつけられる。……私のこと、素敵って思ってくださったのね。嬉しい。


(嬉しい、だけど……)


 今はそんな感動に浸っている場合ではない。


 アネット様に視線を向ければ、彼女は挑発的に笑っていた。なんだか、不気味だった。


 だって、そうじゃない。……旦那様と私のことを、からかっている。そう見えてしまう。


 しかし、彼女の言葉には明確な悪意があって、視線にも悪意がある。……ちぐはぐだと思ってしまった。


「まぁまぁ、本当にべた惚れなのね! 噂に聞いていた通りだわ!」


 不意に、アネット様がわざとらしく声を張り上げた。その突然の行動に、私たちは目をぱちぱちと瞬かせてしまう。


「でもね、ギルバート。覚えておいた方がいいわ。――その女は、財産目当てだと思うわよ」


 にっこりと笑って、口元に手を当てて。アネット様はそう言い切った。……偽りの言葉を、残していた。


「……シェリルは、そんな女じゃない」


「いいえ、だって貴方のような年上の男と結婚するなんて、そうとしか考えられないじゃない。……だから、いつか捨てられることを覚悟しておいた方がいいわよ。あと、捨てちゃってもいいのよ?」


 そんな、人をゴミみたいに言わないでほしい。


 そう思って私が旦那様の衣服をぎゅっと握っていれば、旦那様は私の手を掴んでくださった。


「悪いが、アネット。……俺とシェリルは、それくらいじゃ別れない」


 そして、旦那様ははっきりとそう宣言してくださった。


「俺は、シェリルのことを本気で愛しているんだ。……だから、お前の揺さぶりは通じない」

「……まぁまぁ」

「だから、もう二度と顔を見せるな。お前となど、会いたくもない」


 しっかりとアネット様を拒絶された旦那様。……それが嬉しいはずなのに。


 どうしてか、私の胸中にはもやもやとしたものが芽生えていた。その正体が何なのか。それを――私は、知る由もない。

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