七十四話 戦神のメッセージ

 サンジェルマン伯爵。18世紀のヨーロッパで活躍した錬金術師。

 科学に限らずあらゆる分野の知識に長け10ヶ国語以上の言語を話し音楽家としても一流であったという伝説の貴族だ。

 そういや流暢すぎて気にしなかったけど日本語を喋ってるな。語学はからっきしだから助かったが。

 他にも沢山の宝石を散りばめた豪華な衣装を身に纏い普段は丸薬とパンしか口にせず、謀略によってフランスを追い出された後も世界各地を放浪して顔料と色彩についての研究を続けていたと伝えられている。色彩の研究か。やはり本人なんだろうな。


 300年前の人物だがサンジェルマン伯爵には不老不死の逸話があり、2000年も4000年も生きていると18世紀の宮廷で既に言われている。

 ソロモン王やシバの女王とも面識があり、騎士の一人として参加した十字軍でリチャード一世とも話した事があるという。

 教会勢力とは不仲のはずだから実はスパイだったんじゃねえかな。フリーメイソンの思想に影響を与えたという薔薇十字団に所属してたって話も残ってるしフリーメイソン、いやブルーブラッド側の人間であるのは間違いないんだ。


 さまよえるユダヤ人という、刑場へ引かれるキリストを侮辱した罪として死ぬことも出来ず永遠に世界を彷徨うユダヤ人の伝説も残っている。

 おそらくサンジェルマン伯爵を敵視した教会勢力によるヘイトスピーチだな。それ程に恐れていたのか。


 確かに神智学という瞑想・探求・議論によって神の叡智に触れる事で世界の理を知ろうとする学問においてサンジェルマン伯爵は霊的な知識と力を備えたマハートマー、偉大な魂の持ち主であると見做されている。実際に俺以上に世界の仕組みに詳しそうだしな。敵としちゃ恐ろしいか。


「本物の蛇人間すら対処できる爺さんでも異次元の色彩には手が出ないのか?」

「無駄ですな。科学も魔術も色を奪われて燃え尽きる。餌にしかなりますまい。アメリカ軍は焦土戦術で周辺地帯を先んじて燃やし尽くして現状維持をしようとしたが、焼野はじわじわと広がり続けておる。人の手には負えんな」


 なるほど、人間に創造できるような生命体じゃねえな。格が違うって奴か。

 あるいは現神の始まりとはそのような生命であったのかもしれない。もしくはサンジェルマン伯爵のように長い歳月の果てに殻を破ったか、それか。

 穂村のような精神的な超越による突然変異。

 リデルに聞いたが村雨ヒバナの固有能力『双転移』の対象に空気が含まれるのは明らかにオカシイらしい。それは10万登録者に到達して初めて可能となるようバーチャル能力の仕様上、決まっている。穂村は自分だけの現実でルールを曲げた。精神力だけで異能のルールに逆らったのだ。

 リデルに言わせれば根性で水の上を走り続けるような馬鹿げた事なんだそうだ。そういう人間が実在していること自体が信じられないと言っていた。


 そして俺も区分で言えば穂村側の人間だ。本来なら直視して発狂しないはずがない邪神を見て正気を保った。

 ルールを逸脱する何か。世界にはそういうものが確かにあるのだ。


「現状は理解した。それで爺さんは俺に何の用で会おうと思ったんだ。新世界創造計画なんて爺さんが本気になりゃ可能だろ。警告して止めさせようって感じでもないな」

「貴女は自分を過小評価しておりますな。人造異界の創造など私ではコストが釣り合わない」

「やっぱ出来るのか。俺って全然チートじゃねえな」

「面白い冗談ですな」


 笑ってサンジェルマン伯爵は本題を切り出した。


「貴女には衰退したオカルト文化を復興させて欲しいのです」





 サンジェルマン伯爵の狙いはシンプルだ。クトゥルフ神話の邪神の同化は人に止められるものではなく、密かに促進しようと蠢く邪神の信奉者を葬って対処するのが限界である。故に現神の別側面である神格を強化することで相対的に邪神の側面を弱体化させようとしているのだ。

 先程のワインの話に例えると、泥水の混じってしまったワインに上からドバドバと新たにワインを注ぐことで中和しようって事だな。泥水が混じってしまった事実は消せないがワインに近付ける事ならば出来る。

 でもオカルト文化を衰退させたのはフリーメイソン自身だ。今更、復興させようと動いた所で他の組織は信用しないし協力も得られない。

 そこに登場したのが他者にオカルト能力を与えられる俺ってわけだ。しかも邪神と対面して発狂しない所かオーディンとしての神格を強化して現神を正気に戻したっつー逸話付き。


 なんか爺さんが俺に対して丁寧な対応をするなって思ってたんだが、客観的に考えると確かに俺って異常だな。

 クトゥルフ神話に登場する邪神ってのはフィクションとして書かれた架空の神で、複数の作家によって意図的に形成された神話体系だ、表向きわな。でも作品上だろうと邪神は人間が戦うとか影響を与えるなんて出来るような存在じゃなかった。文字通り神なのだ。人間とは次元が違う存在だ。

 しかも話し合いの類いも通じない。クトゥルフ神話の邪神ってのは要するに宇宙を泳ぐ深海生物みたいなもんだからな。地球に住む邪神は大陸並に大きいイカやタコを想定すりゃそう間違っていない。彼らが旧支配者と呼ばれているように本来の地球の支配者は地球在住の邪神であり、人間は彼らが眠っている間に繁殖したカビみたいなもんだってのがクトゥルフ神話の世界観だ。ガチで生息してんだよな邪神。外宇宙とか異世界の惑星の話で良かったよ。対処のしようがない。


 普通の邪神は知性があるかも定かじゃないし会話の通じる邪神は邪悪でこちらを陥れようとする。そもそも会話しようと対面したら発狂するし、発狂した狂信者は地球に邪神を降臨させて星を滅ぼそうとする。

 辛うじて効果のありそうな呪いの類いは習得するだけで正気を削る。強くて世界の真相に詳しいキャラは危険人物とイコールなのだ。

 クトゥルフ神話のTRPGもあるんだが、あれは宇宙的恐怖から生還して正気を保つってのがハッピーエンド扱いだからな。事態の根本的な打開なんてそもそも想定されてない。

 俺が探索者として出て来たらチート過ぎて怪しまれるレベルだな。


「色々と腑に落ちたわね」

「リデル、爺さんが霧みたいに消える前に出てきてくれよ。俺よりも世界の仕組みにも神様の啓示にも精通してただろうに」

「伝説の錬金術師に気軽に会おうなんて思わないわよ。下手をしたらバーチャルキャラクターを珍しいとコレクションに加えようとするかもしれないじゃないの」


 確かにな。伝説では誹謗中傷されようが謀略で国を追い出されようが泰然として研究を続けたってあるんだが、逆に考えると俗世よりも研究と研鑽にこそ重きを置いてたって事になる。邪神の侵食なんて非常事態じゃなきゃ俺もヤバかったのかもしれないな。


「それより私が出てきたのはサンジェルマン卿の補足をしようと思ったからよ。一応は神の啓示なのだから真剣に聞きなさい」

「おう、頼む」

「他者覚醒のチート情報にオーディンからのメッセージが残されていたわ。どうやら私が生まれることは織り込み済みだったらしいわね」


 リデルの発言に思わず顔をしかめた。神様の掌の上っぽくて運命関連の話題は好きじゃないんだよな。


「『世界を神話の時代に巻き戻せ』これが貴女のヴァルキュリアとしての使命になるわ。現代社会を崩壊させようとしているのかと疑って伝えなかったのだけれど、今なら真意も読み取れるでしょ」

「理解できるけど、お前の方が禁則事項を破ってんじゃねーか」

「最悪の場合は発狂するのだから仕方ないでしょ。今回なんて隣の女子の下着が見えてるから注意するよう促すのと、隣の女子が実はノーパンだからスカートをめくるよう唆すくらいの隔たりがあるじゃない」

「リデルってやっぱアリス姫なんだな」


 ムッツリスケベの片鱗を見せたリデルを生暖かい目で見ながら啓示を思い返す。

 世界を神話の時代に巻き戻せ、か。確かに誤解されそうな内容だな。

 この発言は別に現代社会を崩壊させて蛇神から信仰を掠め取れって言ってるわけじゃない。多分、おそらく、きっと。

 まあ多少の他意はあるかもしれんが本当に言いたいのはこういうことだ。


【世界に神秘を取り戻し侵略者に抗え】


 いいね、面白くなってきたじゃないか。

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