佐藤江利香の箱庭事件その1

 私、佐藤江利香(さとうえりか)はひめのや株式会社の運営するVtuberグループ、ワンダーランド所属のVtuber。

 Vtuberというのはアニメのキャラクターが現実世界のアイドルのようにファンと触れ合い反応をするという新しい時代のコンテンツで。芸能人でもない生身の素人が個人で配信をしてリスナーと交流するというこれまた新しいコンテンツのYouTuber亜種と言ったところ。一緒にすると怒る人もいるけど。

 アニメと明確に違うのは台本がなくキャラクター単体が画面を抜け出して現実を生きてるように振る舞ってるところかな。最初に見た時は衝撃だった。

 今じゃモーションキャプチャーという技術も有名になり、Vtuberも生身の人間であることを隠さない人が多くいて、アイドル文化の親戚のような位置づけに落ち着いたけど。これはこれで新しい時代が到来したようでワクワクする。


 まあVtuberは芸能界と同じく収入も社会的立場も不安定だから両親には反対されたけどね。高校在学の間に面接したVtuber企業が何とお兄ちゃんの所属している企業だったことが判明してからは消極的ながらも応援してくれるようになった。

 これはお兄ちゃんがVtuber企業に所属した経緯が特殊すぎるからでもある。何とお兄ちゃんは一度、死んでいるのよね。

 原因はウィッチクラフトの秘術を失敗したから。後で嘘だって判明するんだけど両親は未だに信じている。でも、ゲーム内に魂を送り込んで自主的にデスゲームを遊んでいたのが原因だったと説明してもね……。魔術の失敗と大して違わない気がする。


 こんな異常事態にお兄ちゃんが巻き込まれたのはネトゲで所属していたギルドに本物の魔女、いや悪魔みたいな奴がいたせい。

 正体はフィクションによく登場するチート転生者。嘘みたいな話ね。アホらしくて真面目に考えるのが嫌になるわ。

 でもその力は本物で、私もお兄ちゃんも魂を覚醒させて異能者になった。思っていたより現実は遙かにファンタジーをしていたみたい。

 死後に魂を譲渡しなきゃならないなんて契約を結んじゃっているけど、契約した相手の方が命令することを本気で嫌がっていて自由が束縛されるわけでもないようだし、契約自体がこっちの利益にしかならないっていう特殊な状況にある。不老不死を約束してくれるとか契約したがる人間は多いんじゃないかな。


 チート転生者であるアリス姫の性格は話を聞く限り問題はないように思う。むしろ、ここまでの力と立場を持っていて横暴にならないでいられるってあたり人格者と言っても良い。いや性欲には弱いかな。でもハーレムになってるのは周りの要望を聞き入れたからに見えるし問題はないと思う。多分。

 私は話を聞いただけだけど、殺されかけてもその姿勢を変えないあたり本物だ。ちょっと見ていて怖いくらい。


 襲撃したのは私と同じVtuberで村雨ヒバナ、ううん。穂村雫って名前の人。

 バーチャル能力で出現したヒバナちゃんとは話したことがあるし、性格も全く違うからヒバナと呼ぶのは抵抗があるのよね。穂村さんってアリス姫以上に性格がぶっ飛んでいるから余計に。

 私と同じようにワンダーランドのVtuberになりたくて面接を受けに来ただけの一般人のはずなんだけれど、人に危害を加えることに一切の躊躇いがない。たとえ殺人を犯しても普通に日常生活を送ることが出来る。所謂サイコパスだ。

 しかもアリス姫を殺そうとしたのは善意故だという、よく分かんない理由だ。未来予知で知った絶望の未来に抗ったのだとか。


 うーん、フィクションではよく見るんだけどな、そういうキャラ。美味しい役所だし漫画なら好きなキャラになるかもしれないけど、現実で一緒に暮らすのはちょっと勘弁して欲しい。

 そう、現在の私はひめのや株式会社の本拠地であるマンションでワンダーランドの皆と共同生活をしている。高校在学中にデビューして卒業と共に実家である青森から東京に上京して来た。別に共同生活を送る必要はないから一緒に暮らしたくないなら他にマンションを借りればいいんだけど、家賃無料の誘惑には抗えなかった。

 食堂のご飯も無料だし、美味しいんだよね。雇われてパートで来ているおばちゃんは元は高級レストランでシェフをしていたらしく腕は一流。食材も一級品で伊勢エビとか普通に出てくる。

 こんな所を出て行って一人暮らしとか無理。貧乏暮らしに耐えられるような舌じゃなくなっちゃった。


 でも、穂村さんの一件で同僚のVtuberであるモロホシちゃんが怒ってビンタしてから空気が悪いんだよね。

 偶然一緒のタイミングで食堂に揃っちゃうともう最悪。ひたすらに無言の時間が到来する。

 穂村さんの方は本気で、一切気にしてない。ああ、そんなこともありましたね、そう呑気に言って普通にご飯を食べる。

 モロホシちゃんは泣きそうになりながらも意地で耐えて一緒にご飯を食べる。ここで逃げたら負けだとでも思っているのかもしれない。


 だけども。巻き込まれる方は堪んないから、お願いだから時間をずらして。

 この件に関してひめのや株式会社の社長でありワンダーランドグループのリーダーであるアリス姫はこういう見解だ。


「そりゃ同じ学校や会社に仲の悪い奴ぐらいはいるさ。最初は何とか間を取り持とうかとも考えたがな。でも表面上だけ取り繕った所で何の意味がある。Vtuberとして不仲は確かに一種のスキャンダルだ。百合営業のように仲の良さはエンタメにし易いが不仲は工夫して努力しないと見れたもんじゃないからな。誰がわざわざストレスを感じに配信を見に来る。だから普通は仲良くさせようとする。それが普通のVtuber企業だろう。だが」


 俺はしない。同調圧力で無理矢理に従わせるとか吐き気がする。

 そうアリス姫は言った。何かトラウマでもあるのかしらね。


 確かにワンダーランドでの村雨ヒバナの立場は特殊で仲の良いVtuberはアリス姫しかいない。他のVtuberとコラボもしないし大型コラボや配信で偶然に会った時は空気が凍り付いてぎこちなくやり取りをすることになる。

 でもそれを最近、リスナーは受け入れつつある。そういう芸風なのだと納得し始めている。

 茜ヨモギの時代を知っているリスナーは集団無視のイジメかと荒れることもあるけど、村雨ヒバナしか知らないリスナーはKYキャラなのかとそういう理解をしたんだと思う。まあ、あってるっちゃあってる。


 だから何も問題はない。わけじゃない!

 結局、職場の空気が悪くて居心地が良くないのは変わってないのよ。さっきもモロホシちゃんと穂村さんに挟まれて折角の高級料理の味がしなかった。

 アリス姫は仕事で海外に行かなきゃいけないってここしばらく見かけないし、タラコ唇さんとミサキさんも旅行感覚でついて行っているし。

 私とお兄ちゃんとピグマリオンさんだけが間に挟まれて狼狽えてるのね。

 他の人はVtuber同士で一緒の席の方が良いでしょうと離れて避難してるし、自室で食事を取ってたりするし。


 居心地悪くて何とかしたいんだけど、モロホシちゃんに色々と言うのは何か違う気がするし、穂村さんに説得の類いは無駄だと思い知らされたし。

 あははっと空笑いしてモロホシちゃん側とだけ話したり、穂村さん側とだけ他愛ない話をして場を濁したり、お兄ちゃんと愚痴を言い合ったりピグマリオンさんが狼狽えてパントマイムするのを見物したりして日々を過ごしてる。

 ピグマリオンさん頑張って昼食中は劇をし続けてくれないかな。見てるだけで夢中になって時間が経つのが早いから楽なんだよね。

 本人は凄い汗だくになってるけど。


「そんなことより、マスター。もっと考えなきゃいけないことがあるんじゃない?」

「うっ。考えないようにしてたのに」


 私のバーチャルキャラクターの赤衣エリカの言葉に最近の悩みを思い出してブルーになった。

 アリス姫に私が貰ったチート能力はバーチャル能力。この能力は固有能力と禁則事項を持つバーチャルキャラクターを呼び出すサモンバーチャルの他にもう一つ能力がある。それがバーチャルトラベル。渡航という名前が付いてるけど登録者数に応じた広さの世界が手に入るというトンデモ能力だ。バーチャル力と引き換えに現実世界の物品は何でも手に入るしVtuberのチート能力は優遇されてると思う。


 でも、アリス姫が言うにはチートには落とし穴が付随してるって話。リンク能力のリバースリンクは実はデスゲームだったりね。それでお兄ちゃんやタラコ唇さんも一度死んじゃっているし。バーチャル能力の落とし穴は禁則事項と集団無意識によって形成されたバーチャル界と自己領域が繋がってることだろうって推測してたっけ。それで私も注意されたの。白い靄の向こう側には行くなって。


「アンタが私を蹴り飛ばさなきゃあんな事になってないのに……」

「それは禁則事項だから仕方ないわ。『臆病』風に吹かれてたくせに興味津々で境界付近にいたマスターが悪い」


 だってあんなに意味深に漂ってる靄の向こう側にファンタジーな生物がいるかもしれないって聞かされて興味を引かれないわけがなくない?

 実際に居たわけだし……。


「しかも犬や猫を拾う感覚で妖精を拾ってくるって」

「懐かれて何時の間にかフードの中に潜り込んでたんだから仕方ないじゃないの」


 アリス姫とタラコ唇さんが精霊を見たというのが羨ましくてつい気を許してしまった。

 まあ、一匹くらいはいいかなって自己領域に住まわせることにしたんだ。妖精が好むという古木や花畑に果樹を領域内に生成して。

 妖精も喜んで飛び回ってたから私も満足して、それで。


「まさか友達どころか集落レベルで招き寄せるとは思わなかった」

「あれ完全に自己領域を占拠されてるわよ。マスターが訪れる度に攻撃されるのは遊んでるんじゃなくて威嚇されてるからでしょ」

「やっぱそう思う?」


 軒を貸して母屋を取られる。まさか妖精と居住トラブルで揉めることになるなんて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る