第62話 イソメ係
釣りと言うのは、こんなにも心が落ち着くものかと感動する。
何か特別に面白い事があるわけでもない。景色も変わらず、有り体に言えば"暇"と言っても良いだろう。
しかし、美しい瀬戸内海の景色を見ながらボーッとしていると、波や青空と一体になった様な感覚になって、どうにも言えない心地良さを覚えるのだ。
「……来た!!」
そしてそんな静かな時間の中でアタリが来た時の一瞬の興奮。
……これは病み付きになる人がいるのも分かる。
「ええー!?またあかりかいな!!」
雄介君が納得のいかない声を上げる。
今日の釣りでトップを走っているのは、あかりちゃんだった。
そのまま釣り上げ、あかりちゃんは慣れた手付きで釣り針からカサゴを外し、クーラーボックスに入れる。
堤防に石で書いた釣りレースのスコアには、あかりちゃんの名前の横に正の字が出来上がっていた。今日5匹目である。
「……5匹目、アタシがトップ……!!」
自身で一角足し、正の字を完成させるといつもの得意げな顔で私達を見てきた。
「おかしいって!!何であかりだけそんな釣れるんじゃ!?」
翔太君も納得行っていないのか、抗議の声を上げる。
「……実力の差。アタシはお魚さんに愛されとるんよ……」
自信満々に胸を張ってそう言い切るあかりちゃん。本当にこの子の性格は魚にも愛されるのではないだろうか?そう思うぐらいの絶好調ぶりだ。
レースのスコアは、トップがあかりちゃんで5匹。次いで蓮君が4匹。その下に雄介君と翔太君が3匹。そしてビリに私で、さっき釣ったカワハギの1匹しか居ない。
「まあ、"イソメ係"は京香ちゃんに決定じゃから、ええんじゃけどなー」
雄介君に揶揄う様にそう言われて私は苦笑いになる。
"イソメ係"。それは魚の餌であるイソメを釣り針に刺す係の事で、蓮君が子供の頃から存在する、釣りでの罰ゲームの様なものらしい。
このイソメがかなりの曲者で、手で釣り針に刺さないと行けないのだが、まず見た目がグロテスクなのだ。
私以外の4人は慣れているのか、躊躇なくブッ刺しているが、慣れていない私は、正直申し訳ないが触る事さえも相当の勇気を要する。
そして全体がヌルヌルしているので釣り針に刺し辛い。
頑張って私も何度か挑戦したが、結局上手く出来ず、蓮君にやって貰うのが殆どだった。
「心配せんでええよ、時間は昼じゃけん、まだ時間はある。それに今日の釣りは、ある意味で"出来レース"なんよ」
しかし、蓮君は少し悪そうな顔をしてそう言う。
出来レース?ここから逆転する算段でもあるのだろうか?
「もう少しで、釣りがバリ下手なんが来るけえ」
「……それってもしかして……」
雰囲気で私は察する。この釣り場に来ると言う事は、おそらく近所の、この島の人間だろう。
そして、蓮君も私も知っているこの島の人物と言えば……
「あ、
学校で何度も聞いた声がする。その方向へ顔を向けると、案の定由美ちゃんが笑顔で近づいて来た。麦わら帽子を被って、釣竿を右手に持っている。
「おー、部活お疲れー」
「あんの鬼顧問、お昼ギリギリまでやりおってからに!!お陰でぶち急いだわ!!」
相変わらず剣道部の顧問に愚痴を言う由美ちゃん。
いつも通りの平常運転に、私も笑みが溢れる。
「おーっす、チビっ子。釣れよるかー?」
ひとしきり愚痴を言い終わると、次に由美ちゃんは子供達にそう問い掛ける。すると雄介君と翔太君が嬉しそうに近づいて来た。
「あー!?由美じゃー!!」
「おー!!由美じゃー!!」
その喜び様から見るに、相当懐かれているらしい。
「あはは、皆んな真っ黒じゃのう!!チョコ菓子みたいじゃ!!」
……その例えはどうなのだろうか?しかし、由美ちゃんがこうやって子供に懐かれているのは、似合っているというか、実にしっくり来る。
「……由美、見て……!!」
すると、あかりちゃんが重たいクーラーボックスを引きずって来て、由美ちゃんの前でクーラーボックスを開いた。
どうやら自慢したいらしい。
「おー、今日はよう釣れとるなー。お、"ハゲ"が
「ぶふっ!!!」
由美ちゃんから出てきたハゲと言う単語に、蓮君が吹き出す。
「何ね?急に笑い出しよってからに?」
「な、何でもないよ!!ね!!蓮君!!!」
さっきの私の失態を由美ちゃんに知られたら、未来永劫ネタにされる事は目に見えている。なのでその前に私は蓮君に釘を刺す事にした。
「う、うん。そのハゲ、京香ちゃんが釣ったやつなんよ?」
蓮君も察してくれたのかタジタジとなりながら私に同調する。
「?、まあええわ。ほいで、スコアは?」
由美ちゃんは少し疑問に思った様だが、どうやらなんとか誤魔化せたらしい。
「あかりがトップで5匹」
蓮くんがそう言うと、あかりちゃんは胸を張って得意げな顔になる。
「ボウズは?」
「京香ちゃん。そのハゲ1匹」
蓮君に現実を押し付けられて顔が強張ってしまう。
そうだ。このままではイソメ係になってしまうのだ。
「ほうか、おーっし!!今日は釣るで!!」
すると、意気揚々と由美ちゃんは釣りの用意を始める。
「どうせボウズじゃろー?由美が魚釣るなんて明日は雪が降るで」
「うっさい!!見とれこのハナタレ!!」
雄介君が馬鹿にしながらそう言うと、負けじと由美ちゃんが返す。
……なるほど、蓮君が出来レースといった理由が、だんだんと理解できた。
「因みに、ドベは次のイソメ係な?」
「…………え?」
そして蓮君のその一言に、まるでコントの様に固まる由美ちゃんであった。
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