第54話 特別な日②


 体育館に着くと、静かだった空気は、より一層静けさを増し、耳に聞こえてくるのは、蝉の鳴き声のみだった。

 私も皆も体育座りをして、その時を待っている。

 時刻は8時14分。そして体育館に設置されている秒針が一回りし、8時15分になった頃、全校生徒が集まった静か過ぎる体育館に、先生の声が響き渡った。


 『それでは皆さん、ご起立下さい』


 一言、マイクで先生がそう言うと体育座りをしていた生徒達が一斉に立ち上がる。

 未だに静か。

 秒針は流れ、その時が一刻一刻と迫る。10秒、20秒、30秒。

 そして時計の針が8時15分45秒を刺すと同時に、その言葉は発せられた。



 『黙祷』



 私は少し下を向いて、目を瞑る。世界は何も変わらない。相変わらず蝉はうるさい程に鳴いているし、空には青空が広がっている。

 お父さんはいつも通り仕事に行き、お母さんは洗濯物を干して、街では人々がうちわで顔を仰ぎながら信号待ちをしているだろう、少し汗ばむほどに暑い、私の知っているいつもの夏だ。



 しかし、約60年前の夏のこの日は、その限りでは無かった。



 黙祷は1分。その間目を瞑り、私は色々考える。

 テレビ中継でしか見た事がなかった平和式典。

 東京にいる頃は他人事の様にその平和式典を流し見していたが、こうやってちゃんとしてみると、実感する。



 そう遠く無い昔のこの日、10万人以上の命が一瞬にして消えたのだ。




 『ありがとうございます。姿勢を崩して下さい』


 再び先生からそう指示されると、私は姿勢を崩してリラックスした体勢を取る。

 何故だが少し緊張して、ホッと一息、溜息をついた。


 『それでは、これから原爆を経験された方達の談話に移ります。全員、座れ』


 すると、腰の曲がった70前半ぐらいであろうおじいちゃんが、体育館の壇上の上に立った。由美ちゃんの言う通り、ここからはお爺さんが子供の頃に体験した原爆の話をする様だ。

 これも、東京では無かった事だ。

 


 『えー、皆さん、おはようございます。今日も暑いですねー……』



 お爺さんはしみじみと、懐かしむ様に当時のことを語る。私は、その貴重な話を、食い入る様に聞いていた。


 

 ____________




 「お疲れー、京香ちゃん」


 「あ、う、うん。お疲れ。由美ちゃん」


 行事も終わり、帰りの廊下では賑やかさが戻っていた。朝のあの重苦しい雰囲気とは全く別物だ。


 「案外早よう終わったね」

 

 時刻は現在9時過ぎ。由美ちゃんが予想していた時間と同じだった。 

 

 「う、うん。そうだね……」


 由美ちゃんはいつも通り、明るい感じに戻っているのだが、私はまだ衝撃を受けていた。

 それ程に、あのお爺さんの話が衝撃的だったのである。


 「?、どしたん?変な顔しよってからに」


 「……由美ちゃんは、あんな話聞いて平気だっだの……?」


 怒り、と言うわけでは無いが、あまりにもいつも通りな由美ちゃんにモヤモヤとした気持ちが湧いてくる。

 すると、由美ちゃんが今まで見せたことのない様な顔をする。いつも笑顔な彼女が見せるその表情に、少し焦ってしまう。

 

 「………朝も言ったんじゃけど、ウチは小中学校の頃からこの日に登校しちょるけんなぁ。ああ言う話はよう聞くんよ」


 「……そ、それが……?」


 今まで見たことのない雰囲気の彼女に、私はたじたじとなる。


 「ほいでな、広島こっちでは小学校の4年生ぐらいになったら、原爆資料館ってところに行くんじゃけど、京香ちゃん知っとる?」

 

 由美ちゃんの問い掛けに、私は黙って首を横に振る。


 「そこがまた子供にとっちゃあ、トラウマになる様なところでのう。原爆で肌が焼け爛れた人形とか、熱線で真っ黒に焼け焦げた子供用の三輪車とかが展示されちょるんよ」


 「っ!!………」


 由美ちゃんの口から出た言葉を聞いて血の気が引いた。

 原爆の恐ろしさを話で聞いただけで私はこんなに参っているのに、現物を見てしまったらどうなるんだろう?

 体育館でのお爺さんの話では、原爆で肌が焼け爛れた人が、水を求めて川に次々と飛び込み、死んでいったと話していた。

 その話が一番衝撃で、こうやって行事が終わっても、尾を引く様に気分が上がらない。


 でもそんな資料が、現物として残っているとしたら?


 「原爆の怖さは広島県民が一番知っちょる。平気な訳あるかいな。今の京香ちゃんの言葉、簡単に他の人に言わん方がええよ?」


 由美ちゃんはやはり口調は怒っている様で、私は落ち込んでしまう。

 そうだ。彼女は広島県民だ。原爆の恐ろしさを知らないはずがない。


 「ご、ごめんね?」


 明らかに今のは失言だっただろう。慌てて私は謝る。

 それと同時に、そんな事も知らない私は余所者なのだと分からされている気がした。


 「べーつに?怒っとりゃせんよ?」


 すると、由美ちゃんはいつもの調子に戻り、私に近づいて揶揄う様に私の頭を撫でて来た。


 「まあ、最近はこの話に興味を持たん人も多いけぇな。それに比べりゃあ、京香ちゃんは偉いぞー?」


 先程の怖い顔では無く、いつも笑顔の末籐由美だ。それを見て私もホッと、安心する。


 「も、もー、子供扱いせんでよー」


 安心仕切った私はため息と共に広島弁が出てしまう。


 「あー、広島弁が出たのうー?」


 「由美ちゃんのせいだよ!」


 その後は、いつもの通りにじゃれつき合う。


 そしてさっきの由美ちゃんの態度を見ても分かった。

 やっぱりここの人たちにとって、この日は特別な日なのだろう。

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