第53話 特別な日
8月に入ると、唸る様な呉の暑さが一層に増す。
時刻は7時。外に出るのがますます億劫になるが、今日はそうは言ってられない。
学校へ行かねばならないのだ。
何日ぶりかの制服に袖を通すと、なんだか新鮮な気持ちになる。東京では夏休みに制服を着る事は無かったからだろう。
今日は部活とかでは無く全校生徒が集まる日なので、久しぶりに由美ちゃんと顔を合わせれるのが楽しみだ。
身支度を終えると、学生バッグを持って私は階段を駆け降りる。
「あら、京香、もう出るの?」
「うん、今日は早めに学校に行かないといけないから」
リビングに行くと、母親が朝食の準備をしていた。
いつもなら学校へ行く前に朝食を食べるのだが、今日は8時には学校へ着いていなければならないので、家族との朝食の時間が合わない。
「そう、行ってらっしゃい。ああ、そうだ。ついでにそこのカレンダーをめくっといてくれる?」
「うん、分かったー」
恐らく朝にカレンダーをめくるのを忘れていたのだろう。母親は朝ごはんの準備で手が離せないので、私はリビングに立て掛けてある日めくりカレンダーを一枚めくる。
今日の日付は、8月6日だ。
______________
「久しぶりー!!由美ちゃん!!」
「久しぶりじゃのう!!京香ちゃん!!!」
クラスの教室。ただの10日ぶりほどに会っただけだと言うのに、私と由美ちゃんは、まるで数年ぶりに会ったかの様なリアクションをしていた。
花火大会の後、夏休みに入ってから由美ちゃんとはメールでやりとりしているが、彼女は剣道部に所属しているので遊ぶ予定が合わない事が多かった。
3日後に広島市内の街まで出て買い物をする約束はしているのだが、こうやって顔を合わせると、やはり安心する。
「由美ちゃんは、今日もこの後部活?」
「ほうなんよー!こがいなぶち暑い日に胴着を着けて部活なんて、ウチらを殺しに来ちょるんかっつー話よ!!あーあ、芳賀君の野球部みたいに剣道部もゆるーい感じじゃったらのう……」
ぶつくさ文句を言う由美ちゃんに私は苦笑いになる。剣道部はどうやらキツい部活らしく、心なしか由美ちゃんの顔もげんなりしている様に見えた。
「今日は学校に集まる日じゃからって、あの鬼顧問、一日中練習する言うとるし……」
そう言うと、由美ちゃんは机に項垂れてしまった。
「あはは、ご愁傷様」
私は、この後こってり絞られるであろう由美ちゃんに同情しながらそう言う。
すると、ある疑問が湧いた。
「そう言えば、今日って具体的に何やるの?」
私は話題を変えて、今日学校で何をやるのかを由美ちゃんに聞く。
夏休み前に先生からフワっとは聞いていたのだが、具体的には何をするのだろうか?
「うーん、去年は体育館に集まって黙祷して、爺さん達の話を聞いたけぇ、今年もそうなるじゃろ。9時過ぎには終わるで」
由美ちゃんの言葉に私はうんうんと頷く。
なるほど、それほど時間は掛からなさそうだ。
「まあ、毎年やっとる事じゃけえな。大事な事よ」
「………そうなんだ。東京じゃあ、この日に登校しなかったからなあ」
「ええ!?それホンマ!?……うっそ、信じられんわ……」
言葉通り、信じられない様な顔をして、机に項垂れた体勢から勢い良く上体を上げる由美ちゃん。
「そ、そんなに?」
そんな表情に私もたじたじとなる。大事な日なのは分かるが、そこまで反応する事だろうか?
「
地域差のギャップという事だろうか?今日、この日が登校日では無い学校がある事に、由美ちゃんはショックを受けている様だった。
しかし、今日この日が広島の人にとって"特別な日"な事は、余所者の私にも分かっているつもりだ。
_______ピーンポーンパーンポーン________
すると、教室のスピーカーから、案内の音声が流れる。
『皆さん、おはようございます。もうすぐ8時になりますので全校生徒は体育館の方へ移動して下さい。黙祷を行います。繰り返します。全校生徒は体育館へ移動して下さい』
放送部の綺麗な声がスピーカーからこだまする。
それを聞いてクラスの皆んなは、ゾロゾロと席を立って行った。
「……行こっか、由美ちゃん」
「ほうじゃね」
私と由美ちゃんも席を立ち、体育館へ行くため廊下を出る。
『今日は広島に原爆が落とされた日です。皆さん静かに移動しましょう』
廊下を歩いている途中も、スピーカーからは、案内の放送が流れ続けている。
いつもなら騒がしすぎる体育館への移動も、今日ばかりは静まり返っていた。
そう、今日8月6日は、広島に原爆が落とされた日だ。
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