第2章 亜人の国 19話 エルフの森①

ドワーフの里を出てから数日。


エルフの森に到着をしたのだが、急に濃霧が発生して視界を妨げた。


そして···気がつくと、俺はミン達とはぐれて1人になっていた。




濃霧の発生が自然のものなのか、人為的なものなのかはわからない。だが、深い森の中での濃霧は非常に危険だ。


視界だけでなく、方向感覚すらを狂わせる。


この霧が魔法の類いとは思えないが、固執した考えは持たないようにした。


水属性や幻術の類いの魔法であれば、俺に触れた瞬間に何らかの反応を示すはずだが、自分が知らない術である可能性も否定はできない。


エルフ族は謎が多い。


文献による考察では、知性が高く、長命。容姿に優れ、耳が長いくらいの記述しかない。あまり、他種族との交流を好まない傾向から、その実態は広く一般には知られていないのだ。


俺は太い木の幹に背中を預けると、周囲の気配を読んだ。しかし、ミン達の気配は感じない。


はぐれてから、それほど時間が経過しているとは思えないが、これがミーキュアが言っていた、エルフの森は入ることすら難しいと言うことなのかもしれない。


他種族の侵入を拒み、長年に渡って特有の生活を続けてきた、精霊神の加護を持つエルフ。


イリヤも精霊族だが、エルフの植物精霊に対して、動物精霊を崇拝しているため、係累は違うそうだ。


植物精霊は大自然の力を操る付与術、動物精霊は召喚術と、それぞれ異なる恩恵を受けている。


話だけを聞いていると、魔法とは似て非なるものの印象を受けるが、フェリが使う精霊魔法と根幹は同じのようだ。


試しに、道中でイリヤの召喚獣と相対してみたのだが、物理的な攻撃以外は完全に無効化できた。やはり、魔力による産物なのは間違いがないらしい。


そんなことを考えていると、微かな気配を感じた。


弱々しい気配が一つ。


数百メートル先にいる。


俺は、その気配に向けてゆっくりと歩きだした。




感じた気配に向かって近づいていく。


警戒は怠らないが、害意は出さないようにした。


気配は弱々しく、殺気や敵意を向けるべきではないと、自然に頭が理解をしていたのだ


濃霧は未だに視界を遮っている。


ほんの1メートル先に近づかなければ、立ち並ぶ木々にも気づけないくらいだ。


大した距離ではないが、目的の場所に到着するために10分程度も費やしてしまった。


巨大な木の幹が見えてきたが、濃霧のせいで全体像が見えない。足下に視線をやると、ようやく気配の主を発見した。


『子供?』


抱え込んだ膝に顔を埋めた、4~5歳くらいの子供がいた。


灰色の髪の両端から、長く尖った耳が見える。エルフだ。


俺はしゃがみこんで、エルフの子供の顔の位置まで目線を下げた。


「どうした?」


できる限り優しい声音で聞く。


エルフの子供は、一瞬びくりとして顔をゆっくりと上げた。


怯えたような、驚いたような瞳。


口もとがわずかに強ばっている。


じっとみつめてくるが、言葉は出なかった。


「お父さんやお母さんは?」


ふるふると頭を振り否定する。


「そうか。お家がどこかわからないのか?」


こくんと頭を縦に振った。


迷子のようだ。


俺も同じようなものだが、こんな小さい子を放置しておくわけにはいかない。


「一緒に来るか?」


そう言うと、しばらく考える素振りを見せていたが、やがてこくんと頷いた。


立ち上がるのを待って、手を差し出す。


じっと見た後に、おずおずと手をつないできた。


あたたかい手だった。


濃霧はともかく、この子は魔法や幻術の類いではないだろう。




エルフの子供と手をつなぎ、歩調を合わせて移動する。


小さい手がぷにぷにしていて、かわいい。


子供ができたら、こんな感じなのだろうか?


これまでの生き方からは、想像もできなかった未来に思いをはせそうになった。だが、複数の気配が、それを中断させる。


気がつくと、数十メートルの距離で囲まれていた。


急激に膨れ上がる殺気に警戒をしながら、この距離まで敵の存在を察知できなかったことを分析する。


かなりの手練れ揃い。


しかも、濃霧だけでなく、気配を森の中···草木の揺れや昆虫、小動物の気配に紛れさせていた。


『この森をホームにしている勢力か。』


そんなものは、一つしかない。


エルフだ。


次の瞬間、微かな異音が耳に入り、タイガは子供を抱えあげて走り出した。


シュッ!


ザッ!


先ほどまでいた位置に、1本の弓矢が突き刺さる。


腕の中にいる子供が、ぎゅっと俺に抱きついた。


異音は弓の弦を引く音···弦音。


この世界では、弦は芋や麻などの自然界から得た繊維を束ねて用いるものばかりだ。科学繊維よりも伸びが少なく、弓への負担も低いらしいが、引く時の音が独特である。


ビィィィィン。


複数箇所から弦音が伝わり、すぐに矢羽の多重奏が耳に届く。


俺は一気に加速し、跳んだ。


一番近くの木の幹を蹴り、その反動を利用して、もう一つの木の枝に跳ぶ。


枝のしなりを利用して、さらに別の木に飛び移る。


肩をかすめるように矢が通過していった。


絶えず、体半分は木を盾にしながら動き続ける。360度を矢面にするよりも、180度に警戒する方が、当然余裕が出る。


数分間逃げ回っていると、相手の攻撃パターンも読めてきた。


5人一組での一斉射撃。それを2チームで交互に請け負っている。


深い森は奴等のフィールドではあるが、それを逆手に攻撃をかわし続けた。


しばらくして、子供と出会った巨大な木の幹が視界に入ってきた。


狙いがどちらなのかはわからないが、腕の中の小さい子を死地に追いやるような手段に、苛立ちをおぼえていた。


俺は巨木の前に降り立ち、バスタードソードを手に取った。




明確な殺気はない。


それなのに、エルフ達は身の危険を感じていた。


状況は圧倒的な戦力差で取り囲み、相手は風前の灯のはず。


しかし、これ以上の対峙は、エルフ達の拠り所である森が否定をしていた。


森は意思を持っている。


エルフ達は、その声に耳を傾けることを日々の糧としていたのだ。


そして、その森が相手とのこれ以上の対立を拒絶している。


攻撃を躊躇していたエルフ達は、黒髪の男の後ろに立つ子供が腕を伸ばし、掌をこちらに向けていることに気づいた。


そっと息を吐き出したエルフ達は、すぐに散会した。




子供を守るために、自分の背後に移動をさせたタイガは、敵の殺気が急速に消えていくのを感じていた。


なんだ?


何が起こった?


後ろから、服をくいくいと引っ張られた。


振り向くと、エルフの子が何かを言いたげにしている。


「どうした?」


言葉は返ってこなかったが、ある方向を指で示していた。


「あっちに何かあるのか?」


こくこくと頷かれた。


仕草がいちいちかわいい。子供は見ているだけで癒されるというのは本当だなと感じる。


先ほどまでの苛立ちはどこかへ行き、ほっこりとしてしまった。


やはり、エージェント時代に比べて、何かが抜け落ちたようだ。我ながら、緊迫感がなさすぎる。


ただ、悪い気はしないものである。


自分にも、普通の人としての営みができるのかもしれない。そんな淡い期待を持ちかけたが、思い直した。


亜神とか魔王と呼ばれている時点で、普通の人ではなかった。


これも、これまでのカルマの報いだろうか。そんなことを考えていると、手を握られた。


そうだ。


今は自分のことよりも、この子のことを考えるべきだった。




襲われた後の子供の態度がずいぶんと変わった気がする。


先ほどまでは、やんわりと握られていた手が、ぎゅっと力のこもったものとなり、俺をリードするかのように誘導をするのだ。


まるで、スーパーで欲しいお菓子をみつけて、親を引っ張っていく子供のようだ。


俺は苦笑いをしながら、手を引かれるままについていく。


てててと駆けるように前を走る子供は、顔は見えないが、何となく笑っているような気がする。


何がこの子を変えたのかはわからないが、嫌われてはいないのだろう。


冷静に観察をするが、子供らしさが際立つだけだった。もちろん、ソート・ジャッジメントで、この子に悪意がないことは掴んでいる。こんな年端もいかない子に疑いをかけるのもどうかとは思うが、そこはエージェントとしての習性だ。




10分ほど移動していると、いつのまにか霧が晴れていた。


深い緑に囲まれた景色は相変わらずだが、どことなく開けてきた気がしないでもない。


さらに5分ほど歩くと、急に視界が開け、大きな湖が見えてきた。


その湖畔には見知った顔が勢揃いしており、そこで初めて疑問を持つことになった。


迷うことなく、ここに俺を連れてきたこの子は何者なのだろうと。




「思ったより早かったわね。」


湖畔で待っていたミーキュアが、そんなことを言ってきた。


「···これは、あれか?何かを試されていたのか?」


「そうよ。それにしても、ずいぶんと気に入られたみたいね。」


ミーキュアの目線は、隣にいる子供を見ていた。手はまだつながれたままだ。


顔を上げた子供は、俺を見てはにかんできた。出会った時は、何かの闇を抱えるような暗い表情をしていたのだが···その可愛らしい表情にほっとした。


思わず微笑み返した俺に、子供は頬をピンク色に染めてうつむいた。


本当にかわいい。


···言っておくが、ロリコンじゃないからな。そんな風に考えた奴は、股間に風穴があくと思えよ。




ふと、何かの気配を感じた。


そちらを見ると、空間から急に人が現れた。


エメラルドグリーンの髪と瞳を持った美しい女性だった。


「転移?」


思わずつぶやいたが、神威術による転移は、もれなく吐き気をもよおすものだった。現れた女性は、涼しい表情をしている。


「転移というほどのものではありません。この森の何ヵ所かに、瞬間移動できる程度のものですよ。」


透き通るような声音で、俺の疑問に答えたのは目の前に現れた彼女だ。


「それだけでもすごいと思います。神威術ですか?」


「そう。私はハイエルフのアグラレス。初めまして、タイガ。」


アグラレスという名は、何かの文献で触れた記憶があった。


「エルフの女王陛下。そして···精霊神ですか。」


「あら、よく知っているのね。」


まさかとは思ったが、文献の記述通りのようだ。


アグラレスは、数千年の時を生きるエルフの絶対的統治者。そして、その長きに渡る人生で、エルフが崇高する精霊神への神格化を果たしたという言い伝えがあった。


ただの伝説の類いかと思っていたが、実在するとは驚きだ。


「とは言え、私は3代目なの。ハイエルフにも寿命はあるのだから。」


エルフよりもさらに高貴な存在と言われるハイエルフ。寿命は1000年とも、2000年とも言われているが、確かに彼女達にも寿命はある。代替りしてもおかしくはないだろう。


「ララノア。もういいわよ。擬態を解きなさい。」


アグラレスは、俺と手をつないだ子どもに向けてそう言った。


擬態?


ん?


突然、つないだ手が少し上に引っ張られた。


「···え?」


横を見ると、手をつないでいる相手が細身の···出るところはちゃんと出たキレイな女性に変わっていた。












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