第1章 102話 エージェントは、相棒と共に無双する①
『行くつもりか?』
神アトレイクは、俺の決断に気づいたようだ。
「解決できるのであれば、放っとけないだろう。」
『存外、お人好しなのだな。』
ほっとけ。
「それで、転移は使えるのか?」
『使えるぞ。』
ならば、尽力すべきだろう。
「転移できるのは、俺1人だけなのか?」
敵の規模にもよるが、他にも戦力が欲しかった。
テスラとは違い、平坦な地形が多いのであれば、下手をすると囲まれて一斉攻撃をされる可能性がある。気配を消したところで、見通しの良い場所で多勢を相手取るのでは、有効とは言えない。背中を任せられる相棒が必要だった。
『数人ならば、問題ない。』
おそらく、転移するところを目の当たりにされると、俺は後戻りができなくなる。真偽は別として、俺への認識はテトリアの転生者で確定するだろう。それを踏まえて考えると、細かいことを気にしない戦闘バカ···いや、おおらかな人物である必要がある。そして、背中を預けられる程の信頼と、超人的な強さがあれば言うことはない。
いる。
たった1人、条件にぴったりの奴が。
俺は、「トイレに行く」と退室をして、神アトレイクの転移術で目的の場所に向かった。
「はぁ~、体がなまる~。事務仕事は嫌いだ~···。」
執務室でため息を何度も吐き、ストレスが蓄積した頭をボリボリとかく男がいた。
「良いよなぁ、タイガは。魔人を撃破したら、次は魔物の群れを壊滅かよぉ~。」
そう、スレイヤーギルドのギルマス、アッシュ·フォン·ギルバートである。自他共に認めるバトル·ジャンキーの彼は、このところ執務室に缶詰め状態なのである。
懸念していた上位魔族の襲来もなく、これまでに蓄積していた書類の決済に追われる日々。外に出れるのは帰宅か、1日数時間の鍛練の時のみ。
何せ、執務室の扉や窓には、外側から魔法で幾重にも施錠がされており、無理矢理に破ると術者にすぐに伝わるのである。
施錠自体は簡単な魔法によるものなので、破ることは容易い。ただ、術者はアッシュが最も恐れる嫁なのである。後が恐すぎて、手が出せないのだ。
「いやだ~、朽ちる~、老ける~···。」
「オェッ!」
呪いの言葉を吐き続けるアッシュの背後から、突然嘔吐するような声がした。
「なっ!?って、ええーっ!!」
すぐに振り向いたアッシュは、予想外のものを見たのだった。
転移に関して、注意すべきことを神アトレイクに聞いていた。
『一瞬の事ではあるが、かなり強い重圧がかかる。』
まぁ、戦闘機に乗った時に味わうGくらいなものだろう、と根拠もなく軽く考えていた。
戦闘機でドッグファイトを行った際のGは、6~8Gと言われている。これは、パイロットの体重にその数値を掛けたものが、その負荷となることを表している。因みに、戦闘機の機体限界Gは、おおよそ9Gが設計上の過重耐久ラインと考えられるが、この領域に入ると人は間もなく異常をきたす。だからこそ、マイナス1.5~2Gの効果を持つ、耐Gスーツを着用して搭乗するのである。
タイガの経験論から言えば、そういった数値のGでも、一瞬であれば耐えることができたのだが、それが続くと脳への血液供給が絶たれて意識が飛ぶ。
神アトレイクからの返答では、強い重圧がかかるが、一瞬のことだと認識ができた。だからこそ、安易に考えたのだが、実際に転移に身をさらすと予想以上に強烈だった。
転移にかかった時間は、1秒と満たないわずかなものであったと思う。だが、重圧と言うよりも、全身が圧縮されるような感覚に見まわれ、特に内蔵にかかる負担が大きかった。胃を万力で締め上げられたような痛みが襲いかかる。
「オェッ!」
そして、目的地に着いた瞬間、それらの圧から急激に解放され、弛緩した胃の中身が逆流しそうになったのだ。
重圧の質が···違いすぎる。
涙目で、苦悶するタイガであった。
背後からの異音を聞いたアッシュは、反射的に振り向いた。
「なっ!?って、ええーっ!!」
視界に入ったのは、坊主頭。
剃毛から数日が経過していたため、1mmに満たない黒髪が地肌とあいまって、生え際から上をグレー調に彩っている。
「誰だっ!?」
それまで、まったく気配がなかったというのに、忽然と現れた男。アッシュは、瞬間的に間合いを取り、その男の顔を見た。
「て···え?え?え?」
そこにいたのは、この場所にいるはずのない、随分と髪型が変わってしまった友人だった。
「マジか?」
「マジだ。」
タイガは、アッシュにこれまでの経緯を説明した。
「1つ疑問なんだが···。」
アッシュが神妙な顔つきで聞いてきた。
「なんだ?」
「頭を剃る必要はあったのか?」
「そこかい!」
アッシュとは初めて出会った時から、不思議なほど馬が合う。普段はバカなことを言い合ってはいるが、この世界に来て途方にくれていた俺を信頼し、今の生活の基盤となるスレイヤーギルドに引き入れてくれた。
普段は嫁の尻に敷かれているが、いざ戦闘となると無類の強さを発揮する。修練を積み重ねて修得した俺の剣技とは一線を画し、驚くべきセンスを備えているのだ。
「それで、これからどうするんだ?」
「フレトニア王国に、魔物狩りに行くつもりだ。」
「それは、テトリアとしての使命に目覚めたということか?」
「そうじゃない。確かに、首を突っ込みすぎているとは思うが、俺はここでの生活を気に入っている。転移によって、拠点を変えることなく、広域の案件に対処ができると実証しておきたい。」
「なるほどな。確かに、それだと我儘を通せるかもしれん。しかし、政治的な干渉が入る可能性もあるぞ。」
政治的な干渉とは、この国に対する他国からの圧力だ。英雄テトリアを囲い込むのであれば、交易や国交を正常に機能できなくすると威圧されたりするということだ。
「その場合は、威圧してきた国の救援要請には応じないと言えば良い。」
「はは、それなら相手も口出しはできないか。しかし、英雄と言うよりも、どこかの悪徳貴族みたいだな。」
「俺は便利屋じゃないしな。そもそもが、テトリアの転生者と言われるような、高尚な思考など持ち合わせていない。」
「それで、俺のところに来た理由は?経緯説明のためだけって訳じゃないのだろ?」
アッシュの眼に、何かワクワクするような光が宿っていた。
「ああ。一緒に行かないかと思ってな。」
「···マジか?」
「マジだ。」
「それは魅力的···難しい相談だな。」
魅力的なんだな。
「立場を気にしているのか?王城に相談もなく、他国を救援したとなると、処罰対象になりえるからか?」
「いや、立場なんかどうでも良い。」
良いのか?
「他に理由が?」
「この部屋から出ると、魔法が発動してバレる。」
「魔法?バレる?何だそれは?」
「嫁に監視されている。真面目にギルマスの仕事をしていなければヤバい。」
出た。
世界最強のスレイヤーと呼ばれるアッシュの、最恐嫁。
「部屋から出ると言っても、転移をすればバレないだろ?数時間で戻れば良い。」
敵の規模にもよるだろうが、それで殲滅できないのであれば、日を改めれば良い。
「転移か···俺も一緒に行けるのか?」
「数人なら問題はないようだ。」
「マジか?」
「マジだ。」
「よし、行こう!今すぐに行こう!!」
アッシュは期待に胸を膨らます少年のように、輝いていた。
···しかし、本当にこんなのがギルマスで良いのか?
辺りは、さながら戦場のようだった。
魔物が徘徊する渓谷から少し離れた陣営。そこには複数のテントが張られ、そのほとんどが野戦病院のようにケガ人が収容される仮設の治療施設と化していた。
苦痛のうめきが周囲の空気を重たくし、看護をする者達も焦燥にかられている。
回復役の魔法士は、十分な数を投入していた。しかし、回復することができない者達が圧倒的に多いのだ。部分欠損や、魔物達に恐怖して精神に支障をきたした者、死に瀕した者など、通常の回復魔法ではどうすることもできないのだ。
しかも、戦況はかなり悪い。
魔物達が集中している渓谷に、地形を利用して攻め入るつもりが逆に強烈な反撃をくらい、全体の士気が著しく低下している。
「ここまで厳しい戦いになるとは···。」
何度もため息を吐きながら、負傷者を眺めていた男が呟いた。
騎士ではない。軽装の鎧を着け、腰には片刃の剣を提げている。
この戦いに参加した、スレイヤーギルドのギルマス、ケイメス·オーウェンだった。
彼は、かつてランクSスレイヤーとして活躍したが、依頼を遂行中に膝を負傷し、一線を退いていた。
人望が厚く、その経験を生かせと言われて今の立場となったのは、もう5年も前のことだ。
これまでに、仲間の不条理な死に直面したのは、数えきれないほどある。しかし、今回のように成すすべもない状況は、初めてのことだった。
「このままでは全滅する。どうすれば良いのだ···。」
悲観的な言葉を口走り、唇を噛む。両拳は、血の気がなくなるほど強く握りしめられ、ぶるぶると震えていた。
そんな時だった。
「「オェッ!」」
背後で嘔吐くような声がした。
しかも、ダブルで。
フレトニア王国騎士団の隊長格と、スレイヤーギルド幹部の面々が、現地拠点としているテントで苦渋に満ちた顔を突き合わせていた。
「一度、退いて立て直しを計った方が良い。このままでは全滅する。」
「我々騎士団が、敵に背を向けることなどできない。」
「騎士道も良いが、これ以上の犠牲は払うべきではないだろう。」
「しかし···。」
撤退を提案するスレイヤー側に対し、騎士団は戦いを継続すべきだと主張する。先程から話は平行線で進まず、今後の方針についての結論は出ていない。
「戻ったぞ。」
負傷者の状況を見てくる、と言って出て行ったケイメスが戻ってきた。
「ギルマス殿、ようやく戻られたか。」
そう答える騎士は、疲れきった顔をしている。
ケイメスは口角を上げながら、こう答えた。
「援軍が来たぞ。」
「援軍···ですと!?」
「それは本当ですか!?」
ケイメスの言葉に、場がにわかに活気づく。
「我々、王国騎士団には余力がないはず···と言うことは、スレイヤーですね。」
「ああ。」
ケイメスの言葉を聞き、士気が一気に上がったようだ。異常にテンションが高い。
「戦況を考えると、大隊程度の人員ですか?よくそれだけの者を招集できましたね。」
「あ···いや···。」
「外で待機しているのですか?それだけの人数なら、それはそうですよね。まずは、ここまで足を運んでいただいたことに労いの言葉をかけねば···。」
正に藁をも掴む勢いで、騎士団側の指揮官は暴走を始めた。ここが死地になるだろうと考えていた矢先に、戦況を覆すだけの戦力が間に合ったらしい。それを勝手な解釈ではあるが、際限なく良いイメージしか持てずに、大隊クラスの人員、上位ランクスレイヤーの精悍な面々、最大にまで達した士気が外にあると思い込んだのだ。
「あ···いや···先に話を···。」
ケイメスの言葉は無視され、指揮官はテントの幕を勢いよく開け放った。
他の面々も眼に力を取り戻し、開いた開口部から外を注視する。
「あ?」
「あ?」
そこには2人の男がしゃがみこみ、気だるそうに声を発している絵面があるだけだった。
大隊クラスの人員など、影も形もなかった。
それどころか、皆の視界に入ったのは、死んだ魚のような目をこちらに向けた、う◯こ座りをする2人の男だけだったのだ。
「「「「「「「へ?」」」」」」」
2人のうち銀髪の方は、うぷうぷと頬を膨らませ、何やら嘔吐いている。
もう片方はスキンヘッドに近い頭で、こちらはおかしな素振りはしていないが、感情のない眼でこちらを見ながら、何やらブツブツと呟いていた。
「こ···これは····。」
「···その、2人が援軍だ。」
ケイメスのトドメの一言が、会心の一撃となった。
そこに居合わせた者達全員が、魂を抜かれたが如く、フリーズしたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます