第1章 85話 そして、エージェントは伝説となる③
服が裂け、血煙が飛ぶ。
蹴りや肘打ちはガードをするが、ほんの少しでも隙を見せれば、剣が肌を切り裂こうと襲いかかってくる。
魔人の怒りの猛攻は、防戦一方のタイガを消耗させていった。
もちろん、タイガも隙を見つけては、カウンター攻撃を繰り出すが、相手の硬化魔法に阻まれてノーダメージに終わっていた。
しかし、武器を持たないタイガは、最初から苦戦を強いられることを予測している。
エージェントの任務では、いつも銃やナイフを携行しているわけではない。その場その場で、工夫を凝らした闘いができなければ、生き残ることができない過酷なものだったのだ。
事前に闘い方を、シミュレートすることはない。
何が利用できるのかを、頭の中でリストアップしておくだけだ。例えれば、戦闘に卓越したエージェントほど、より多くの戦術ファイルを用意しており、状況に応じて超高速で起動させると考えれば良いだろう。
「なんでやねん!」
タイガは、テトリアの鎧を纏うキーワードを発した。
まばゆい光が辺りを照らす。
「ぬぐっ!」
魔人は突然の光に視界を奪われた。
タイガは、その人中である鼻下、喉、鳩尾、股間に、拳による4連撃を加えた。
「ぐ···が···。」
硬化魔法については、前回の魔人との闘いで攻略をしている。要は攻撃が見えない、もしくは予測できなければ良いのだ。
「く···ぐ···なめるな!」
魔人が立ち直ったかに見えた。しかし、動きは先ほどまでよりも鈍い。超速回復を使ったのかもしれない。しかし、クリスティーヌがそうであったかのように、回復魔法は外傷の治癒や止血には絶大な効果を発揮するが、体調不良までは完治しない。
タイガが放った急所への打撃は、主に呼吸困難や心臓への負荷、激痛を伴うものだ。回復魔法で痛みを緩和し、皮膚や内臓へのダメージが回復したとしても、状態異常の完全解消までは難しい。
タイガは魔法が使えない。
逆に、相手の魔法も効果が生じない。
だからこそ、対人戦闘でイニシアチブを握るために、相手が持つ術を逆手に取る手段の構築には時間を費やしてきた。図書館通いも、そのためのプロセスの一つだ。
この世界の常識では、圧倒的な魔法力や剣技を持てば強者と呼ばれる土壌がある。しかし、タイガが生き抜いてきた忍やエージェントの世界では、それだけでは足りない。
いかに相手を出し抜けるか。
いかに視野を広くとり、より多くの知識と戦術を身につけるか。
それが重要なのだ。
この世界で無類の強さを誇るタイガは、エージェントとして培った基盤があってこそだと言えたのだ。
「なんでやねん!」
鎧を解くために、再度キーワードを言い放ち、同時に足を一直線に振り上げた。
魔人は視界を奪われることを警戒して、咄嗟に腕を上げて目をかばったため、タイガの蹴りが見えていない。
ゴッ!
剣を握った側の肩に、タイガの踵が落ちる。鎖骨が折れたのが、音と感触ではっきりと伝わってきた。
「ぐぬぅ···。」
衝撃で剣を落とした魔人だったが、もう一方の手でタイガの足に掴みかかろうとする。
タイガは踵を落とした魔人の肩を起点に、反対側の足で弧を描き、サマーソルトキックを繰り出した。爪先を相手の顎先にかすめさせて、宙返りをうつ。
ドサッ。
魔人が脳を揺さぶられて、腰を地面に打ちつける。
「悪いな。尋問をする余裕はなさそうだ。」
落ちた剣の束を蹴り上げた。
それを掴み取り、魔人の心臓部分に剣先を食い込ませて、トドメをさす。
硬化魔法が使える魔人に尋問をするなど、リスクでしかない。聞きたいことはいろいろとあったが、諦めるしかないだろう。
「終わった···の?」
身廊から出てきたフェリが、問いかけてきた。
「ああ。とりあえず、存在が確認された魔人は、こいつで最後だ。」
他にもいないとは言い切れないが···。
ぴと。
へっ?
胸元を見ると、フェリが額を押しつけていた。
「え···あの···フェリさん?」
「バカ···。」
「···········。」
フェリが、ギュッと抱きついてきた。
「心配したんだからね。」
「うん。ありがとう。」
タイガは優しくフェリの頭を撫でた。
「ちょっと!そういう抜けがけは反則!!」
タイガが視線を前に戻すと、マリアがふくれていた。
抜けがけって何の?
「タイガ、傷の手当てをするわ。」
シェリルが傍らに寄って来て、なぜか手を取り、握ってきた。
「ちょっと···シェリルも、どさくさにまぎれて何をしているのよ!」
「タイガ、マリアがうるさいから頭を撫でてあげて。」
「えっ?頭を撫でるって···何で?」
「大人しくなる。」
「ちょっと、シェリル!私は犬じゃないんだからね!!」
「嫌なの?」
「い···嫌じゃない···。」
よくわからないが、マリアの頭を撫でることにした。
「ん?」
フェリが腕の力を強めた気がする。無理に振りほどくのもどうかと思い、マリアを手招きする。
「む···。」
近くに来たマリアの頭を撫でると、嬉しそうな、恥ずかしそうな表情をしていた。
フェリの腕にさらに力がこもった気がする···と言うか、痛い。
「はぁ···タイガは相変わらずね。」
リルも近くに来て、呆れ顔をした。
「ほら、そうやって首を傾げてキョトンとした顔をする。もう、そういうところは罪ね。」
え···何、怒られているのか?
なぜ?
『なるほどな。2つ名の通りなのだな。』
神アトレイクが、何か言いたげだ。
「何が言いたい?」
『魔人を圧倒する異世界人も、女心には疎いということだ。』
「·························。」
それに関しては否定をできないが、余計なお世話だ。
『自覚はあるのだな。』
「まぁ···な。」
凹むから、その辺で勘弁してくれ。
「おお···やはり、テトリア様だ。テトリア様が、再臨なされた。」
「見ろ!魔人は、テトリア様の手によって倒されたぞ!!」
「ほら、しっかりとお祈りをするのよ。」
身廊からこちらを覗き見ていた信者達が、口々にそんなことを言っている。
「さすがはテトリア様だ。後光がさしているぞ。」
いや···それは、陽の光が俺の頭を反射しているだけだ。わざと言ってないか?
「良いのぉ···若いきれいどころに囲まれて。ワシも同じつるっぱげなのに、女っ気はゼロじゃ。嘆かわしいのぉ。」
黙れ、エロ爺い。
『一躍、英雄だな。』
「黙れ、エロ爺い。」
『な···突然、何を言う!?」
「ああ、すまない。言う相手を間違えた。」
『神にエロ爺いとは、神罰がくだるぞ!』
「だから、相手を間違えたと言っている。」
『誰とだ!?』
「あそこのハゲ散らかした爺さんだ。」
『···ああ。いつも、モテ期が訪れますようにと、ずれた祈りを捧げてくる輩か。』
「そ···そうなのか···タチの悪い信者を持っているのだな。」
『ほんの一部だ。人間にもいろいろといる。』
「まあ、そうだろうけど···。」
神に「モテ期が来ますように」と祈るような奴は、本物の信者なんかじゃないだろうに。
「それよりも、こんな感じだと今後の生活が不安だ。テトリアと俺を結びつけるような記憶を、目撃者全員から消去するとかできないのか?」
『できるわけがないだろう。』
「神だから、何でもありだろう?」
『無理だ。自然の摂理に外れる。』
むぅ···これは困ったぞ。
2つ名が増えるだけならともかく、往来で「テトリア様だ!」などと呼ばれたら、アトレイク教の信者とかが殺到してくるかもしれない。
『えらく険しい顔をしているが、大した問題ではないだろう。』
「なぜだ?」
『その頭のインパクトがありすぎるからな。髪が生えれば、印象は変わる。下手に意識をする必要はない。』
「そうなのか?」
『そうだ。そんな卑猥なものを連想させるものは、そうはないからな。』
「·························。」
この後、本気でピアスをトイレに流そうとして、神アトレイクが泣きをいれたのは言うまでもない。
「大丈夫か?」
魔人の後始末をガイウスに押しつけて、フェリ達と身廊の祭壇に戻った。
「タイガ殿···ありがとう。あなたに命を救われたのは、これで2度目だ。」
床に横たわったままクレアに介抱をされていたクリスティーヌが、そう涙目で答える。いつもとは違い、年頃の可憐な女性に見えてしまう。普段は聖騎士団長として、常に緊張に包まれていたのだろう。
「俺はクレアを連れてきただけだ。君を助けたのは、クレアと神アトレイクの御加護だろう。」
「あなたは···本当に尊い。魔人の嫌疑などをかけた教会を、許してもらえるだろうか?」
「教会も運営をしているのは人だ。いつだって組織を腐らせるのは、人のつまらない欲望に過ぎない。俺は、それを絶つためにここに来た。」
「それで···長きに渡る時を経て、ここに再臨されたのですか?」
···駄目だ。
完全に誤解されているぞ。
クリスティーヌの瞳がうるうるだ。
「俺はテトリアではないぞ。他の何者でもない。タイガ·シオタという1人のスレイヤーだ。」
タイガのその言葉は、近くで話を聞いていた者達にとって大きかった。
堕天使と目されているテトリアだったのなら、恋愛対象として見て良いかの判断がつきにくいということもある。
だが、それ以上に、周囲に翻弄されてきた者にとっては、自分が自分であるということの強さが、手本として目の前にあることを実感し、生き方の教本のように写った。
また、フェリやリルにとって一番大きかったのは、「自分は1人のスレイヤーだ。」という言葉に他ならない。2人は、タイガが自分たちの側からいなくなってしまうのではないか?という不安にとらわれていた。しかし、今のタイガの言葉で、「自分の居場所はスレイヤーギルドだ。」と暗に示してくれたと解釈できたのだ。
こうして、魔人の後始末を終えたガイウスが身廊内に戻ってきた時には、1人で何かを考え込むタイガと、それを潤ませた瞳でジッと見つめる女性陣という、意味のわからない構図ができあがっていた。
「···何これ?告白タイム?」
ガイウスは光が反射してまぶしいタイガの頭に目を細めながら、思わずつぶやいたのだった。
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