20,野営の夜(流血有り)

野を越え、山を越え、同じアトラーナを分けた土地と言ってもレナントの城は遠い。

それは国境へほどよく近く、最も争いの歴史も深い隣国トランを常に牽制けんせいしてきた。

友好的な隣国と接する王都ルランやベナレスと違い、古くからレナントは戦いと駆け引きに緊張を強いられてきたところだ。

よってここの領主である公爵こうしゃくは、王の血族でも一番重責じゅうせきに置かれる事になる。

その為か変わっているのは、後継者を長子に限らず領主一族から最も城主に相応ふさわしい者を選ぶという、代々独自の決まり事により引き継がれていったことだろう。

それにより後継者争いや暗殺も、おおやけには知られないが度々たびたび見られたという話しもあった。




ルランを旅立ち2日目、援軍えんぐんの一行は数回の短い休息を経て一日を走り通し、日も傾く頃に谷間の川のそばに野営を張った。

明日はようやくレナントへ到着するだろう。

それを思えば、疲れた身体に気も休まる。

特に何事もなく、この山を越えると城はもうすぐだ。

大人数の世話に、旅慣れているリリスと2人の召使いの少年が駆け回る。

火をおこし、パンを配って肉を焼き、野菜で簡単なスープを作って食事を配り、軽く酒を準備する。

自分達は食事もそこそこに一行の飲食が済んだらあとを片付け、そうして何かに付け呼ばれる少年を手伝ってまわった。


「なんて忙しいのよ、こいつら人使い荒すぎ!」


ヨーコがリリスの肩でぼやく。


「仕方ございません。こちらの世界では、主人は身の回りのこと一切人任いっさいひとまかせの方が多いのです。

その為に旅には召使いも同行します。」


「男も自立しないとさ、生きていけないわよ。」


「フフ、まったくです。」



やがて夜のとばりが落ち、身分の高い者は馬車の中で眠りにつき、他は思い思いの場所で休みを取る。

辺りが寝静まりようやく明かりの火が消えた頃、リリスも1本の木の根元に横になり休んだ。

身体の疲れもだが、気が疲れてすぐに眠りに落ちる。


先ほどは、忌まわしい姿の者がどうして国の命運をかける一行にいるのかと、酔った騎士に散々絡さんざんからまれ危なくケガをするところだった。

まあリリスにしてみれば、いつものことだがケガはしたくない。

酔っぱらいは、平気で剣を抜いてくる。


「リリス殿……」


声にウトウトしていた目をこすり頭を上げる。


「はい、ガーラント様。」


ガーラントはザレルの部下でリリスを頼まれている。

なにかと気にかけてくれて、酔った騎士からも助けてくれた。


「ここに休まれていたか。すまん、眠っておられたのかな。」


「いえ、今横になったばかりでございます。」


「私もそばで休もう。何かあってはザレル殿に申し訳が立たぬ。」


「お気をわずらわせ、申し訳ありません。」


彼がすぐ側にいてくれるなら、これで安心して眠れる。

ザレルの気遣いが思い出されて嬉しい。


「私、木の上にいるね。お休み、リリス。」


「ええ、おやすみなさい。」


ヨーコもリリスの枕元に立つ木の上で、暗闇の中白く輝く彼の寝顔を見下ろしながら眠りにつく。

リリスもホッとしたこともあって、お礼もそこそこにガーラントが横になると、自分も横になりすぐに眠りに落ちてしまった。




シンとした中、川の水音だけがサラサラ響き時々虫の鳴き声がささやく。

空に広がっていた月や星々が薄い雲に姿を消して、辺りは真の暗闇に包まれた。

見張りの者も、ついついうたた寝が深い眠りへと落ち、たき火の炎もとうに消えている。


深い眠りに入っているリリスの横で、ガーラントがむっくり起きあがった。

腰の短剣の柄を握り、ゆっくり音を立てぬようリリスにおおかぶさって行く。

そして短剣を引き抜くと、息を飲んで少年の整った顔に手を差し伸べた。

辺りに吹く温かな風が突然冷たく代わり、リリスがぼんやり目を開く。


何……?…………風が…………


風に吹かれて大きな月が姿を現し、ガーラントの構えるやいばに光が反射した。


「な……うぐっ」


とっさにガーラントがリリスの口を片手でふさぎ、短剣を振り下ろす。


「ピピッ!ピーッ!」


バサッバサバサッ!!


「うわっ!」


目を覚ましたヨーコがガーラントに飛びかかり、その手にすきが出来た。

リリスが彼の手をはねけ、急いで立ち上がり森の中へ逃げて行く。


「なぜ、なぜ……」


彼はザレル様の部下で、私の、私の……唯一の安心できる方で……


味方だと思っていたのに、ザレル様は知っていて頼んだのだろうか。


いや、そんなはずはない!そんな事は……


暗闇に足下が見えない。

木の根に足を取られ、大きな木にぶつかった。


「いた……くっ」


精霊達が、何ごとかと集まってくる。

リリスの回りにぼんやりと精霊の光が集まり、気が付くと目の前にガーラントが息を切らして立っていた。


「なぜ……一体誰が……」


「これはあるとうといお方のご命令だ。

国のために死んでくれ。」


「ザ、ザレル…様は?!」


「ザレル殿は知らぬ事、安心してち果てよ。」


尊い……王か?それとも母……まだ見たこともないお后様だろうか?

それともゲール様?それともそれとも……


ああ、こんな所で!


私はまだなにも王子のために働いていない!


「イヤです!私は王子のために働きたいのです!まだ私は何もしておりません!」


「お前の働きなど誰も期待してはおらぬ。この世より消えることを期待するのみ!

安心せよ、お前を殺したあとは皆には恐しくて逃げたと伝えてやろう。」


ガーラントが剣を抜き、リリスに飛びかかってくる。

リリスは突然の恐怖に足がすくんで動けなくなった。


母上!ザレル様!


だ、誰か!誰か助けて!


必死に手で探りヤブを横に避けた時、ふとザレルに貰った剣が手に触れた。



『必要になったら、迷わず使うのだ。必ず帰ってこい』



違う!


これは、敵に使う物!


ガーラントが大きく剣を振り上げ、その刃がせまる。


「風よ、盾となれ!」


「うおっ!」


遮るように伸ばした手に、風が巻き起こり2人の間をさまたげる。

しかしガーラントは渾身こんしんの力で、その手の大振おおぶりの剣を横に振った。


「このっ!」


気持ちが動揺どうようして集中できないリリスの右腕が、刃に当たって切れた。


「いっ!ガ、ガーラント様、お許しを!」


観念かんねんせよ!お前はここで朽ち果てるのだ!」


「イヤです、……イヤ……イヤだ!」


恐怖で涙に濡れながら、リリスが震える手を剣にかける。


『生きよ!生きて帰れ!』


ザレルの顔が浮かび、かたわらに彼の手が現れ剣を握る手にえられた。


「ザレル!」


旅立ちを心底心配していたザレルの、リリスを守る気持ちが剣に宿やどっているのだ。

その透き通った手が、痛いほどにギリギリと剣を抜けと急いてリリスの手を握りしめる。


ダメ!ザレル、殺してはいけない!駄目!


リリスが殺される恐怖とは違った、人を殺すかもしれない恐怖に打ち震える。

ザレルは狂戦士、彼の魂の宿った剣は、難なく人を殺してしまうだろう。


「いけない!」


剣を振り払い、グッとこぶしを握りしめた。


私は、自分で切り抜けなくては!


ガーラントが月の明かりの下、鬼気迫る顔でせまってくる。

しかしリリスは、背にする草木の大きなトゲにも気が付かぬまま、身体中を血だらけにしてヤブの中に捕らわれ身動きが取れなくなっていた。

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