さようなら、世界
第148話
──3日後。
私はほぼホテルを出ずフレヴァーによる厳戒態勢の護衛のもと、イェナに殺されることなくこの日を迎えた。私はこの限られた時間の中で、アインにお願いした“あるもの”を完成させるために必死だったため、退屈だとか寂しさを感じる暇もなく……正直今もまだ実感が湧いていない。
外が真っ暗になった頃、私はアロとフランが探し出してくれた泉に向かった。ある森の入り口で、私は送り届けてくれた三人に向かって頭を下げる。
「──本当に、ありがとうございました」
「……こんなに突然終わりが来るなんてね、本当にキミって面白いよ」
いつものように軽い口調でアロが言うが、その顔は全然“面白い”なんて思っていないのが分かる。本当に寂しそうな顔をするから、サイコパスだなんて呼んで雑な扱いをしてごめんね、と心の中で謝った。
「ナツ……せっかく仲良くなれたのにね。残念だわ」
涙ぐむアインと抱き合うと、うっかり私も泣いてしまいそうだ。もっとたくさん話をしたかったし、治癒能力について話を聞きたかったのに。──尤も、結局元の世界に戻るならば治癒能力を発揮する機会も滅多にないから必要はないかもしれないけれど。
「……フレヴァー様」
二人からは一歩下がって見守っていたフレヴァーに声をかければ、彼はビクッと体を揺らす。私が歩みよって、近くで見た彼はほんの少し目を潤ませていた。
「……あなたが帰ってしまうのは、寂しいです」
「本当ですか?」
彼にそう言ってもらえるとは思わなくて、少し驚いたけれど素直に嬉しかった。私が笑うと、眉を下げたままつられて彼も微笑む。
「……イェナはもっと、そう思うでしょう」
そんな優しくて悲しい言葉に私はまた目頭が熱くなった。泣くわけにはいかないと、唇を噛み締める。右手を出して握手を求めると、フレヴァーはそっと握り返してくれた。
「ここからは、一人で行かせてください」
「……わかった。今のところイェナの気配は感じられないし、彼の動向はある情報筋から入ってくるからね。危険が及びそうなときはすぐに駆けつけるよ」
私は一人で元の世界に帰ることを選んだ。アロ達に見守られながらだと、決心が鈍りそうだったから。最後まで守ってくれようとするアロに首を縦に振ってお礼を言った。
「──アロ様、最後にお願いがあります」
「なんだい?お別れのキスなら大歓迎──」
「やっぱりいいです」
「冗談だよ♡どうしたの?」
私はポケットから“あるもの”を取り出す。手のひらサイズの四角い箱を見せれば、アインが悲しそうに目を逸らす。
「イェナ様がもし記憶を取り戻した時、これを渡してくれませんか」
「……わかったよ」
これは私が彼に残す、たった一つの愛情。
アインと一緒に、この三日間かけて作った物だ。中身はアインしか知らない。
アロには最後まで面倒ごとを押し付けて申し訳ないが、彼は私にとって誰より信用できない人物だ。だけど誰より信頼している人でもあった。アロはきっと、渡してくれるだろう。面白がって悪戯を仕掛けるかもしれないが、それもご愛嬌だということにしておこう。
私は彼の手に渡るかどうかも分からない、最後の贈り物をアロに託して、森の中に足を踏み入れる。最後に一度だけ振り返って──。
「──大好きな皆さん、さようなら!」
満面の笑みで、大きく手を振った。
──さようなら、私の大好きな世界。
月の光に導かれて、私は道を知っているかのように迷いなく歩き続けた。
「……イェナがなっちゃんに『大好き』って言わせたがる理由が分かるね」
アロがそう言うと、グズグズと鼻を啜る音が返事をした。アインが必死で涙を堪えながら、それでも溢れてしまった滴を拭う。
「あんな女性に愛されたイェナは本当に幸せ者です」
フレヴァーが頷いたと同時に、小さな機械音が鳴った。アロが小型の通信機を取り出して耳に装着する。
「……動きがあった?」
マイクに向かってアロが静かに言った。相手の声はアイン達には聞こえないが、ピクリとアロの片眉が吊り上がったのを見てあまりいい状況でないのを予測する。
「……了解」
それだけを返してアロが通信機を外した。その表情はナツに向けていたものとは正反対の、冷たい仮面のようだった。
「イェナが動いた」
簡潔な言葉に二人は頷くと、森の奥を見据える。
「……なっちゃんは殺させないよ、イェナ」
アロの落ち着いた声が、冬の夜風のように冷たく闇を切り裂いた。
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