第126話
「……なっちゃん、もう平気なのかい?」
アロの気遣う声が聞こえてハッとする。
──そうだ、休憩が終わる間近になってやっと泣き止んだ私は、イェナに連れられて闘技場へと帰ってきた。
「……平気、ではないですけど……。ちゃんと見届けたいです。この試合を」
弱々しくそう答えて笑う。作り笑いなのは指摘しないでくれたがバレていただろう。
「そう……」
ポンポンと私の頭をたたいたアロは指輪の結界によって身体にビリビリと電流が流れていたようだが普通に笑っていた。ドMのサイコパスめ。イェナの舌打ちが隣で聞こえてくる。
休憩終了のアナウンスが流れ、大きく息を吸って気を引き締める。
どれだけ苦しくても、時間は流れる。辛くても悲しくても、世界は待ってはくれない。それは本来の世界と同じ──否きっと、どの世界であっても同じ。もしも苦しいことからも辛いことからも逃れられる世界があるとすれば、それはただの私に都合のいい夢だ。
「それではこれより、第三試合を行います!出場選手は前へ!」
この世界に足を踏み入れたその瞬間から、覚悟はしておくべきだった。私はこの世界の残酷さをよく知っていたのだから。
鎧を纏ったフレヴァーが動くと軋んだ音が伴う。第三試合の主人公は──難攻不落の黒騎士だ。
審判の声にリングへと向かうフレヴァーの腕を掴み引き止める。振り返った彼は鎧のせいで表情は見えないけど、きっと困っていただろう。優しい人だから。
「し、なないで……っ」
ピクリと震えたフレヴァーの身体。彼の纏う鎧も小さくガシャン、と音を立てた。
「お願いだから、これ以上誰も死なないで……っ」
しばらくの沈黙の後、コクリと頷いた黒騎士は私の肩に手を置いた後、何度も何度も首を縦に振る。
「約束、ですよ」
小指を出すと、フレヴァーも同じようにして小指を絡めた。鎧のせいで難しかったが、ぎこちなく絡めた指をぶんぶんと振って、こみ上げてきた涙をグッと堪えると笑顔をつくる。それは決して偽りのものではなかった。
「約束破ったら針千本飲んでもらいますから」
「……はい」
黒い闇のような鎧の奥から小さく返事が聞こえたから私は手を離す。そしてフレヴァーは私たちに背を向けて今度こそリングへ上がっていった。
「第三試合、フレヴァー選手対セリス選手!」
フレヴァーの対戦相手は、私が元の世界で最も応援していた人物だ。今となってはもう彼の活躍もあまり覚えていないけれど。
「……この勝負、ツラいんじゃない?」
アロがそっと私に耳打ちする。その反対側でまた婚約者の舌打ちが聞こえたが、この試合に関してはイェナも少し気がかりだったようで、気を紛らわせるかのように私の手を握った。
「──いくら私がセリス様を好きでも、黒騎士様を倒してほしいだなんて思えません」
──“今はもう”という言葉は心の中でだけ付け足す。
「どちらにも勝ってほしいし、死んでほしくないです」
リング上の二人からは目を離さずにそう言い切った。
私はここにいる人たちと同じで、これから先の展開なんて知らない。だから願うことしかできない。それはあまりにももどかしいし不安ばかりが胸を占めた。
だけど……それでも目を背けてはいけない。これがイェナに拾われたあの日、私が生きるために手を伸ばした世界。好きな漫画の世界にトリップしてただ喜んでいた馬鹿な自分への戒めでもある。
「──本当、キミって……」
アロが何かを言いかけて止める。聞き返せば「なんでもないよ」と誤魔化された。
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