第112話


 朝日が眩しくて目を開ける。カーテンの隙間から差し込む光が私を起こした。


 ゆっくりと起き上がれば、昨日ほどではないもののまだ少し頭痛が残っている。昨日の事はセリスに名前を呼ばれたあたりからあまり覚えていない。最後に覚えているのはイェナの腕の温もりだった。

 イェナに昨日のことを聞こうとして部屋の中を探索するが、どこにもいない。見つけたのはテーブルの上に残された書き置きだけだ。


 一瞬、ゾクッと嫌な予感が過ぎる。

『──ナツが危険な目に遭うのはほとんどが兄貴のせいだ』

 頭の隅でノエンの声が遠く響いた。鮮明に覚えているわけではないが、その言葉にイェナが声を詰まらせたことはぼんやりと覚えていた。


 震える手で紙を手にすれば、そこには「ちょっと出てくる。絶対に外には出ないこと。すぐに帰ってくるから」と書かれていてホッと息をついた。手紙の横に置かれていた薬を飲んで、ソファに身体を預けて座る。


 イェナはあの言葉を聞いて、何を思ったのだろうか。私から離れた方がいいと思った?本来の自分勝手なイェナならばそんなこと気にせずに自分がしたいようにしただろう。だけど、今の過保護なまでに私を守ろうとする彼が、私から距離を取ることを選ぶのは想像に難くない。だから不安だった。私を大切にしてくれる彼だからこそ──私の安全を最優先に考えてくれそうだから。


 痛む頭で考え込んでいれば、チャイムの音が響いて扉へと向かう。覗き穴から見えたのはこの不安の元凶とも言えるノエンだった。ドキリと心臓が音を立てるが平静を装ってドアを開ける。

「ノエン様……?」

「ナツ……。体は大丈夫か?」

 心配そうな顔で覗き込まれたため慌てて頷くと、私はノエンを部屋に招き入れた。ソファに誘導してお茶でも淹れようとすれば制される。

「いいから安静にしとけ」

「でも……」

 ポンポンと隣のスペースを叩くノエンに渋々座った私。彼は「兄貴は?」と辺りをキョロキョロして尋ねた。

「今は出かけています。すぐに帰ってくると思いますけど……」

 ふうん、と相槌を打って足を組む姿はどこかイェナに似ていてクスッと笑ってしまった。ノエンは不思議そうな顔で私を見る。


「……ナツ、昨日のこと覚えてるか?」

「えっ」

 気まずそうにノエンがそう切り出して、思わず私も身を固くした。ちょうどそのことを考えていたところだったのだ。


「……あまり」

 そう答えればノエンは意を決したように深呼吸をして、向かい合い私の肩を掴んだ。

「お前は激弱で普通の人間だ。殺しとは無縁のお前がマヴロス家と──兄貴と出会ったせいで、こんだけ危険な目に遭う必要はないんだよ」

 ノエンの強い瞳が私を捉えて、私のことを心配してくれているのは痛いほどに伝わってくる。それでも、私は──。


「もう、兄貴との婚約は解消しろ。これ以上お前が傷つくのは見たくない」

 素直に頷くわけにはいかないのだ。

 無意識のうちに潤む瞳をグッと堪えて、首を横に振る。何度も何度も、ノエンが納得してくれるまで首を振り続けた。


 ノエンは酷く辛そうな顔をして、肩に置いた手を引き寄せたかと思うと強く抱きしめられた。

「ノエン、様……」

「──それでも俺は、お前を守りたいんだよ」


 小さく呟いた「ごめん」という言葉に、とうとう涙が零れ落ちる。ノエンのことも大好きだけれど、やはりイェナのそばを離れることなんて考えたくない。考えただけでも恐ろしくて涙が出る。それはこれからも危険に巻き込まれる恐怖よりもよっぽど怖かった。

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