第102話



「ねぇ──誰の婚約者に手を出したと思ってる?」

 怒鳴られているわけではないのに、言葉の一つ一つが重くのしかかる。


「──なんでナツのペンダントを取った?」

 その質問責めに喉がつかえて、ミルはどう返答すれば最善なのかも考えられなかった。

「男だけじゃなくて、女も警戒しておくべきだったよ。……ペンダントがあればナツにあんな大怪我させずに済んだ」

 言葉の端々──とは言わず、前面に押し出されたナツへの配慮は恐怖よりもミルを苛立たせた。


「どうしてあんな子に入れ込んでいらっしゃるの!?」

 思わず叫んだミルをイェナは冷たく見下ろす。


「──お前には分からないよ」

 吐き捨てられた言葉は明らかな拒絶。彼女が長年かかっても踏み込めなかった領域だ。

「オレにとってナツがどんな存在か──オレ自身にだって説明できないんだから」

 自嘲気味に笑ったイェナにミルは泣き出してしまいそうだった。あの少女が彼にとって特別で、自分では勝てないことも分かっていた。それでも懸けていた微かな希望を粉々に打ち砕かれた気分だ。


「……万が一のために切り札を残しておいて正解ですわ。森には何十人もの刺客を放っているの。もちろん一筋縄ではいかない相手ばかりよ」

 グッと拳を握りしめ、ミルは腰を抜かしてしまいそうなほどの恐ろしい空気にも気丈に振る舞った。

「──馬鹿なの?」

 ぴたりとイェナが立ち止まる。



 ──この男の心を動かせることなど、できやしないのか。


 ミルの頬に一筋、涙が伝った。


「オレのチームメイトがそんな雑魚に負けるわけない。──さ、早くペンダントを返しなよ」

 あと数歩で手が届く距離。ミルは最後の勇気を振り絞って口を開いた。

「世界一と謳われる殺し屋のあなたに、あんな子娘は似合いませんわ!私の方がずっと前からイェナのことが好きだったのに!」

 その言葉を聞いた瞬間──イェナを取り巻く風が変わる。


「……殺す」

 無理やり抑えられていた殺気が一気に解き放たれた。晴れているはずなのに、辺りは暗く陰湿な空気で満たされる。

「そんな理由でナツに危害を加えたなら、オレはお前を許さない。あの子に害になるようなやつは──どんな手段を使ってでも消す」

 サッと青ざめたミル。あのイェナが明らかに、怒っている。女だからと手加減するほど甘くはない男。冷酷に達した時の残虐さは──一緒に仕事をする上で痛いほどよく分かっている。その敵意が自らに向けられて初めて、ミルは事の重大さに身を震わせていた。

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