危機
第92話
「やっぱり、苦戦してますね……」
私たちはVIPルームでイウリスチームの試合を観戦している。
勝ち上がるにつれてたくさんの試練が彼らを襲う。それは主人公パーティーの運命であり、彼らの強さの根源となるだろう。それを乗り越えた先に優勝が待っているのだから──心配しなくても決して彼らが負けることはない。きっとそれは変わらない事実なのだと思う。
だから、怖いのだ。彼らが勝ち残るということは、イェナたちは敗北する。その現実が突きつけられる気がして──最初は純粋に応援できたはずのセリスでさえ、心の底から勝利を願えなくて、そんな自分に吐き気がした。
「この程度でやられてたらオレたちの相手にならないよ」
腕を組んで見下ろすイェナ。彼は一体何を思うのだろう。弟の勝利を願っているのだろうか。
「……なにかよくないことでも起こった?」
イェナが私の心の変化に気付いて問いかける。私はただ首を横に振った。
もう、あまり物語の詳細を覚えていない。覚えているのは、決勝でイウリスチームとアロチームが戦い、イウリスたちが勝利するということと、イェナが死んでしまうかもしれないということくらいだ。あとは糸を手繰るように微かな記憶をかき集めてなんとなく思い出す程度。
この試合は、そう──セリスは傷だらけになりながら勝利した。アプリはあと一歩のところで敗北し、ノエンは苦戦しながらも大きな障害なく勝った。
今はイウリスとフェブルがコンビでの試合を強いられ、水と油のような二人の相性の悪さは精神を揺さぶられるものとなっている。
そしてこの二人の相手となったクロとサリーの男女コンビ。中学生くらいだろうか、少女・サリーは弟を人質にとられており、戦わざるを得ない状況の中で苦しみながらイウリスたちに攻撃する。だがそれを見破ったイウリスの説得により、洗脳が解けた瞬間──あろうことか相棒だったはずのクロがサリーを容赦なく切り捨てたのだ。
そう、そしてここでヒロインのコロネがその純真な心で彼女を救う。リングの外まで放り投げられ傷ついたあの少女を特殊な力で癒すだろう──。そこまでは、徐々に思い出せた。
「──待ってよ」
コロネに治癒能力がないのなら、一体誰があの子を助けるのか。私がこの世界に来たことで歪みが生じて、彼女が能力を持っていないのだとしたら。コロネのするべきだったことは──私以外の誰ができるって言うの。
原作を変えてイェナを助ける。そのためにどんな犠牲だって払うと決めた。だけど、助かるはずの人を見殺しにできるほど非情にはなれない。そんな未来は望まない。
「──ダメだ!!」
私は駆け出した。VIPルームの扉を体当たりする勢いで開けて、闘技場へ向かう。
「ちょっと、ナツ?」
この時初めて、大好きな人の声が耳に届かなかった。
息を切らして来た道を戻る。入場口をくぐり、光に飛び込んだ私が目にしたのは──。
「やめろ──!!」
──クロが武器を振り下ろし、サリーの腹部から大量の血が噴き出した瞬間だった。イウリスの叫び声と肉を切り裂く音が耳に響く。
目も耳も塞いでしまいたい。でもそれではダメなのだ。
リング外へ飛ばされたサリーの元へ、脚が縺れそうになりながら駆け寄る。誰かが何かを言っているが、聞いている暇もないのだ。
私は必死で患部に手を当てる。目を背けたくなるほどの傷に顔を歪めながらも、決して目を逸さなかった。出来る限りの力を込めて、治癒の能力を放つ。私の持つ治癒力と彼女の生命力がどれだけなのかは分からない。でも必死に力を込めた。
「──何をしているんだ」
治癒に必死になっていて周りの状況にまで気が回らなかった。ハッと顔を上げれば、クロがリング上からこちらを睨んでいる。向けられた手のひらに光が集まって──ああ、そうだ。この人は手のひらに溜めた強力なエネルギー弾を放つことができるのだ。
そう記憶を呼び起こしたが、時すでに遅し。
「──おいナツ!!」
ノエンの声が聞こえた瞬間、それは放たれた。
熱いとか、痛いとか、そんなレベルではない。肌が切り裂かれるような感覚とトラックに体当たりされたかのような衝撃。サリーとともに吹き飛ばされる。身体が痺れて自分の思い通りに動かせない。咄嗟にサリーを庇ったが、彼女の無事を確認することすらままならなかった。
サリーに覆い被さるようにして倒れた私は意識はかろうじてあったが、目すら開けられない。
このまま死んでしまうのかもしれない──そう思ったりもした。
「──ナツ!!」
精一杯の力で薄らと目を開ければ、長い黒髪と大きな黒目が見える。倒れた私を支えて上から覗き込んでいるその顔は、初めて見る表情だ。
困ったような、怒っているような──今にも泣き出してしまいそうな、そんな顔。
大丈夫だと言いたいのに、口が動かない。そんな顔しないで。私が消えたら、あなたはまた感情を失ってしまうかな。
(──ああ、やっぱり死ねないや)
薄れていく意識の中、そう強く思ったことだけは確かだった。
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