第12話 縮まる距離




 ――有栖ありす、二人で学園を抜け出さないか?


 二日前、姫宮さんに向けて『笠間 潤輝じゅんき』から言い出したらしい。



 僕が意識を失われ、笠間病院の地下室で監禁されていた空白の一ヵ月間。

 身近で何があったのか知る由もない。

 

 昨日の夜、ネットで検索して世界情勢、特に日本で何があったのか初めて知ることができた。


 しかし実に奇妙な違和感を覚える。


 まず僕が監禁されたタイミングに合わせたかのように、日本でも原因不明の新型ウイルスの感染者が確認され、それから間もなく爆発的に流行していったようだ。

 当初は海外からの貨物船や飛行機によるものなど取り沙汰されていたが、実際の経由は不明とのこと。


 おまけに各国で発生したパンデミックに比べると、日本における感染の拡大速度は異常に早く、各地方で感染者が急増し国内最大のクラスターとなる。


 現在の日本は人口25%(約4人に一人)が感染者となり社会機能が麻痺した状態らしい。

 特に、ここ『遊殻ゆから市』の感染者率は高く、都市封鎖の対象となってしまったようだ。



 そして、姫宮さんの話を聞く限り、今から二週間前――。


 美ヵ月学園高等学校に数体の感染者オーガ達が侵入し、教師と生徒に噛みつき感染を増やしていった。

 明日から全校閉鎖を開始する最中だったらしい。


 生徒達がパニックになっているところを生徒会長である『西園寺 唯織いおり』が指導者となり、学校内で立て籠ることになったようだ。



「外も感染者が多いから単独でいては危険だと判断して、生き残った生徒と先生達が一ヵ所に集まって過ごしていたわ……いずれ自衛隊とかが助けに来てくれるだろうと信じてね。西園寺会長もそう言っていたし、聡明な彼女が言うのならってみんな従うことにしたの……でも」


「でも?」


「数日経っても誰も助けにこない。水や食料を調達するのも命懸けだし、人数も減っていく一方だし……ストレスと恐怖で離脱する人も増えていったの。一週間後には生徒会長には従えないって『反対派グループ』も出来て、別々で立て籠るようにもなったわ」


 気持ちはわからなくもない。

 先々が見えないんじゃ不安にもなるだろう。

 だからこそ、協力し合わなきゃいけないんだけど。


「でも笠間……くんは、西園寺先輩と同じ生徒会で幼馴染みだろ? どうして、また姫宮さんを連れて逃げようなんて……」


 悔しいけど笠間だって相当有能だし人望だってある。

 あいつが西園寺先輩のサポートをすれば離脱者や派閥を生むこともなかったんじゃないのか?


「……ジュンくんが真っ先に揉めたのよ。西園寺生徒会長と……普段、姉弟のように仲が良かったのに……そのことがきっかけで、離反した人や『反対派グループ』が出来たようなものだからね」


 なんだって?


 まさか、あの学年カースト一位の笠間がキレちまったってのか?

 周囲に悪影響を及ぼした元凶になったと?


「信じられない……笠間くんに限って」


 唖然とする僕に、姫宮さんは瞳を細め悲しそうに微笑む。


「ジュンくん、ああ見ても怒りっぽいところがあるのよ。特に自分の思い通りにならないとね……」


「そうなの? いつも余裕そうだったけど……」


「確かになんでも出来る人よ。いつもキラキラと輝いている人……だけど」


「だけど?」


 僕が聞き返すと、姫宮さんは「なんでもない」首を横に振るう。


「続きを話すね。ジュンくんは西園寺生徒会長と仲違いして、しばらく孤立するようになったわ。私は彼が心配で支えてあげようと、いつも傍にいるようにしたの……だけど、いつの間にか、私もみんなからトラブルの元凶と思われるようになってしまって」


「え!? 姫宮さんまでも!?」


 彼女はこくりと頷く。


 う、嘘だろ?

 学園のベストカップルと称えられた二人が周囲から腫物扱いされるなんて……。

 まるで立場が逆転しているじゃないか。


 すっかり感染者オーガのせいで、これまでのスクール・カーストが崩壊してしまったようだ。


「そんな中なの――ジュンくんが一緒に学園を抜け出して逃げようって提案してきたのは」


「それで姫宮さんは笠間くんと共に外に出たんだね?」


「うん……勿論、初めは躊躇したよ。みんなを裏切るようで心も痛んだし、どこへ逃げていいかわからなかったし……でも、ジュンくんも放っておけなかった」


 優しい姫宮さんらしいな。

 そんな彼女に想われて、笠間はなんて幸せな男なのだろう。


 ぎゅっと胸が絞られていく。

 

 姫宮さんの純粋な気持ちを前に切なさでいっぱいになる。

 やっぱり笠間のことが好きなんだと思ったから。


 いくら周囲から浮き落ちぶれようとも、一番大切なモノを得た笠間は勝ち組だ。


 それ即ち、姫宮さんの心。


 僕からすれば、やっぱりあいつは恋愛の神様に愛されているんだ。



 そう思う一方で、姫宮さんの様子が可笑しかった。

 

 ぐすっと鼻を鳴らし、瞳からぽろぽろと涙を流している。


 一体どうしたんだろう?


 ……まさか逃げる途中、笠間は人喰鬼オーガに襲われていたのか?


 きっと姫宮さんを守るために――。


 結局、彼女も逃げ切れずに噛まれてしまい感染し人喰鬼オーガになってしまった。

 二日後、人を避けるように彷徨っている姫宮さんに僕が声を掛けた。


 そんな感じだろうか?



「大丈夫、姫宮さん?」


「ぐす……ごめんね。夜崎くん、ごめんねえ」


「いいよ、僕の方こそ変なこと聞いてごめん……でも笠間くんのこと、なんて言ったらいいか」


「私もショックだった……まさか、あんなことするような人だったなんて……」


「え? あんなこと?」


 何だ……どういう意味だ?


 僕の問いかけに、姫宮さんは瞳を赤くなるほど涙で潤ませ大粒の雫が何度も頬を伝って流れ落ちていく。



「――捨てられたの、私……ジュンくんに。自分だけ逃げる囮役として」


「なんだって!?」


 思いがけない言葉に、僕は衝撃を受ける。


 姫宮さんは頷き、右腕を翳し制服の袖口を捲った。

 薄くだが上腕部が刃物で切ったような斜め線の傷跡が見られる。

 

「これは?」


 僕の問いに、彼女は声を震わせながら説明してくれた。



 それは、二日前の夜――。


 こっそりと学園を出た二人は、笠間の父親が経営する『笠間病院』へと向かったらしい。


 道中、感染者オーガ達に遭遇し必死に逃げるも、たちまち別の感染者オーガ達が群がり囲まれてしまう。

 

 姫宮さんは恐怖に震えながら、必死で笠間の手を握っていた。


 だが笠間は何を思ったのか、彼女が握っていた右腕の袖を捲りだし、持っていたカッターナイフで上腕部を切りつけたのだ。


 切り傷から血が溢れだし、感染者オーガ達は標的を姫宮さんだけに絞り込み襲いかかってきた。 

 笠間は姫宮さんの腕を振り解き、そのまま一人で逃げて行ったと言う――。


人喰鬼オーガが物音や血の匂いに敏感なのは、みんな知っていたわ……だからジュンくんはわざと、私の腕を切って悲鳴を上げさせたの。自分だけ逃げるために……私は噛まれてからすぐに症状が出て『黄鬼』になったから、それ以上襲われることはなかったわ……」


 姫宮さんの話だと、ウイルスの発症が遅いとそのまま食われて死んでしまうケースもあるらしい。

 そういや、そんな残骸が街中に転がっていたような気がする。


 にしても、なんて裏切りだ!


 笠間の野郎! 

 まさか自分が助かるために、意図的に彼女である姫宮さんを襲わせるなんて……酷すぎる!



「あの時、自分がこれまで大切に信じてきたことが全て崩れてしまったと感じたわ。もう何を信じていいかわからなかった……でも、夜崎くんはバケモノになった私を受け入れてくれた。私ね、あの時のことしっかり覚えているよ……とても嬉しかった。同時に酷いことしてしまったと思っているの」


 姫宮さんは涙で濡れた顔を無理に歪ませ微笑んでくれる。


「僕のことはいいよ。姫宮さん、クラスでぼっちの僕なんかにいつも優しく声を掛けてくれていたから……それもあったから、いくら嫌な思いをしようと学校だけは行くようにしていたんだ。だから、せめてと思って……」


 少しだけ気持ちを偽る、僕。


 流石にこの状況で、実は片想いであることを打ち明けるわけにはいかない。

 彼女が傷づいているのに、それにかこつける感じで卑怯だ。


 ふと、手の甲に温かく柔らかい感触が振れる。


 なんと姫宮さんから、僕の手を握ってくれたのだ。


「ありがとう……夜崎くん。私のこと、有栖ありすって呼んでね」


「わかったよ、有栖さん。僕のことは弥之みゆきでいいから……」


「うん。これからもよろしくね、ミユキくん」


 こうして、僕と有栖との距離は縮まり、お互い名前で呼び合う仲になった。





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