第61話 呪詛返し

 やることなすことすべてが通用しない。

 ただそこに立つ絶望に腰が抜けてしまう。異次元の存在を前にして死という現実と自分がいかに無力なのかを突きつけられた。

 頼みの綱にしていた呪影も切り札も一切通用しない。

 手札をいくら切ろうとも勝てないと知ってしまえば、もう逃げるしかないのだが逃走を許すほど叶は優しくない。

 壁際に追い詰められた大樹が退路を探すも、当然全て塞がれている。


「さて。どういった仕返しが最適なのかな。散々呪術で虐められたし、やっぱり呪いによる報復がちょうどいいか」

「暗殺者に呪いが使えるわけないだろうが……!」

「確かに暗殺者のジョブでは呪い系の技は使えないけど、私には大魔王のジョブがあるって気付かない?」


 おもむろに手を伸ばし、大樹の頭を掴んだ。

 次の瞬間、叶の腕に稲妻が迸り魔力で作られた髑髏が高笑いする。大樹の耳元で耳障りな奇声を発しながら回転を始めると、そのうちの一体が巨大化して大樹を取り込んだ。


◆◆◆◆◆


「うわああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 自分の悲鳴で目が覚める。

 全身に嫌な汗をびっしょりとかき、パジャマにはシミができるほど汗が染みこんでいた。ずいぶん気持ちが悪い。

 辺りを見渡すと、慣れ親しんだ自分の部屋だった。見覚えのあるホラー漫画が詰まった本棚が今は安心感を与えてくれる。


「夢……? それにしては……」


 叶に頭を掴まれたところまでは覚えている。

 次の瞬間にはこの部屋にいたことから、今までのことは悪夢だと脳が訴えていた。大樹が枕元のスマホを手に取ると、表示された日時はクラスごと転移が起きたあの日の朝だった。


「疲れてるのか……昨日は夜遅くまでリョナアニメを見てたから……」


 自分で言っててだんだんそうだと思い始めていた。

 いつも虐められていて何もできない叶に自分がやられるはずがない。本当なら叶が相手だと泣いて土下座するのが正しい光景。

 そもそも、異世界転移自体が馬鹿馬鹿しくてあり得ない話なのだ。

 くだらない、と一蹴してパジャマを脱ぎ制服に腕を通した。そろそろ朝ごはんを食べないと学校に遅刻だ。

 着替えた大樹は部屋を出てダイニングへと向かう。


「おはよう。朝ごはんは……」


 扉を開け、そして言葉を失った。

 部屋全体が血のような真っ赤な液体で深紅に染まっている。猛烈な鉄の臭いが鼻を刺激し、思わず蹲って吐いてしまう。

 床にぶちまけられた吐瀉物。と、それが広がっていくと同時に元からそこにあったものが出てきた。

 吐瀉物に浮かんできた人間の眼球を見て、大声で叫び腰を抜かす。


「な、なんだよ! 何がどうなってるんだよ!?」

「だ……いき……」

「……っ! 姉ちゃん!?」


 かすれる声が聞こえ、声の主である姉の姿を探す。

 机の下で倒れている姉を見つけた。慌てて駆け寄り、そして後ずさる。

 姉の両目からは滝のように血が流れていた。本来そこにあるはずの眼球は二つともなく、血に濡れた腕を伸ばして大樹を探している。


「どこ……? 痛い……寒い……」

「は? これは……」


 何はともあれ急いで救急車を呼ばなくてはいけない。

 急いでスマホの電源を入れ、電話アプリを立ち上げると背後から水が跳ねる音が聞こえた。

 振り返ろうとするが、それよりも早く後頭部に衝撃を受ける。

 視界が明滅する中、大樹の手に手錠が嵌められた。ロープで体を巻かれて椅子に縛り付けられる。

 まともな視界が戻ってくると、立っていたフードを被る大男が見えた。手には鉈を持っており、机には多種多様な刃物が置かれている。男の衣服は血で染まっており、この男が自分と姉を襲ったのだと大樹は察する。

 男は馴れ馴れしく大樹と肩を組んだ。刃物を弄びながら低く、どこからか響いてくるような声で喋る。


『お前、いい趣味してるよな。安心しろ俺も同じ仲間、同志だ!』

「何言って……」

『俺も人間の悲鳴は大好きだぜ! ほら! こんな風にな!』


 男が刃物を大樹の姉の股間に突き刺した。

 聞きたくない絶叫が轟き、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が鼓膜を揺らす。

 男は大笑いしながら机の上にあったチェーンソーを持った。刃が高速で回転し、その切っ先が姉の体へと近づけられる。


「おい何やってる! やめろぉぉぉぉ!!」

『解体だ解体だ! 心配しなくてもすぐに死なないように努力するぜ!』


 そう言いながら、男は本当に大樹の姉の体を解体し始めた。

 肉を断つ音。骨を砕く音。血が飛び散る音。死の恐怖に怯える悲鳴。痛みによる断末魔。

 冒涜の極みのような音色が組み合わさって悍ましい地獄の旋律を奏でた。

 内臓の一部を浴びながら、家族が殺される様子を見ることしかできない。気が狂いそうになる。

 やがて、人の形を留めず肉塊と呼べるほどにも大きくないサイズまで細かく切り刻まれた肉片を前に、満足そうに男はチェーンソーを止めた。

 部屋の端に放り捨て、今度は大きな裁ち切りばさみを手にして大樹に近付いていく。


『俺とお前は同志だが、実はちょっと違うんだぜ』

「……あぁ……」

『俺は、女の子の悲鳴も好きだが同じくらいに男の悲鳴も大好物なんだぜ!』


 大樹の眼球にハサミが突き立てられる。

 眼球がくり抜かれる直前、大樹が目にしたのは叶が呼び出したあの髑髏と同じもので――。








 ――自分の悲鳴で目が覚める。

 全身に嫌な汗をびっしょりとかき、パジャマにはシミができるほど汗が染みこんでいた。ずいぶん気持ちが悪い。

 辺りを見渡すと、慣れ親しんだ自分の部屋だった。見覚えのあるホラー漫画が詰まった本棚が今は安心感を与えてくれる。


「夢……? それにしては……」


 髑髏に襲われたところまでは覚えている。

 次の瞬間にはこの部屋にいたことから、今までのことは悪夢だと脳が訴えていた。大樹が枕元のスマホを手に取ると、表示された日時はクラスごと転移が起きたあの日の朝だった。


「疲れてるのか……昨日は夜遅くまでリョナアニメを見てたから……」


 自分で言っててだんだんそうだと思い始めていた。

 あんな髑髏の男がいるはずがない。ここは異世界ではない現実世界なのだから。

 くだらない、と一蹴してパジャマを脱ぎ制服に腕を通した。そろそろ朝ごはんを食べないと学校に遅刻だ。

 着替えた大樹は部屋を出てダイニングへと向かう。


「おはよう。朝ごはんは……」


 扉を開け、そして言葉を失った。

 部屋全体が血のような真っ赤な液体で深紅に染まっていて――


◆◆◆◆◆


「あははっ、これが本当の呪いだよ。お前が見せていたようなおままごとじゃない、本物の呪詛」


 穴という穴から体液を垂れ流し、呆然と焦点の合わない目で虚空を見つめる大樹に叶が笑いかける。

 邪神の技の一つ、永劫の呪滅牢。対象者を繰り返す悪夢の中へ閉じ込め、精神を破壊する狂気の魔法。

 勇者やスペースなどの特別なジョブを有する者しか解呪不可能で、その上たとえ解放されても見せられた光景は忘れることを許されないという凶悪ぶり。奇跡的に助かってももう二度と大樹はまともな暮らしは送れないだろう。

 適当な木の板に大樹をくくりつけ、海へと流した。

 完全に壊れてしまった表情を浮かべる大樹が流されていくのを笑って見つめている。


「いつ死ぬことができるか分からないけど、それまで永劫の地獄を味わい続けるといい」


 死体をかき分けて木の板は流れていく。

 大樹の敗北を以て、港町ムペルは陥落した。

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