49 殺してくれる存在

 解放されたはいいものの、そのまま身体を打ち付ければ無事では済まない高さだ。

 とっさに詠唱し、着地の衝撃を殺した。少し離れた場所に落ちていた杖を呼び戻す。それを支えに立ちあがった。

 魔力が枯渇しかけている。その場合、体力を置換して魔力にするが――その体力すらない場合どうなるか。

 単純な事だ。生命力を使用することになる。

 聖職者以外の使う治癒魔術をと並んで、非常に危うく推奨されない方法である。自分で自分を食いつくすのだから。

 もっともそこまで追い込まれた場合、魔術師は状況からの逃走を選択する。自分の限界が分かっていながら無理を通して死ぬのは名誉ではなく、間抜けでしかない。


「はぁ……」


 ここに来て何度目になるかもう数えていないため息をつき、硬直している魔王を見上げる。


「間抜けでもばかでもなんでも、逃げるわけにはいかないんだよな」


 魔王は髪をかき乱し、目を見開いて黒い涙を流していた。

 身体のあちこちから軋む音が絶えず鳴る。

 まるで内側から瓦解するかのように――。


「アクロ、アクロなんだな? まだ『お前』はそこにいるんだな?」


 呼びかけるもアクロは返事をしない。

 聞こえていないというよりは、余裕がないのだろう。


「アアア……アア■■アアアア■アア!!」


 うめき声が絶叫へと変わる。

 魔王の足元を中心に、床や壁がクモの糸のようにひび割れていった。

 隅の方にあったまだ数本消えずに残っていたろうそくが倒れ、そばにあった布をゆっくりと燃やしていく。——勇者の遺物も一緒に。

 オズワルドは一瞥したが、子どもたちにまだ被害が行かないことだけを確認して放置する。

 魔力の暴走をもろに受け、再び鼻血が流れるとともに片目が見えなくなった。だが彼は慌てない。まだ片方残っているから。


「アアアア■わたシ、わ■たし、ワタしは、アク■ロ、で、」


 瞳の中で、金と緑がせめぎ合う。

 喘ぐように叫んだ。


「抑■エ込■■ナイ、先■■生、逃ゲ■て……!」


 いびつな魔法陣が魔王の胸のあたりに浮かび、即座に放たれる。

 それを黒い蝶が止めようとするが焼き消した。

 軌道を逸らされたそれは――オズワルドのわき腹を貫通する。


「……っ」


 見たくない気持ちでいっぱいになりながら、結局視線を下ろしてしまう。

 あの時負った傷と全く同じだった。

 わき腹はきれいに丸のかたちにくりぬかれており、後ろの景色が覗ける。

 認識した瞬間に額からぶわりと脂汗が湧いた。興奮状態だからか痛みは不気味なほどにないが、致命的な傷というのは理解できる。

 ここで死ぬわけにはいかない。アクロがこちら側に戻る前に死んでしまっては、引きもどせる人間がいなくなる。『魔王』をここから放つわけにはいかない。

 だが、治癒魔術をと思うも焦りで術式が浮かず茫然と身体に空いた穴を見ることしかできなかった。


「……まったく」


 呆れるような声とともに、ふわりとピンク色の光がオズワルドの傷をやさしく覆う。

 急速に筋肉が、神経が、皮膚が再生されていく。二呼吸ほどで彼のわき腹は元通りに治っていた。

 すさまじい速さと治癒の正確さだ。このような並外れた芸当が出来るのは知り合いで一人しかいない。

 オズワルドは振り返る。

 意識を失っていたはずのクラリスが、膝立ちの姿勢で指先に光を灯していた。


「……クラリス……」

「先生なんでしょう。しっかりなさい、オズ」


 それだけ呟くと口から血を吐き出して倒れる。

 オズワルドが複雑そうに顔を歪めたが、すぐに魔王に向き直った。

 魔王は地面に這いつくばるようにして頭を抱え地の底から響いてくるような唸り声をあげていた。黒い蝶がまわりを飛びかい、異常に増えたり一斉に消えたりと安定しない。


「せん■■せ、セン■生、ドウ■カ■■オ願■シマす」

「なんだ?」


 震える手で髪を横に流し、うなじを露出させる。

 首を一周めぐる傷からは依然として血が流れていた。


「わたし■■ノ、首■切ッて■■ださ■」

「————」


 魔王は顔をあげる。

 緑色の目をしていた。


「わた、わた■し、先生ノ■弟子に■■りたかッタの、■たくさん学びタイ■■あったけど、」


 かすかに笑う。

 それは確かに、アクロの笑い方で。


「イツカ、■魔王■■の存在に呑ま■たトき、きっと■殺シテくれカらって■■、そう思っていた■です」


 魔王の生まれ変わりであり、そのちからをいまだ残している自身にアクロは危機感を抱いていたのだろう。

 いつか魔力の暴走では済まない――再び『魔王』となってしまったとき、止めてくれる存在が必要だと考えた。

 だから。

 

「だから、俺を選んだのか」


 ぽつりと言葉をこぼす。


「そうだな。魔王を殺せる魔術師は俺ぐらいしかいないだろうから」


 ぱちぱちと周りの瓦礫が崩れていく。

 オズワルドの残り少ない魔力が漏れ出しているのだ。……怒りによって。


「だがなアクロ・メルア・ルミリンナ! 生徒を殺すような人間がどこにいるんだ!」

「……」

「さらに言うとな、弟子っていうのは技術を学んで継承していく存在なんだよ! 師匠に殺されるためについていくような役じゃない! そんな――意味の分からない覚悟のために、俺の弟子になろうとしたのかッ!!」


 魔王は、なにも言わない。

 わずかに目を細めてオズワルドを見つめるだけだ。


「……いつもの銀髪で、ちんちくりんって言われるあの姿にも戻って、授業を受けたり購買で働いたりしないといけないだろう」

「先生」


 べちゃべちゃと黒い蝶が液状化し、床に落ちていった。

 その中で顔を上げ、はっきりとした口調でそれは言う。


「『魔王』の意識は、ずっとあったんです。深く深く沈んで、ときおり『わたし』の意識をつついてきていました。その程度でしたが――今回、『わたし』の意識に介入してきた。その結果がこれです」

「……」

「悪意はありません。でも、破壊と食べることしか分からない子だからどちらにしろ脅威になるでしょう」

「だから、殺せと? ——お前ごと?」

「はい。そもそも『魔王』も『わたし』もひとつの魂ですからね。混じり合っていて切り離すことなどできないでしょう」

「お前はどうなんだ、ルミリンナ。死にたいのか、死にたくないのか」


 問われ、わずかに黙った。


「……どうなんでしょうね。分かりません」


 オズワルドがさらに言葉を重ねようとしたときだ。

 ごうっと熱風がふたりを取り巻いた。

 いつのまにか炎に囲まれている。石の床の上を燃え広がるには早すぎるし、そもそもこの勢いの炎がそばにあるのに今の今までどちらも気が付かなかったのは妙だ。


 ――まるで不条理な夢のよう。

 そう考えた瞬間、空間がねじ曲がったような感覚を覚えた。

 気が付くとオズワルドと魔王の距離は遠ざかっている。ほんの一瞬前まで声が届く距離に居たというのに、だ。


「なんだ――?」


 あたりに注意を巡らせながら魔王のほうを見る。

 ――そばに、誰か居る。

 その姿を目にしてオズワルドはかすれた声を出した。


「嘘、だろ」














 『鈍色の勇者』アレキ・レッセンブラ。

 彼が、穏やかな笑みをたたえて立っていた。

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