46 混沌

 苛ただし気にオズワルドは床を杖で叩く。

 無数の魔法陣がぶわりと生まれ、魔獣の足元で爆ぜる。焦げ臭いにおいが漂うがダメージとしては微々たるものだ。

 攻撃されている、と魔獣はようやく気が付いたようで唸り声をあげる。

 あまり目は良くないのか鼻を動かしながら魔獣はぎょろぎょろとあたりを探り、そうしてオズワルドの居る位置へ顔を向けた。


「あらあら」

「……ずいぶん余裕だな」

「だって、守ってくれますからね。あなたが」

「悪女め……」


 囮にでも使ってやろうかと頭に掠めるが、それではクラリスがしようとしたことと全く同じだ。

 舌打ちをひとつこぼしてオズワルドは今にも飛びかかってこようとする魔獣を見据えた。


 がりがりと爪を研いだ後、魔獣は2、3歩で跳躍し頭上から襲い掛かってくる。

 【壁】を展開し、さらにそこへ【杭】を呼び出す。

 勢いとともに魔獣は魔法で出来た杭に突き刺さる――が、触手に刺さるだけで本体の内部までは届かない。降り注いできた重みに耐えながら投げ飛ばす。

 体制を整える前にすかさずオズワルドは次の魔術を叫んだ。


「【攻撃魔術展開・刃・断】!」


 魔獣の首の上に青白い魔法陣が浮かぶ。そこから現われたのは巨大な刃だ。

 オズワルドが杖を振り下ろすと同時に刃も落ちる。

 ……どごり、と湿り気を帯びた嫌な音とともに魔獣の頭のひとつが転がった。緑色の血が噴き出し、あたりを濡らした。

 落とされた首はなおもカチカチと牙を鳴らしている。自分が胴体から放されたことなど気付いていないように。


「ありったけの魔力詰め込んで1体の首だけかよ……」


 もはや呆れを感じてしまう。今の魔術で、硬い羽毛で有名な魔巨ロック鳥4匹程度はやすやすと仕留められたはずだ。どれほど頑丈なのか。

 おそらく触手がクッションになったり、軌道をずらしている。そうすることで衝撃を減らして本体へダメージが入らないようにしているのだろう。さらに厄介なことに、どうやら触手の一本一本もそれなりの意思を持っているらしい。不意打ちをしようと防御の体制をすぐに取られてしまうはず。

 ——なるほど、『魔王』として呼び出された(勝手に来た)だけはある。


「!」


 ひゅっと触手がオズワルドに伸びてくる。そのまま巻き付くと壁に叩きつけた。

 あまりの衝撃に悲鳴をあげることも呼吸もできない。肋骨が数本折れた気がした。

 2つの頭がふんふんとオズワルドのにおいを嗅ぐ。


「近えよ。【雷撃】」


 その鼻面に電流を浴びせる。

 濁った叫びとともに魔獣はのけ反る。その隙に自分を捕まえている触手を切断して脱出した。

 歩くたびに激痛が走る。肺に空気を入れるだけでも死にそうだ。胸に手を当てて治癒魔術をかける。——いったい、この数十分でどれだけの寿命が減ったのか。

 クラリスを頼る気はない。

 もう彼女とは仲間ではなく、敵に近しい存在へと変わっていた。術師同士の貸し借りはそれこそ命を握られるようなものだ。あっさりと育てて来た子どもたちを手放すような彼女を相手に、それは出来ない。


 はっとする。まだ魔獣はオズワルドに意識を集中させているがそのうち周りの子どもにも気づいてしまうだろう。

 オズワルドは床を隆起させ、棒立ちの子どもたちを隅の方に押しやっていく。擦り傷ぐらいは出来てしまうが、食われるよりはマシだ。

 土壁を作り、とりあえずの守りを確保する。


「手が足りない……」


 悶絶している魔獣から視線を外さないようにしながら歩き出す。

 アクロの安否を早く確認しなければならない。まだあの円のあたりは破壊していないので変わらない位置で横たわっているはずだ。

 ……肉体ごと捧げられていなければ。

 囮として当てずっぽうな方向を爆発させた。そちらに耳が動いている間に円へ向かう。

 だが、そこには黒いシミが広がるばかりでアクロの姿は見当たらない。


「ルミリンナ!」


 呼びかけるも返事はどこからも聞こえてこない。

 あの怪我で素早く動けるとは思えない。治癒魔術が使えるとも聞いたことがない。

 まさか、生贄として消費されてしまったのか?


「どこだルミリ――」


 視界の端で何かがきらめき、後ろに飛ぶ。

 彼の足があった場所に魔獣の尻尾がめり込んでいた。さすがにぞっとする。

 まるで毛を逆立てるように触手を立たせながら魔獣は振り返った。ふたつの頭が明らかな怒りの感情を乗せてオズワルドを睨みつける。


「はん、俺の可愛がりかたが気に入らなかったか?」


 軽口を叩いてみせたが心臓は早鐘を打ち、キンキンと耳鳴りがする。確実に死がにじりよっていた。

 先ほどイヴァを食らった触手が鎌首をあげる。

 【矢】か【氷柱】か。

 それとも無茶を承知で締め付けるか折り曲げるか。

 次の攻撃の手を考えるオズワルドの視界の真ん中で、ひらりと黒い蝶が舞う。思考に邪魔だと払おうとして、動きを止める。

 ――黒い蝶?


 円の真ん中にある黒いシミから蝶が生まれていく。

 やがてシミは上へ上へと伸びていき、繭のような形状へと姿を変える。

 牙を鳴らさなくなった魔獣の生首へもシミは這いずり、捉えると繭へと引きずり込んでいった。相当な質量のはずなのに繭の大きさは変化しない。

 突如として始まった異様な光景にただ絶句するしかなかった。

 やがて内側から鋭い爪が繭を突き破り、引き裂く。同時におびただしい魔力が溢れ出る。感じ取ったか魔獣が後退りした。


 それは、緩慢な動作で姿を表す。


 人間のようなシルエットをしながら、よく見ると様々な生き物のパーツが散らばっていた。

 きんいろの瞳。

 頭の上には輪が浮いている。

 顔はヒトであったが、肌は半分以上が鱗や羽毛、足は鳥、手は爬虫類。身長は2メートルを軽々と越えていた。

 折れた片方の角がごとりと頭から落ちる。その下から獣耳が生えた。今しがた取り込んだ魔獣の耳と全く同じものが。


 オズワルドにもクラリスにも見覚えがある。

 間違えるはずがない。

 忘れられるわけがない。

 あのとき、命も運もなにもかも投げ出しかけたのだから。



 18年前。勇者一行が倒した魔王が――君臨した。



 そして、その姿のどこにも銀髪の少女の面影は残されていない。

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