45 cage

 背から刃が突き出る。そこから赤い血が伝い、床に落ちていった。

 状況がまるで理解できていないのかアクロはぱちくりと瞬きをする。

 

「——?」


 疑問を口にしようとして、しかしそれは喉の奥から湧きだした血に遮られる。

 咳き込み、ぼたぼたと唇と顎そして服を濡らしていく液体を不思議そうに見ていた。

 刃が抜かれる。アクロの姿勢は大きく崩れて、前のめりに倒れ込んだ。


「ルミリンナ!」

「邪魔をしないでください、オズ」


 アクロの元へ向かおうとして、オズワルドは太腿に冷たいものを当てられた感覚がした。

 すぐにそれは熱さになり、痛みに変わっていった。

 恐る恐るそこを見るとナイフが刺さっている。

 オズワルドは痛みに慣れているとはいえ耐えられるわけではない。ささいな人体の知覚のひとつだと思い込もうとしても一度認識してしまった痛みは離れてくれない。


「クラ、リス……!」

「やはり勇者の復活を皆が待ち侘びているのですね。ルミリンナさんがご自分の身を差し出しに来てくれるんですもの、きっとそうなんだわ」


 彼は膝をついた。

 動かなくなったアクロを引きずって双子の亜人は魔王召喚のために描かれた円の中央へと向かって行く。

 血の跡が床に残る。ほどけた銀髪が赤に染まっていく。


「別に、枷を外してもいいのですよ? オズ」


 優しく彼女は告げる。


「子どもたちはどちらにしろ死にますもの。召喚された魔王に殺されるか、あなたが殺すか。ただそれだけの差です」

「……いつからこんなことを考えていた」

「16年。16年ですよ、オズ」


 どさりとアクロの身体が床に落とされる。

 じわじわと彼女の下から血がにじみ出て来ていた。


「わたくしたちが彼を失ってから、ずっとずっと裏で動いていたのです。意味のない嘆きの期間は楽しかったですか? オズ」

「じゃあ16年の月日を俺が泡に返してしまって申し訳ないな、クラリス。あいつは永久の眠りについた。その邪魔はさせない」


 バキン、と甲高い音ともに枷が壊れる。

 同時にまわりの子どもたちがナイフを自らの首元に当てた。


「【詠唱破棄】」


 高度魔法だ。自らの視界と動きのみによって制御される。詠唱よりも魔力を使用し、杖よりも狙いが甘くなる代物でもあった。

 片手を振る。見えないちからが刃物を次々に折り曲げていく。

 クラリスがルミリンナに意識を割かれこちらへの注意が散漫になっている間、膝をついて視線を低くすることで周りの位置関係を把握していたのだ。


「ッ」


 ナイフを引き抜く。即座に治癒魔術をかけた。


「……オズ。自身に治癒魔術はやめなさいと言ったはずです。聖職者以外の使用は、生命力を削るのですよ」


 オズワルドはその言葉を無視して振り返る。

 イヴァとノヴァを退けてルミリンナを取り返さなくてはならない――。

 ブレスレットはクラリスに渡されていた。多少強引にでも奪い返す。

 そう考えた矢先だ。

 ルミリンナの横たわる円に、異常が生じたのだ。


 周りに描かれている文字や線がほの暗く発光し、徐々に輝きを増していく。

 次に地鳴りのような音が鳴り響いた。

 その場の全員が唖然と見守る中で、空中にそれは現れた。


 ——体毛の代わりに触手を生やした、ケルベロスらしき魔獣。

 全長は10メートルほど。尻尾の先は針のように鋭くなっている。


 ぬちぬちと触手をうごめかせ、三つの頭それぞれが動いて匂いを嗅いでいる。

 足元にいるであろうルミリンナの姿はオズワルドの位置からはまったく見えない。召喚されたものの魔力もあり、うまくルミリンナの魔力を探知することも出来なかった。


「まだ詠唱していないのに……」


 クラリスが呟く。


「強すぎたんだよ、贄が。上等なエサの匂いがして、居てもたってもいられなくて勝手に来やがったんだ」


 彼女の腕から自分のブレスレットを取り、杖を出す。


「子どもたちを避難させろ。あの触手犬は俺が何とかする」

「先ほど言いませんでしたっけ? この子たちは魔王に食べさせるのですよ」

「まだ言うかばかが」


 杖を振るう。

 透明の檻が魔獣を囲う。すぐに異変に気づき魔獣は暴れだした。

 アクロの暴走と同程度の負担がオズワルドにかかる。あちらが『破壊』ならこちらは『暴力』だ。


「あらあら、オズに止められるのでは意味がありません」

「いいから早く……」

「イヴァ、ノヴァ」


 クラリスは手を叩いた。


「行きなさい」

「はい」「シスター」


 一番魔獣の近くにいたふたりは手をつなぐ。

 そして――檻に穴を開けた。亜人の持つ魔力はただの人間のそれを凌ぐ。それが二人分だ。

 オズワルドがとっさに穴を塞ごうとするも触手がこじ開ける。


「【攻撃魔術・『矢』】――!」


 ざくざくと光の矢が触手を貫いていく。

 だが双子はふらふらと3つの頭の方へ歩いていった。檻の中でほうぼうに触手が伸び、子どもたちを狙っている。

 イヴァとノヴァを引き戻す魔術に魔力を充てるのは一瞬しかない。そこに賭ける――

 その矢先だった。

 背中から生えた、他よりも太く長い触手の先端が口を開けたのだ。まるいかたちの口にはびっしりと鋭い歯が並んでいる。


「逃げ――」


 オズワルドは叫ぶ。

 だが、声が届く前に触手はイヴァを刈り取るようにして食らった。

 ノヴァとつないでいた片腕だけを残して。


「え?」


 片割れが消え、ノヴァは間の抜けた声を出した。


「イヴァ?」


 片腕だけのイヴァを見て、目を見開く。そして悲嘆の表情に変わっていく。……洗脳が解けてしまったように。

 オズワルドがとっさにこちらへ引きずる魔術を使うが、彼女自身が切り落としてしまった。


「ノヴァ! なにしてる!」

「あの子達はずっと一緒ですからねえ」


 場にそぐわないのんびりとした口調でクラリスは言う。


「死ぬときも一緒なんでしょう」


 頭の1つにノヴァが飲み込まれた。

 ふたりぶんの魔力を取り込み、魔獣は高らかに咆哮する。

 戦力はオズワルドただひとり。加えて守らなければならない存在が数十人。

 絶望的としか、言いようのない戦いであった。

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