episode6 『勇者亡き世で魔王退治を』

44 イノセンス

 ――勇者をお迎えするのですよ。

 オズワルドは自分の耳を疑った。


「なにを言っている?」

「あらオズ。あなたなら喜んでくれると思ったのに。それとも理解が出来なかったかしら」


 知らず、冷汗がしたたり落ちる。この感覚は覚えがある。

 奴隷時代。商人が居眠りをしてランプの灯を檻に移らせたとき。

 浮浪児時代。貴族の家から逃げた犬が仲間に組みついたとき。

 孤児院時代。脱走を図った後輩が塀から足を滑らせたとき。

 弟子時代。兄弟子が功績に目がくらみ単身盗賊団討伐に行き戻ってこなかったとき。

 最後は死がまとわりつくろくでもない結果に終わっていた。

 ……俗にいう、「最高に嫌な予感」だ。そうとしか言えない。


「……正気か、クラリス」


 仮にも聖職者だというのに。

 ひとの命について誰よりも知っているはずの彼女が、軽々しく口にするとは思わなかった。


「あいつはもう――いないんだぞ」

「眠っているだけです。魔王が再び現れたら勇者も目覚めないとならないでしょう」

「待て、待ってくれ。アレキは死んだんだ。分かるだろう、俺たちで埋葬を見届けたじゃないか」


 白い花に埋め尽くされたアレキに、棺桶の蓋をかぶせたのは他でもない勇者パーティだ。

 化粧が施され生前の彼とは違う唇の色をよく覚えている。


「あれは肉体の死ではありませんか」

「魂では勇者は生きていると?」

「はい。戻る場所がなくてここにいないだけです」


 冗談で合ってくれと願う。

 だが、クラリスの目は純真で濁りひとつない。それがひどく恐ろしい。


「……そんなことを、誰にそそのかされた? あいつを復活させたい奴がいるのか?」

「いいえ? これはわたくしの意思ですよ」


 なお悪い。 


「じゃあ、あそこの……マザーたちも、あなたのせいだというのか?」


 折り重なるようにして倒れ、放置されているマザー・ベルリカたちを顎で指し示す。

 先ほどから少しも動かない。

 そしてもう出血はしておらず――死亡しているのは、ここからでも分かった。


「違いますよ。これは慈悲です」

「慈悲だと?」

「たまたま花の毒が入ったお水を飲んでしまい、ひどく苦しみだして……『楽にしてほしい』と泣いて縋ってきましたから、その通りにしてあげただけですよ。それとも死に至るまで黙ってその様を見ていろとおっしゃるのですか?」

「……クラリスは毒を中和できる魔法を知っているだろう」


 オズワルドは毒無効の祝福をかけられているが、勇者や戦士はそうではない。

 魔獣の毒の爪に引っ掻かれて死にかけたふたりを助けたのは、他でもないクラリスだ。


「そうでしたっけ」


 表情を崩さず、ほほ笑んだままひょうひょうと彼女は答える。

 オズワルドは唇を噛んだ。たまたま、ではないだろう。

 花を漬け込んだ水を用意し、クラリスからは強制せず、しかし中身を知らせないままマザーたちに水を飲むように仕向けたのではないだろうか。キッサイカ家のように。

 そうして、「仕方なく」命を奪うことが出来た。全貌さえ明かされなければクラリスはただ死という救済を与えたに過ぎない。……聖職者のごく一部に許される、安楽死を乱用したのだ。


「あなたは頭がおかしくなったのか? こんなことしてもあいつは戻らない。いたずらに犠牲を増やして、己の罪を重ねていくだけだ」


 小さく息を吐いて、クラリスがぼそりと呟く。


「喜んでくれないのですか? オズワルド。彼のことなんでどうでも良くなってしまったと? あなたが一番あの子を待ちわびていると思っていたのに」

「……」


 この16年、オズワルドはアレキの喪失を抱えて生きて来た。

 彼と交わした約束をかたくなに守り、不在の穴を埋められないまま、ここまで来てしまった。


 だが、アレキと再び会いたいとは思わない。

 彼は死んだ。看取ったのはオズワルドだ。

 遺書を書くのも手伝った。身辺整理も一緒にした。最期の三日間は寝ずに看病した。冷めていく身体を確認した。生前アレキが世話になっていた人たちの元へ代わりに挨拶しに行った。アレキの故郷があった場所に遺品を埋めに行った。保存の流れになっていた終の棲家をこっそりと燃やした。

 二度と会えないと分かっているから必死で整理した。そうしなければ狂ってしまいそうで。

 完全にこの世にはいないということを、誰よりもオズワルドが理解している。


「国にいたずらに消費され、搾りかすのようにされたアレキに、また世界を救えと言うのか? それこそ酷だろう」

「今度はもう好きなように使わせません。皆が勇者を称えるように、魔王には倒される前に何もかも破壊してもらいましょう。どれだけ彼がありがたい存在なのか知らしめなければ」

「あいつがそんなことを望んでいるわけないだろう!」

「彼が勇者の務めを放棄するわけないではありませんか!」

 

 会話がかみ合わない。

 クラリスは――「アレキ」ではなく「勇者」を熱望しているのだ。

 アレキはその器でしかなく、クラリスにとって都合のいい存在でしかない。


「……他の連中と同じじゃないか、クラリス……! あいつの人格もなにもかも無視して、自分の思う通りに動かそうとしているゲスでカスどもと同じだ!」

「オズワルドだってそうでは?」


 頬に手を当ててクラリスは目を細める。


「あの子の味方のフリをしておきながら、結局最後までこの国から出すことができなかったくせに」

「……ッ」

「大丈夫ですよ。この国を潰してしまえば、誰も縛るものはいなくなります」



「まずは勇者を呼び戻します。残念ながら、肉体は手に出来ませんでしたが……彼の遺品はいくつか集めさせました。それが触媒となるでしょう」


 円の中央にごちゃごちゃと置いてあるのは遺品らしい。

 スロアが指輪を欲しがったのは――このためか?


「同時に、魔王を召喚します。わたくしたちが倒した魔王でなくとも、とびきりに強くて手のつかない魔獣が召喚されるでしょう。従える気なんてありませんから周りのものすべて壊してくれる存在を」


 荒唐無稽な計画過ぎる。そんなこと、出来るわけがない。

 だがクラリスは真剣そのものだ。


「むちゃくちゃと自分で言っていて気付かないのか。同時召喚はともかく、魔王が復活したらここは無事では済まないぞ。この場の人間全員が食われておしまいだ」

。魔力を多く持つ種族が」

「は」

「その間にこの場から離れることができます」


 ぞっとした。

 変わらない笑み、変わらない口調。

 聖女は――魔王への生贄に、子どもたちを差し出すつもりだ。


「そのために、子どもたちを引き取り、洗脳を……?」

「ここまで愛して、大切に、幸せに育てました。恨みなんてないはずです」

「ふざけるなクラリシアッ! お前の一存で何十人死ぬと思っているんだ!」


 怒鳴り声がむなしく響く。

 クラリスはやれやれと首を振り、瓶を取り出した。


「うまくお話が出来ないというのも悲しいものですね……。実際に勇者に会えば、変わるとは思いますが」


 一歩ずつ、クラリスはオズワルドに近づく。


「血液には魔力が混ざっているのはご存知ですよね。だから、あなたの血をいただいて、召喚の補助に使います」

「そのために俺を呼んだのか」

「当初はあなたから血を貰う予定ではありませんでした。勇者の復活に立ち会っていただきたくて……。本来は、ルミリンナさんから貰いたかったのです」


 銀髪の少女が脳裏に浮かんだ。

 今、何をしているだろうか。医務室で大人しくしていればいいが。


「彼女はとてつもない魔力を秘めています。全身の血を使えば、どれほどの魔獣が召喚されるでしょうか」

「……殺す気か」

「勇者に比べればどうってことないでしょう?」


 絶句する。

 もう、勇者以外はどうでもいいらしい。誰が死のうが苦しもうがクラリスには視界の外なのだろう。


「さあオズワルド、血を分けてくださいな――」


 遠くでけたたましい破壊音が響いた。エントランス周辺だろう。

 こんな時間に、派手な来訪をしでかす客人などいない。


 どうか予想が外れてくれとオズワルドは願った。

 この際魔獣でもなんでもいい。ドラゴンとかワイバーンでも構わない。

 どうか、どうかあの少女ではありませんように――。

 だがその祈りは叶わない。


 ドアがひび割れ、粉々に飛び散った。

 銀髪の少女が姿を現す。目はちらちらと緑と金が入り乱れている。


「先生、これはどういう――」

「逃げろ!!」

「イヴァ、ノヴァ」


 アクロと、オズワルドと、クラリスの声が重なった。

 真っ先に動いたのはイヴァとノヴァだ。

 軽やかな足取りでアクロの元へ走りながら、腰の後ろに隠していた細身の剣をすらりと引き出す。


「え」


 二本の剣が、アクロの胸と腹を貫いた。

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