25 砕ける

 クラリスは笑みを崩さず、睨みつけるオズワルドの目を真っ直ぐに受け止めていた。


「何を、と言われましても。それ以上でもそれ以下でもありません」

「……俺は『魔王を復活させる』というように受け取りました」

「まあ、そうなのですね」

「クラリシア、否定してください。俺の認識が間違っているのだと……そんなこと考えていないと」

「オズ。わたくしは――」


 クラリスがなにか喋り出したタイミングで、鐘が鳴り響く。

 声をかき消す程度には大きな音だ。

 以前からこの時間に鳴ることはあっただろうかとオズワルドは頭の片隅で考える。

 余韻が完全に消えてから再びクラリスは口を開く。


「そんな顔しなくても、魔王を復活させることはしませんわ」

「……冗談でもやめてくださいよ」


 じっとりと杖をもつ手が汗をかいている。

 『死者蘇生』は禁忌魔法だ。いかなる生命に対しても禁じられており、とくに魔王など世界の敵であるから蘇らせる予兆だけでも重罪になる。

 それに蘇生のためには膨大なコストがかかるのだ。故人に強い縁がある物品、そして――生贄。

 冥界から命を引っ張り出すのだから生半可な覚悟と用意では成功しない。『死者蘇生』ができるのではないかという術式はあるものの、いまだ成功に導けていないので正解かも不明だ。最も、成功しても黙っているだろうが――。

 というか『死者蘇生』をしようと魔王は復活しない。

 すでに転生して魔法大学に通っているので。


「……この年になると、いろいろ昔を懐かしみ過ぎていけません……」


 遠い目でどこかを見るクラリスは寂し気に呟いた。

 かけるべき言葉も思いつかずその様を見つめているとどたどたと騒がしい足音が呟いてくる。


「シスター!」

「おねえちゃんがはなぢだした!」


 ノヴァがアクロを両腕で抱えながらこちらへ向かって来る。付き添うようにイヴァも隣に居る。

 有翼人は羽根が機能しなくなるとそのぶん四肢に筋力が行く。そのため自分より背の高いアクロでも軽々と持ち上げ運ぶことができるのだろう。


「うう、ひとりで歩けますって……」


 手で滴る血を押さえながらアクロは呻いていた。


「まあ、どうしたのです?」

「ちょっと自分でも分からないのですが、突然血が出てきて止まらなくなって……」

「上向いて首にチョップかますと良いんだったか」

「オズワルド、あなた子どもたちの前で間違えた鼻血の対処法を話さないでいただいてもいいですか?」


 ぴしりとオズワルドに注意しつつクラリスはアクロの鼻に人差し指をそっと乗せる。

 ピンク色の淡い光が指先に灯り、流れていた血が止まった。


「わ……すごい」

「本来なら自然に止まるまで待ちますが、この様子だとかなりの出血になりそうなので治癒させてもらいました。もともと鼻血が出やすい体質なのですか?」

「うーん、あんまり出ないはずなんですが……」

「緊張しすぎじゃないのか。これだから箱入りお嬢様は」

「箱から出ていますけど?」


 軽口を叩き合う合間にオズワルドとアクロは視線を交わす。

 この場では言えないことだと察するとオズワルドは小さく頷いてからハンカチを取り出した。


「とりあえずこれで顔を拭いておけ」

「で、でも汚れてしまいます」

「染み抜きの術式どっかで習わなかったか? じゃあそれ宿題で」

「ええー……」


 マーサリーたちがその様を見て目を丸くする。


「えっ! オズ先生ハンカチもってる!」

「もっていないかと思ってた!」

「俺はお前らの年にはしっかり持ち歩いてました~」

「嘘つきなさいオズワルド。一番初めの召集かけられた時、持っていなかったでしょう?」

「そういうのは言わなくていいんですよクラリス」


 ノヴァに下ろしてもらい、アクロはほっとした顔をする。


「ありがとうございます。重くありませんでしたか?」

「多少は」「重いです」

「……」


 社交儀礼に不慣れなのか、それとも皮肉の返しなのか判断が付きづらい。

 なぜイヴァとノヴァがアクロに敵意丸出しなのかいまいち理解できないが、女子の世界というのはそういうものだろうと触れないことにした。


「申し訳ありませんが今日はこのまま帰ります。ルミリンナもこれですし、明日の講義準備もしなくてはなりませんから」

「少し休まれたほうがいいかと思いますが……」

「いえ! お気遣いありがとうございます、大丈夫です。鼻血が止まったらもう元気なので!」

「でも……」

「責任を持って経過観察はしますよ。また時間を作ってゆっくり来ます」


 有無を言わさずにオズワルドははっきりと伝える。

 アクロは目を伏せ気味でいるが、何回かに一度の瞬きで瞳の色がきんいろに変わっている。長居をすれば正体がバレてしまうだろう。

 ……クラリスにアクロの前世が知られてしまうと、つながりのあるロッダムまで話が行きかねない。そうなると事態が酷くややこしくなる。


「クラリスも、結界になにか異変などがありましたらすぐに連絡してください。トルリシャは確かに速達には適していますが、一応関係者外なので……連絡鳩を使っていただければ」

「分かりました。お気をつけてくださいね」


 話を聞いていた子どもたちが騒ぎ始める。


「もう帰るのー?」

「もっといろよ」

「泊まっていけばいいのに」


 オズワルドはため息をつきながら頭を撫でていく。


「俺は忙しいの。また来るから仲良くしているんだぞ」

「はーい」

「絶対だぞ」


 クラリスは他のシスターに指示を出し、門の方角へ手のひらを向けた。


「オズワルド、門まで送りましょう」

「慌ただしくてすみません、クラリス」

「わたしも処置していただいて申し訳ありませんでした……」

「いいえ。体調には気を付けてくださいね」


 門を出る前にオズワルドはクラリスに向き直る。

 どちらにも感情はなく、腹の探り合いをしているような印象さえあった。アクロは黙って事の成り行きを見守っている。


「本日はお忙しい中ありがとうございました、オズワルド」

「マザーとシスターたち、子どもたちによろしくお伝えください。クラリスも無理をしすぎないでくださいね」

「それはそっくりそのままお返しします。無理をしないように」

「はい」


 盛大に目を泳がせていたのでクラリスは呆れた顔をする。

 待ち合わせしている馬車はまだ来ないが、さいわい近い距離に馬を休ませる場所があり、そこにいるはずなので歩いていくことにした。その時間まで待てばいいのに、と言われる前にオズワルドは孤児院を離れたかった。

 去り際に、オズワルドは釘をさす。


「……俺は、あなたの良心を信じていますよ。クラリシア」


 クラリスは、答えなかった。



 人があまり通らない場所故にか舗装の甘い道をオズワルドとアクロは歩いていく。

 アクロは孤児院を離れてから気がわずかに緩んでしまったのか、魔力を垂れ流している。寒気に耐えながらオズワルドは声をかけた。


「……なにがあった」

「歌を――みんなが歌い始めたんです」

「歌?」

「そしたら、魔力を制御できなくなってきて、命令だってしてしまって、ここまで暴走するの、初めてで……お腹空いちゃいました……」


 ぐ、とアクロは自分の腹を押さえた。


「ルミリンナ?」

「そうだ、お腹、空いてて……食べないと……食べてはいけない……」


 『魔力封じ』が砕け散った。

 破片が道に散らばる。


「ルミリンナ!」

「■■だメ■抑エ■■■ドうシ■テ」


 足元に生えていた雑草が一気にしぼみ、枯れていく。

 その様を見て咄嗟にオズワルドは防御魔術を自分にかけた。直後に強い魔力が叩きつけられる。


「飲み込まれるな! 『ここ』に集中しろ!」

「■たす■■て、せんせ、い」


 その言葉を聞いて、危険だと分かっているのに手を伸ばした。

 髪の毛を真っ黒にした少女は、彼の手に触れようとし――そのまま崩れ落ちた。

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