17 魔王であったもの

 ——薄々、勘づいていた。

 アクロは普通の人間ではない。

 天才だとか俊才の枠組みの外側にいる、人の皮を被ったなにか。


 魔法陣を『破壊』することも。

 無垢で無邪気な思考も。

 蝶のかたちをした魔力の塊も。

 

 すべて、魔王が有していた。


 だから「ああ、やっぱりか」という納得があった。

 それと同時に「なぜ」という気持ちもある。

 なぜ――


「……なぜ、お前は俺を殺さない?」

「へ?」


 それは首を傾げる。

 さらりと流れた髪から色が落ち、元の銀色に戻る。


「その胸の傷は俺が穿ったものだ。首の傷は勇者によって切り落とされた名残だろう」

「ええ」


 歴史の底に沈んだ神々が鍛えた刃は、唯一魔王に通る剣として勇者に選ばれた者たちの手を渡り続けた。

 最後に選ばれたのは【鈍色の勇者】アレキだ。

 彼の手で、終わった。聖剣のちからも。魔王のいのちも。


「お前が俺を殺す理由は十分にある」


 じくじくとわき腹が痛む。幻痛だ。あの傷はすぐにクラリスが塞いだのだから。


「だというのに、なぜここにいるだけなんだ。殺気も敵意も出さず、殺すそぶりも見せない?」

「あー……」


 少女の顔をしたそれは困ったように髪をいじる。

 頭上に浮いていた途切れ途切れの輪は、どろりと溶けて床に広がり、彼女の身体に集束して消えた。


「あなたはひとつ、勘違いをしているかもしれません」

「勘違い……?」


 それが口を開こうとしたとき、「きゅう」と頭上から鳴き声が聞こえた。

 学内妖精はまっすぐにそれの元へと飛んでいく。

 オズワルドがとっさに杖を振った。球状の防御魔術が学内妖精を囲う。だが妖精は止まることなく進んでいく。


「お優しいですね、先生は」


 果物の皮を剥くような気軽さで防御魔術を破壊した。

 手のひらに乗った妖精を愛おしそうに眺めたあと、それはオズワルドに視線を戻す。


「わたしがあなたから意識をそらした一瞬。攻撃をするなら絶好のチャンスだったのに、この子を守るためにふいにしました」


 どの世界でも一瞬の隙は勝敗を分ける。

 それをオズワルドは痛いほど、いや幾度も痛い思いをしながら知っていた。

 恐らくもう、目の前に佇むモノは隙を作らないということも。


「先生のわき腹を撃ち抜いたあの攻撃だって、あなたではなく勇者を狙ったものでした。だけど身を呈して彼を庇っていましたね」

「殺しそこねたことを後悔しているのか」

「違いますよ、もう。それが勘違いだというのです」


 少しだけそれは頬を膨らませた。


「わたしは最初から、あなたに殺意も敵意もありません。先生だけではありませんね。勇者にも、聖女にも、戦士にも」

「……どうして? 殺されたことを恨んでいないのか」

「人間の思考ですよ、それは」


 目を伏せ、人差し指の腹で学内妖精を撫でている。


「魔王はお腹が空いていたんです。ずっと。だから、目の前にあるものを片っ端から食べたかった。食べて食べて、色んなものを取り込んで、いつしか王と呼ばれるものに成り果てた」

「……」

「今までも魔王わたしを殺そうとしに来た人たちはいました。だから、食べ返してきました」


 魔王の姿はひどく独特だった。

 人間のようなシルエットをしながら、よく見ると様々な生き物のパーツが散らばっていた。

 顔はヒトであったが、肌は半分以上が鱗や羽毛、足は鳥、手は爬虫類、角は山羊。身長は2メートルを軽々と越えていた。

 体内に取り込んだものがそのまま身体の一部と変化していったのか。


「でも勇者は違った。まどろむ魔王の夢に何度もあらわれては、対話を試みた」

「……生まれが特殊だからな、あいつは」


 オズワルドだけに明かされていたことだ。

 様々な事情がありアレキは無意識下に魔法が使えていた。意識しては使用できないために戦闘で生かされたことはない。


「夢とはいえ食べても食べてもあの人、現れるんですよ」

「怖いな」


 そんな悪夢を見ていたのか、と今更ながらに知る。

 深く眠れてはいないようだったのはそのせいもあったのか。


「今のわたしなら心底怖いでしょうね。……魔王わたしは結局、最期を迎えるときまで彼の行動や言動の意味を理解することはできませんでした」

「……」


 アレキの言葉は回りくどく、純真すぎた。

 情緒など皆無であろう魔王には難解だっただろう。

 

「でも、最期に投げられた言葉と、表情。あの瞬間、魔王わたしに自我が生まれました。遅すぎましたけどね」


 魔王の生首になにかを語りかけていたアレキを思い出す。


「なにを言われた?」

「それは秘密です」


 くすくすとそれは口元を隠す。


「話、だいぶ脱線しましたね――だから、魔王のときから恨みも殺意もないんですよ。そうでなかったら夢中で勇者一行の伝記とか読んでいませんもの」

「恨みも殺意もないなら、どうして俺に接触してきた?」

「……素性を隠して生きていくつもりでした。それに、魔術構成学は興味がありましたし、勉強することも好きです。わたしの知らないことをもっと知りたかった」


 たぶん、今日の一件がなければアクロが魔王の生まれ変わりと気づくのはずっとあとになっていただろう。

 いずれはボロが出て発覚していたはずだ。攻撃されたとき、反撃にためらいがなかった。ああなると正体を完璧に隠すことは難しそうだ。


「【紺碧の魔術師】オズワルド・パニッシュラのもとで、いろんなことを知りたいんです」


 もはや魔王の面影は瞳だけで、あとはこの研究室に入り浸る少女のかたちに戻っていた。


「先生。元魔王を弟子にしてみませんか」


 きんいろの目をした少女は、そう言って静かに笑った。


 オズワルドはしばらく黙ったあとに杖をしまった。

 それからつかつかと彼女に近寄り、頭をはたく。


「帰れ」

「ええっ……」


 不満げな顔をした少女の目は緑色に戻る。

 どこか安心した気持ちになりながらオズワルドはため息をついた。


「魔王だろうがなんだろうが弟子は取らない」

「でも今日弟子って」

「やっぱり言うと思った。あれはその場しのぎの嘘だばか」

「でも周りは弟子を取ったと騒ぐはずですよ」

「俺が取っていないといえば取っていない」

「暴論ではないですか……」


 オズワルドは手首に当たる灰色のビーズに意識を向ける。

 ――これはお前の望んだことなのか?

 胸の中でそう問いかけた。答えは当然ない。


 再びため息をついて、オズワルドはアクロを追い出す。

 もう来るなとは言わなかった。


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