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 今日は俺は、セリアーナから預かったファイルを読むために、彼女の護衛の任務から外れて、部屋にいたんだ。

 まぁ……護衛っていっても、セリアーナが移動するのは屋敷の中だけだし、外からの客と会うわけでも無い。

 要るか要らないかで言えば、別に必要なわけじゃ無いんだ。


 だから、気兼ねなく俺はお勉強に集中する事が出来た。


 んで……だ。

 俺が集中しやすい体勢を部屋で色々試していた結果、ソファーで横になりながら読むことになった。


 この世界の本は、図鑑みたいにデカいサイズの本が多いし、小さい本もあるにはあるんだが、いまいちしっくりこないサイズの物も多かったりする。

 もちろん、俺も寝転がって本を読んだりすることもあるが、アレはアレで、結構気合いを入れていたりもした。


 だが、今日俺が読んでいたファイルは、程よい大きさで、尚且つ軽かったため、力を抜いて読む事が出来ていた。

 ソファーの上で横向きに寝転がって、何時間も集中出来るほどに。


 だからだろうな……。


「……ぉぉ」


 鏡を見て思わず声を上げてしまった。

 髪がすげーのよ。


 ファイルを読んでいる間中、右側をずっと下にしていたせいか、そちらは髪がペタッと型が付き、反対の左側は右に向かって垂れ下がるように寝癖が付いている。

 普段から【浮き玉】に乗っているから、あまり重力ってものを気にしない生活に慣れていて、髪への癖は寝起き以外にも付くってことを忘れていた。


 うっかりだ。


 ただ……部屋から出て少し行ったところで使用人と会ったんだよな。

 その使用人に案内されながら、ここに向かって来る途中にも何人かの使用人とすれ違ったりもしたが、誰からも何も言われないし、何も無いと思うじゃないか……。


「ぬぅ……」


 誰が悪いかっていうなら多分俺が悪いんだろうが、それでもついつい屋敷の使用人に責任を転嫁したくなる。

 そんな事を考えながら鏡を睨んでいると、再度セリアーナから声がかかった。


「むくれていないで、いい加減来なさい。髪を直すわよ」


 先程も同じことを言われたが、鏡を見ることを優先したからか、若干語尾が強い感じがする。

 とりあえず、セリアーナの方に行くか。


「はーい」


 鏡から離れて返事をしたのだが……それはともかく、櫛とか無いぞ?


「よいしょっと……。ねー、櫛とか無いけど、どうすんの?」


【浮き玉】を抱え直してセリアーナの膝に座ると、道具も無いのにどうやって髪の癖を直すのかを訊ねた。


 まさか使用人に取ってこさせたりはしないだろうし、かといって、ここでわざわざ魔法を使ったりはしないだろう。

 どうするんだろう?


「【ミラの祝福】があるでしょう? 発動したら、手を貸しなさい」


「……ほ?」


 またしても、セリアーナの言葉に、俺は首を傾げることになった。


 ◇


「ぬ?」


 俺が大人しくセリアーナに髪を整えて貰っていると、こちらを感心したような表情で見ているリーゼルと目が合った。


「君のその加護は本当に便利だね。セリアもその効果をよく把握出来ているし……それに、今セリアがやっているように第三者と協力して扱うことも出来るし……」


 リーゼルは話しているうちに視線を俺から上げていき、セリアーナへと移している。


「本人が一番使いこなせていないんじゃないかしら? 動かないの」


「うぐっ」


 リーゼルの視線の動きにつられて頭を上に向けると、セリアーナに片手で頭を掴まれて、元の角度に戻されてしまった。

 前を向くとリーゼルの顔が目に入るが、彼は俺の様子を見て笑っている。


 今俺はセリアーナに髪の癖を直して貰っているのだが、道具も無しにどうやっているのかというと、まずはセリアーナの指示で、【ミラの祝福】を普通に全身で発動した。


 それ自体は、普段から俺が誰かに施療する際にも同じような使い方をしているし、もしかしたら関係無いのかもしれないが、その後、さらに右手を特に強めるように言われた。


 そして、セリアーナはその右手を掴むと、そのまま俺の髪を緩く巻き付けては、伸ばしていくように動かしている。

 要は、ヘアアイロンや櫛を俺の手で代用しているわけだ。


 リーゼルはそれを見て、誰かと協力して使う事が出来るって言ったんだろうな。


 しかし……よくよく思い返してみれば、そもそもこの加護を使えるようになったのって、寝癖を直すのを頑張っていた時だったし……ある意味原点に戻っているともいえる。

 これは確かに、セリアーナに俺が使いこなせていないって言われても仕方が無いかもしれないな。


 少々釈然としない気もするが、俺は大人しくされるがままになっていた。


 ◇


「セラ」


 髪を整え終わり、運ばれてきたお茶を飲みながら一息ついていると、セリアーナに話しかけられた。


「ん? なに?」


「ここに来ているという事は、もうファイルの内容は頭に入れたのよね?」


「……ぉぉ。うん、もう覚えてきたよ」


 髪形の事ですっかり忘れていたが、そう言えば俺がこっちに来たのはその事を伝えるためだったんだ。


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 ファイルの内容は頭に入れてきたのかという、セリアーナの問いかけに、俺は「もちろん」と答えた。


 商会や中の人間について等、書かれていること全てを覚えようとしたら、時間を相当かけないと無理だろうが、俺が見たい店だけに絞っていけば、数は一気に減っていくし、さらにその中から問題の無い店を……となれば、数店舗にまで減っていく。


 その程度なら、馴染みのない店や人間の事でも覚えるのは難しくはない。

 そこの従業員の関係性とかはちとややこしかったが……まぁ、大丈夫だ。


 何か話があるみたいだけれど、とりあえず内容について行けずに置いてけぼりってことは無いだろう。


 さぁ、来い!


 そう気合いを入れていると、セリアーナはテーブルに広げられている地図を指して、口を開いた。


「セラ、これを見なさい」


「……王都の地図かな? 騎士団本部で見せてもらった物ほどじゃないけれど、これも随分細かく描かれてるね」


 騎士団本部で見せてもらった方の地図は、所々に小さい文字も一緒に書き込まれていて、ちょっとゴチャゴチャしていて見づらかったりした。

 この地図は、それに比べたらいくらか簡略化されているが、街の通りや配置はしっかり描き込まれているし、むしろ見やすさだけでいえば、こちらの方が上なくらいだ。


「お? 何か線が引かれているけど、これは何?」


 まじまじと地図を見ていると、エリアごとに赤や青の線で枠が作られている事に気付いた。

 これが通りの上に引かれているのなら、例えば兵士だったり、移動している何かを表しているんだろうが、ただ地図上にエリアを区切っているだけだからな。

 恐らく区分けみたいなものだろう。


「お前が一人で街を見る際に、移動してもいいエリアや、気を付けるべきエリアを分けたのよ。今からその話をするから、よく聞きなさい」


「……ほぅ」


 なるほど。


 言われてみれば中央広場を境に、教会が含まれてさらに外国人が多かったりする北街と、王都外の平民が多数出入りする東街には近寄らない方がいいってことなんだろうな。


 しかし、街の兵士の巡回ルート以外にも、随分色々警戒しているようだな。

 騎士団本部で聞いた、怪しい連中が潜伏しているエリアは当然含まれているが、それ以外の場所も結構入っているし……これは何を警戒しているんだろうな?


「セラ君、始めていいかい?」


「お? あ、お願いします」


 リーゼルの声に、ふーぬ……と地図を睨んでいる顔を上げて、慌てて返事をした。


 地図の謎に気を取られて、ついつい忘れてしまっていたが、そういえば今この場にはリーゼルやオーギュストもいるんだ。

 セリアーナと違って、彼等なら変に隠したりしないで聞いた事には答えてくれるだろう。


 身を乗り出して机の地図を見ていたが、俺は姿勢を戻して彼等の話を待つことにした。


 ◇


 リーゼルたちの話を大人しく聞くこと、十数分。

 地図を基に、今の王都の情勢だったり色々聞かせて貰ったのだが……なんというか……。


「はーん……。大体の事はわかったけどさ、ちょっと気分転換のお散歩程度のつもりで言ったんだけど、何かごめんね? 色々気を使わせちゃって」


 俺的にはただのお散歩に行きたいって程度のつもりだったんだが、思った以上にリーゼルたちが真剣に対処を考えていて、なんだか申し訳なくなってきた。

 喋っていて、だんだん声が小さくなっていく。


 今までこの王都で俺が街中で絡まれたことなんて、昔冒険者ギルドを出てすぐのところで、チョロっと絡まれた事があったが、それくらいだ。


 そりゃー、西側と繋がりがある連中が潜伏している近辺に、一人でフラフラ近寄ったりするのならまだわからないが……。

 それでも俺がこの王都で危ない目に遭うってのは、ちょっと考えにくいんだ。


 だが、ミュラー伯爵家の令嬢である俺の身に何かあったら、その影響は今までの俺の比じゃないし、ミュラー家はもちろん、リセリア家も王都を守る中央騎士団も……色んな所に迷惑が掛かってしまう。


 仮に何かがあっても、正直言って大抵の事なら無傷で何事も無く切り抜けられる自信があるんだが……そもそも何事も無く切り抜けたとしても、俺が絡まれるってだけで問題になってしまうし、たかがお散歩だとはいえ、その事を考えたら、これだけ警戒というか、備えをするのも仕方が無いことなのかもしれないが……なんとも申し訳ない。


「君には王都の滞在期間中は何かと不便をかけてしまっているからね。その事は気にしないでくれ。それよりも、申し訳ないが君が自由に動いても問題が無さそうなのは、このエリアになってしまうが、構わないかな?」


 リーゼルは「気にするな」と笑って答えると、地図を指して説明を再開した。

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