第157話

383


【本文】

鬱陶しかった雨季も終わり、秋の3月になった。

秋の3月は、雨季の間の消耗や損傷の確認に補修に、冬の間の備蓄等、やる事が多く慌ただしい月だ。

魔境に接するここ、リアーナでも、騎士団、冒険者、街の住民と、皆忙しそうにしている。


当然領主の屋敷もそうなのだが、今日は屋敷に流れている空気が少々違う。

エレナの子が生まれそうになったのだ。


予定日的なものから少し遅れていたそうだが、早産よりはいいのかな?

本人は特に慌てていなかったし、しっかり検査したりするわけでも無い。


まぁ、この世界の8ヶ月くらいで出産ってのも、俺の拙い妊娠知識から考えたら随分早いんだが……何だかんだ皆それで生まれて来ているしな……。


産婆さんに、念の為のフィオーラもスタンバっているし、心配は無いだろう。

俺に何かできるわけでも無いし、ここは鷹揚に構えて吉報を待てばいい。


「……セラ、落ち着いたらどうなの?」


「? いつも通りだよ?」


どこか呆れた様なセリアーナの声に言い返す。


俺はいつも通りクールなのに……。


「姫……逆さまになっていますよ?」


「ぬ」


ソファーに座っていたテレサが立ち上がり、俺の頭に手を当てると、くるりと半回転させた。

目を閉じてクルクル回っていたらいつの間にか逆さまになっていたようだ。


セリアーナが言うように、ほんの少しだけれど、落ち着きを失っているのかもしれないな。


「全く……。お前は子供の相手は慣れているのでしょう? そんな事でどうするの?」


「そりゃ慣れてはいるけど、赤ん坊とか、ましてや出産の事とかはまた別物でしょ」


「似た様なものでしょう……」


全然似てないと思う。

やっぱりこのねーちゃんも動揺しているんだな。


「お二人とも、何か飲んで落ち着かれてはどうですか? 出産とは時間がかかるものですし、今からそんな事では持ちませんよ?」


テレサは何かが気になったのか、怪訝な顔をしながらお茶の用意を始めた。


「……そうね。頂くわ。お前も【浮き玉】から降りて来なさい」


そう言うと、セリアーナは自分の隣を指している。


「はーい……よいしょ」


【浮き玉】から降りて、セリアーナの隣に座った。


「ふぅ……」


一息つくと、薬草のような香りが鼻をついた。


「テレサ、それは? いつものとは違うね」


「鎮静効果がある薬草茶です。妊婦が飲んでも問題無いそうですよ」


何のお茶なのか聞くと、そう返ってきた。

ハーブは妊婦さんに悪いって聞いた事あるが、何でもかんでもって訳じゃ無いのか。


「……悪いわね」


「フィオーラ殿も付いていますし、何の心配もいりませんよ。……どうぞ」


お茶を持って来たテレサは、それぞれの前に置くと自分も向かいに座った。


目の前に置かれたカップには薄い緑色の液体が注がれている。

……香りは悪くないがちょっと飲むのに勇気がいる色だ。

手を伸ばすのに躊躇っている俺と違い、セリアーナは一切躊躇うことなくカップを手に取り、口にやった。


「……美味しい?」


セリアーナの顔を見ると、眉をしかめている。

……美味しくは無さそうだな。


「苦いわね……お前も飲みなさい」


「慣れると悪くありませんよ」


テレサは特に表情を変えることなく飲んでいる。

ハーブティーというよりは、緑茶とかそういう感じなのかな?


あまり苦いのは得意では無いが、折角淹れてくれたんだし飲んでみるか……。


「……ぐっ!? ……にがい」


少量だが飲んでみたが……これは緑茶じゃなくて青汁だ。



お茶の効果か、あるいは単純に苦さで頭がリフレッシュしたからかはわからないが、大分落ち着いたと思う。

やっぱりさっきまでの俺達は軽いパニックになっていたようだ。


エレナは昼過ぎにいきなり、産まれるかもしれませんとか言って、そのまま出産用に用意した部屋に向かっていった。

本人は良くても、側にいた俺達の心の準備は出来ていなかったからな……びっくりしたもんだ。


「あら?」


「ん? どうかした?」


隣に座り本を読んでいたセリアーナが、何かに気付いた様だ。


「ええ……。エレナ達の部屋の前にいたものが1人こちらに来ているわね。他に動きは無いし、数に変わりは無い…………生まれたのね」

 

「おぉ……そりゃー良かった」


大丈夫だろうとは思っていたが、改めてホッとした。


「もうすぐ部屋の前に来るから、お前が報告を受けて頂戴」


「はいよー」


足元に転がしていた【浮き玉】を、足で手繰り寄せて乗っかり、部屋の外に向かった。


384


【本文】

部屋の前で待つ事数分。

廊下の先から、こちらに向かって駆け寄ってくる女性の姿が目に入った。


出産用に用意している部屋は、南館の1階のちょうど真ん中あたりにある。

セリアーナの部屋には、そこからぐるりと結構な距離を回って来なければいけない。

その割に随分早いなと思ったが……走ってきたのか。


使用人の制服じゃ無いし、もしかしたら警備の兵士かな?

こっちには女性しか入れないからな。


「セラ副長!」


そして、部屋の前の俺に気付いた様で、大きな声で呼んできた。


「……あぁ」


副長呼びをするって事は、やっぱりか。


そのまま俺の前まで来るが、息が切れているのがわかる。


「大丈夫?」


「はい! 大丈夫です! エレナ様は無事出産されました!」


彼女に声をかけると、力強く答えた。

なんでこんなに元気なんだろうか……と思うが、それは置いておいて、報告を続けてもらった。


生まれた子は男の子で、母子ともに問題無しだとか。

念の為フィオーラにも来てもらっていたが、若い健康な女性だ。

いらん心配だったか。


ついでに何でまたそんなに張り切っているのかと、それとなく訊ねてみたのだが、屋敷の中での仕事が初めてだったので、ついついテンションが上がってしまったんだとか……。


「……屋敷の中は色んな人がいるから、走るのは止めた方がいいかな? オレもいつもゆっくり飛んでるしね?」


「っ!? そうですね。気を付けます!」


「うん……その方がいいよ。中のセリア様にはオレの方から伝えておくね。ご苦労様」


「はい! よろしくお願いします。それではっ!」


そう言うと、回れ右をして、ズンズンと大股の早足で去って行った。

確かに走ってはいないが……。


「仕事のモチベが高いのは良い事かな……」


俺は、小さくなっていく背中を見てそう頷いた。



部屋に戻りセリアーナ達に無事生まれた事を伝えたが、彼女の加護で屋敷の中の人間の動きは把握できている。

母子ともに存在している事や、向こうで大きな動きが無い事から、察したんだろう。

多少ホッとはしたようだったが、特に大きな喜びを見せたりはしなかった。


「エレナなら問題は無かったでしょう。何も心配はしていなかったわ」


とか言っている。

俺も人のことは言えなかったし、少し前の狼狽えっぷりは忘れてあげよう。


「そういえば……」


今度は薬草茶ではなく普通のお茶をテレサに淹れてもらい、それを飲んでいると、何かを思い出したようにテレサが口を開いた。


「先程、姫が子供の相手が慣れているとかおっしゃっていましたが、そう言った経験があるのですか? 確か兄弟姉妹はいなかったと聞いていますが……」


……そういえばそんな会話をしたような記憶が薄っすらと。


フっと、隣に座るセリアーナに目を向けると、視線を避ける様に横を向いている。

これは覚えているな……そして、口を滑らせた自覚があるな。


セリアーナは、観念したのか、ふぅ、と一つ息を吐き、口を開いた。


「その経歴はお父様に用意させた物よ。本当はこの街の孤児院出身ね。その事を知っているのは、私とエレナ、アレク、お父様とその側近だけよ。貴方も他には漏らさないで頂戴」


「なるほど……【隠れ家】を使って、この街から離れたのですね。北東部を妙に避けていると思いましたが……納得できました」


あっさり言ってしまったセリアーナもセリアーナだが、テレサもすんなり吞み込んでしまった。

孤児院からの脱走はともかく、戸籍改竄とか結構大事な気もするけど、お貴族様にはよくある事なのかな?

展開の速さについて行けずポカンとしている俺をよそに、説明を続けている。


聖貨の件りはテレサも少々驚いていたが、どうやら平民の子供の過去はそこまで重要じゃ無いようだ。

まぁ、孤児院出身の子供と、借金苦で親に捨てられた子供と、他人から見たらそんなに差は無い気がするしな。

セリアーナのもとに来てからもう4年程になるが、経歴はそれで十分なんだろう。


「……わかりました。教会もですが、あの周辺の者との接触も、怪しまれない様に上手くあしらいましょう」


「ええ。大分影響力は削いでいるし、今更どうこうできるとは思えないけれど……。セラ。お前もいいわね」


「あ、はい……」


何かよくわからんが、今後の街へのお出かけはテレサがマネジメントするようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る