第110話

274


【本文】

「ひぃぃぃ…………」


夜の空に微かに響く俺の声。


テレサが【浮き玉】に乗り、俺は彼女に抱えられた状態でゼルキス領都へ向けて高速で移動している。

秋の3月ももうすぐ終わりというこの時期の夜、そして上空という事もあり寒さも昼間以上のものがあるが、厚手の革製のコートに帽子、マフラー手袋、テレサはわからないが毛糸の腹巻にパンツと防寒装備はばっちりだ。


もちろんゴーグルも着けて風圧対策もしている。


セリアーナは走り屋というかスピード狂というか……速度もコースもガンガン攻めていたが、テレサは堅実だ。

夜の王都と夜の草原と違いはあるが、一定の高さと速度を保ち、真っ直ぐ飛んでいる。


装備は完璧で、ドライバーも堅実。


だが、恐怖を感じる要素は無いはずなのに、なんだろうか……自分では無く他人が操縦するからだろうか?

セリアーナの時に比べ速度を多少は落としているはずなのに、あまり恐怖の度合いが変わらない。

すごく怖い。


「姫!大丈夫ですか!」


「だいじょーぶっ!そのうち慣れるから!」


怖いがグズグズしていても始まらないし、むしろどうせ変わらないのならいっそ速度を上げてもらいたい。


「この辺は前行った時も魔物が出たんだ!一気に速度を上げて突破しよう!」


「……わかりました。それでは速度を上げますから、しっかり掴まっていて下さいね」


そう言うと、言葉通り速度を上げ始めた。


テレサにしがみついているのでどれくらいの速度が出ているのかは見えないが、風の音と体にかかるGがどんどん増している事から、かなりの速度なのはわかる。

これはもしかしたら、前回よりもさらに時間を短縮できるかもしれないな。



基礎体力の違いだろうか……?休憩は一度もすること無くテレサは移動を続け、早々にゼルキス領都が見える場所まで辿り着くことが出来た。

恐らくかかった時間は4時間弱……今の時刻は3時前後ってところか。


いや凄いね。


テレサは堅実な人間だと思っていたが、魔物との戦闘を避ける為に俺が迂回していた森も山も意に介さず一直線だった。

まぁ、彼女なりに無事突破できる算段があっての事なんだろうけれど、魔物の気配がうようよしている上を通るのは心臓に悪かった。

とは言え、その甲斐あって前回よりもずっと早い到着だ。


そんなわけで、俺達は領都から1キロほど離れた所にある小さな森の浅瀬で【隠れ家】を発動し、朝を待つついでに休憩を取っている。


俺は領内の自由な移動の許可が出ているしテレサも爵位持ちだ。

街の中に入ろうと思えばこの時間でも普通に入る事は出来る。


だが、前回の様にただ手紙を届けてお終いと言うわけじゃなく、1週間程と短期間だが領主の屋敷に滞在する事になっている。

深夜に勝手に入り込むってのは、いくら顔見知りとは言え不味い。


それなら、どうせこんな時間に街に入ってもやることは無いんだし、朝まで【隠れ家】でゆったり過ごす方がマシだろう。


「そーいやテレサは、領都で何するの?何となくは聞いてるけれど、詳しい事は知らないんだよね」


ちなみに俺は初日……つまり今日は、親父さんに挨拶した後、ミネアさん達に【ミラの祝福】の施療を行う予定だ。

その後は適当に屋敷内でぶらぶらして、翌日からダンジョン探索に繰り出す事になっている。


俺個人としてはダンジョン探索が第一目的なんだが、建前上は領地間の交流だ。

顔繫ぎ程度ならこれでも十分だろうが、リアーナ領での仕事があるテレサまでわざわざ来ている以上は他にも目的があるはずだ。


「姫のお世話の為ですよ?」


真顔で即答するテレサ。


「…………あれ?」


世話っつってもダンジョンに潜っているし、それ以外はちょっと街をぶらついたり屋敷でゴロゴロしたりする位だけど……、あ、ひょっとして休暇扱いとか……?


「冗談です」


困惑する俺を見て満足したのか、そう言い自分の予定を話し始めた。


ざっくりまとめると、セリアーナじゃなくてリーゼルの名代として滞在するそうだ。

今まではゼルキスが魔境と隣接していたけれど、これからはリアーナがその位置に付くし、領地の役割も変わって来る。

その為の協議をするそうだ。

と言っても今回だけで決めるわけじゃないし、逆にゼルキス側がリアーナにやって来る事もあるだろう。


仕事だけじゃなくて、このゼルキスや東部の雰囲気をテレサに知ってもらう為ってのもあるそうだ。

休暇って予測は遠からず……かな?


275


【本文】

ゼルキス領都側の森で【隠れ家】に潜み続ける事しばし。

日が昇ったら外に出て街へ入る予定だったのだが……。


「んー……魔物の気配は無し……人の気配も無し……。うん、今なら大丈夫そうだ」


随分長い時間モニターで周辺の様子を覗い続けていたが、ようやく外に出るタイミングが訪れた。


この森は少し街道から離れた場所にあり、人が来ることは無いだろうと思っていたが、確かに商人や農民は来なかったが、冒険者や兵士がひっきりなしにやって来ていた。


なんでだろうなー……と思っていたが、この森は領都が利用している水源の一つがあって、雨季明けの調査の為だったらしい。

たまたま中から聞こえる範囲でそんなことを喋っていた冒険者がいて、その事が判明した。

テレサはこの街の事はほとんど知らないし、そこら辺は俺が把握しておくべきだったな……反省。


しかしまぁ……何というか……兵士は当然なのかもしれないが、冒険者も実に真面目な仕事振りだ。

どうにも未だ孤児院にいた頃のチンピラじみた冒険者達の印象が頭に残っていて、彼等の勤務態度にバイアスがかかってしまっている。


「はい。姫、こちらへ」


【浮き玉】に乗ったテレサがこちらに手を出している。

彼女の服装はスカート姿では無く、鎧こそ付けていないが騎士の制服に似たパンツスタイルに厚手のマントだ。

ここで休む事が出来る以上恰好なんてある意味何でもいいんだが、対外的には【浮き玉】に乗って飛んできたし、こっちの方が都合がいい。


ついでに偽装用の荷物が詰め込まれたバッグも用意済み。


差し出された手を取ると、ヒョイと持ち上げられた。

準備完了だ。


「オッケー!んじゃ行きましょー」


部屋の明かりを消し、出発だ。



いざ外に出さえすれば後の展開はスムーズだった。

検問所の兵士も俺の事は知っているし、テレサも正真正銘の貴族で、ほぼフリーパス。

そして、本来なら先触れでも出しておくべきなのだろうが、雨季明けの来訪はセリアーナからの手紙で知らされており、受け入れ態勢も整っていた。


屋敷に着くとあれよあれよという間に、親父さんの執務室まで案内され、話し合いが行われている。


「それでは滞在は1週間という事でいいのかな?」


「はい。その間セラ様はダンジョンの探索と、【ミラの祝福】の施療を。私は領地間の協議や各ギルドの視察を行います。もちろん今回だけでなく今後も継続していく予定です」


等々……この辺の事は互いにわかっているし、確認の為だろう。

お忍びでやって来た前回と違って、今回の様に公式な滞在は何かと手続きと言うか手順が面倒臭い。

これでも大分簡略化されている事を考えると他所の領地を訪れる事とか考えたくないな……。


と、そんな事をぼんやり考えていると話し合いは終わったようで、部屋に案内されることになった。


「お二人の荷物はもう部屋に運んでおりますが……あれだけでよろしかったのでしょうか?」


その途中使用人がやや心配そうに言って来た。

まぁ、バッグ一つでやって来たからな……。


「問題ありません。事前にこちらの商業ギルドに領地より荷を運ばせてありますから、私達が到着した事を聞き届けに来るはずですよ」


「ああ……」


俺はともかくテレサは結構なVIPさんだからな……不興を買う事態は避けたかったんだろう。

ちゃんと用意されている事を聞いてほっとしたような顔だ。


もっともその荷物はフェイクで、使う分はちゃんと【隠れ家】に置いてある。

間に入る人間がはっきりしている分、何か細工や窃盗をするような事は無いだろうが、それでも安全に保管できる場所があるんだから、そちらの品を使う方がいいに決まっている。


そこら辺の小細工はセリアーナが嬉々として手配していた。


商人にしたらセリアーナやテレサとお近づきになれるチャンスだし、美味しい話ではあるんだろうが、実際にここまで運んだのは部下だ。

リアーナはこの国の端っこで、お貴族様の荷を運ぶことなんてそうそう無い事だろうし、プレッシャーのかかる仕事だったろう……。


リアーナに戻ったらセリアーナにチップを渡す様言っておこうかな……!


276


【本文】

「久しぶりでしたが、腕は鈍っていない様ですね。安心しました」


ミネアさんはニコニコ笑いながらそう言った。

久しぶりと言っても、王都からの帰りに数日滞在した時にもやったから、数ヶ月しか空いていないはずだけれど……まぁ、フローラさんもあまり表情には出していないが満足気だし、喜んでもらえたんならそれでいいか。


さて、今俺達はミネアさんの部屋にいる。


親父さんとの話を終えた後、これから滞在する部屋に案内されたが、その部屋は屋敷の中に用意されていた。

外に来客用の住宅が用意されているが、一応俺達はセリアーナの客って事で身内扱いなのかもしれない。


慣れた場所だし気は楽だが、来客用の住宅にちょっと入ってみたかったから残念な気はする。

ここで生活していた頃はメイド見習いでもあったが、そこは立ち入り禁止にされていたからな……。

まぁ、貴族用の建物だから仕方ないんだろうが。


「ここにいた頃と同じように、セリアーナ様やエレナ以外にも屋敷で働く人相手にちょこちょこやってますからねー。むしろ日々腕は上がっています!」


これに関しては結構自信があるので、胸を張って答えた。

代官屋敷から領主屋敷へと格上げしたこともあって、使用人の数も増えたから練習相手には事欠かなくなった。

体に悪いものでも無いから、少しずつ手法を変えたりと日々あれこれ試している。


「でも、テレサ相手にまともにやるのはこれが初めてかな……?」


「そうですね。髪を乾かしたり、マニキュアを塗ったりする際に祝福をかけていただくことはありましたが……」


ミネア、フローラ両名の施療を終えた後、ついでだからと膝の上に座るスタンダード方式でテレサにも施療を行っている。


「あら?身近な者には気軽に行っていたのに……彼女にはしていなかったの?」


ミネアさんは、この屋敷ではもちろん王都の屋敷でも使用人相手に行っていた事を知っているだけに、不思議そうな顔をしている。


「昼間は仕事しているし、オレも森に行ってたりするから……。髪乾かして貰ったり爪を切って貰ったり、色々お世話されているけれど、あまり時間を取って一緒にいる事は意外と少ないんですよね」


それと、彼女なりの美意識なのかわからないが、俺から何かしてもらうってのを避けているような気がする。

距離感がある訳じゃ無いけれど、命令してまでするような事じゃないから何となく今までやって来なかったけれど……。

俺にはよくわからんが、肌がどうの髪がどうのと3人で盛り上がっているし、今回のは丁度いい機会になった。



ゼルキス滞在二日目の朝が来た。


昨晩は親父さん達も一緒になって食事をした。

歓迎会というわけでは無く報告会の様なものだ。

リアーナ領の開拓の進捗具合や魔物の調査、討伐の成果等色々聞かれたが、もちろんゼルキス側でも独自に情報を集めている様だが、少しずつズレがあったりする。


これは恐らく又聞きになっているからであって、誰かが意図的に歪めて伝えたりって感じじゃ無い。

屋敷の地下訓練所の工事を建て増しの工事と間違っていたあたり、商人経由の情報かもしれない。

身分によって立ち入れる場所や手に入る情報が違うから、直接見るのがやっぱり一番だな……。


さて、昨晩の事はもういいとして……。


「姫、よろしいですね?」


マニキュアを塗りながらテレサが念押ししてくる。


「探索届に記した場所までしか行かない。異変を感じたらすぐ戻る。無理はしない……だね。大丈夫」


「はい。くれぐれも無理はしない様に」


今日はいよいよダンジョンに潜るのだが、ウチの副官はちょっと心配性かもしれない。

まぁ、魔物を倒したり、ダンジョンの探索が目的では無く、【ダンレムの糸】を実戦で使う事が本命だ。

初めてまともに扱うアイテムをダンジョンに1人きりでとなると、気持ちはわからなくも無いが……。


これでも俺は魔物相手には攻撃を貰った事は一度も無い。

そもそもダンジョンでケガをしたのも魔人に蹴りを入れた時に、足を痛めたくらいだ。


今日のお目当ては中層のオーガ君達だが、多少ビビらされた事はあっても無傷で攻略済み。

初手は遠距離からだし、失敗したなら普通に倒せばいい。


楽勝楽勝!

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