第三章/第九話:アンナの心

「それじゃ」

「はい。お疲れ様でした」


 カズトの部屋の前までお見送りで付いてきたわたくしに、武芸者姿に戻られた貴方様は、普段どおりの優しき笑顔を向けられた後、そのまま一人、部屋にお戻りになられました。

 ……正直、少々名残惜しい気持ちもございましたが、流石に今日一日お付き合いさせてしまいましたし、きっとお疲れでしょうからね。


 何処か切ない気持ちを振り払うように首を振ると、わたくしも自身の部屋に戻るため、魔導昇降機へと歩き始めました。


 ……今日、カズトはわたくしを少しは意識してくださったでしょうか。

 わたくしはといえば、ずっと貴方様を意識させられ続けましたが……。


 正直、シャリア様がこの案を提案頂いた時には、本当に恥ずかしかったですし、不安だったのです。

 カズトの前で肌を晒すなど、破廉恥だと思われないかも心配でしたし、それで嫌われてはしまわないかと不安でもありましたから。

 結果として貴方様の優しさで杞憂に終わりましたが、時折困った笑みを浮かべられておりましたお姿を見る度に、わたくしは不安を抑えるのに必死でございました。


 ですが……やはりカズトは優しく、素敵でした。


 わたくしのために暴漢をねじ伏せられた時の勇ましさ。

 わたくしが飲み物を押し付けられてしまった時のお気遣い。

 そして、わたくしの約束という言葉の我儘わがままにまで、あそこまで寛容でいてくださり、わたくしが貴方様のお側にいられる未来を提案いただけるなんて、思いもよりませんでした。


 本当に貴方様はお優しくて、本当に、お強い方ですが……それだけ、辛く、苦しい道も歩まれたのですよね……。


 確かに、わたくしはシャリア様と、ワース様のお力でカズトの歩みし道を見続けました。

 あの時貴方様が魔王に斬られた時にも、胸が張り裂ける想いがいたしましたが、再会できた喜びの中で、その記憶は薄れておりました。


 ですが、あのお背中の傷……あれは間違いなく、あの時に受けたもの。

 そんな肌を、きっと他の御仁に見られたくなどなかったのではないでしょうか。


 ですが……それでも、わたくしが共に海に参りたいとお伝えした時、快く受け入れてくださった。

 その優しさと現実に憂いを見せたわたくしにも、カズトは優しく微笑んでくださりましたね。


 ……本当に、お優しすぎます。

 だからあの時……わたくしは想いを伝えたくなったのです。


 魔導昇降機を降り、自身の部屋に戻ったわたくしは、ベッドに腰を下ろしため息をいてしまいます。

 何故、あの日もう一歩勇気を出せなかったのでしょうか。


 マルージュでの一夜。

 あの時、わたくしはカズトの優しさに感化され、抑えきれない想いを伝えそうになりました。


 ですのに……何故、あそこでちゃんとお慕いしていると言えなかったのでしょう。

 わたくしの馬鹿……。


 思い返す内に、あの日の恥ずかしさが込み上げてしまい、わたくしはベッドの上の枕を膝に乗せると、思わず真っ赤な顔を隠しました。

 一人きりの部屋。誰に見られるわけでもないのに……。


 ……カズト。

 わたくしは、貴方様が好きです。

 先程別れたばかりだというのに、共にいた時間がもう恋しくなる位。


 ただ貴方様はきっと、わたくしに想いを寄せてはいらっしゃらないですよね。

 ですから、この想いはわたくしのただの我儘わがまま……。


 少し冷めた心に顔を上げたわたくしは、今度はため息を漏らしてしまいました。


 でも、それは仕方ありません。

 貴方様が仲間だと想い続けたロミナ様達は皆様魅力的です。

 一介のメイドでしかないわたくしでは、到底叶いません。

 だからこそ、あの時想いを伝えられていればと、後悔もしてしまいます。


 ……ただ。

 あの時お供したいと逃げの言葉を口にしたわたくしにも、貴方様が真摯であってくださったからこそ、どんな形であれ、お側にまだいられる機会も生まれたのですよね。

 皮肉なものですね……。


 きっとカズトは、何時か何方どなたかと幸せになられるのかもしれません。

 わたくしは、そうなった時にでもきっと、貴方様の幸せを嬉しく感じると思います。


 ですが。

 同時にそんな時でも、貴方様が幸せとなった方の下で、メイドとしてお仕えできないかとまで考えてしまいます。

 それはお慕いしている事もございますが。わたくしのためにここまでしてくださり、優しくいてくださる貴方様の幸せを見守り、助けになりたい。そんな気持ちでもいるのです。


 ですが、そんな我儘わがままを許してくださるのでしょうか。

 ……いえ。

 まだそれ以前に、わたくしの恋は破れた訳ではないのですよね。


 きっとロミナ様達も、そんなカズトの魅力を知っているからこそ、共に旅立つのではと感じております。

 ですが、その場にご一緒できるのです。まだ、ささやかな夢位は見させてもらっても良いですよね。


 自身の心を奮い立たせるように、ふとカズトの事を思い返した時。

 ふっと頭を過ぎった言葉がございました。


  ──「こういう事が起きるって事は、アンナが美人な証拠だよ。そんな女性と一緒にいられるなんて、男名利に尽きるってもんさ」


 ……わたくしが、美人……。

 ……男冥利に、尽きる……。


 その言葉を改めて思い出したわたくしは、また顔を赤らめてしまいます。

 思い出される、共にストローで飲み物を飲んだ時、側に迫った貴方様の顔……。


 それは今思い返してもやはり素敵であり、とても恥ずかしい経験。

 わたくしは顔から火が出そうな程恥ずかしい気持ちになると、またぽふんと枕に顔をうずめてしまいました。


 ……ああ。

 こんなに恥ずかしいのに、顔が緩んでしまう自分が恨めしいです。


 カズト。

 申し訳ございません。


 こんな情けない、想いすら誤魔化せないわたくしで。

 何時もご迷惑ばかり掛けてしまうわたくしで。


 ですが、その代わりわたくしは貴方様を決して忘れません。

 ですから、今はこの想いを心に持ち続けることをお許しください。

 そして、できればこれからもずっと、貴方様の幸せを、見守らせてくださいませ。

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