第九話:あの時の約束

 俺はアンナと共に、海辺から少し離れた所にあるオープンカフェに足を運んだ。

 日本でいう海の家っていうにはかなり小洒落た感じなんだけど、併設してTシャツやら浮き輪やらパラソルやら、海の御用達グッズを売っているアンバランスさには商魂を感じるな……。


わたくしが飲み物を買って参りますので、カズトは先にTシャツを新調なさって下さい」


 そんな言葉に甘え、飲み物はアンナに任せて、俺は替えのTシャツを買うと、店の側の更衣室を借り、それに着替えた。

 何かと観光地らしい派手派手しいデザインの物が多かったけど、何とか地味目の白地に浜辺と海が描かれた奴を見つけられて良かった。派手なのは性に合わなくてさ。


 とりあえず席を取り、俺はぼんやりと太陽の光を反射する海を眺める。

 いきなりあんなバタバタに巻き込んじゃったけど、アンナにとってあまり良い想い出にならなかったら申し訳ないよなぁ。


 何となく重いため息を漏らし、頬杖を突く。

 飲み物を飲み終えたら次はどうするか。こうやって色々思案するけど、あまりいいアイデアは浮かばなかった。


 孤児院は海の側にあったけど、ほとんど友達なんていなかったし、一緒に海に行く経験なんてなかったからなぁ。誰かと海行った記憶なんて、孤児院でシスターが皆を引率して連れて行ってくれる時位だし。


 実際ウィバンにバカンスに来たとは言ったけど、俺も具体的なイメージってテレビとかで持った印象しかなかったし。元々一人パラソルの下でのんびり横にでもなって、夏っぽさでも味わう位の気持ちだったからな。

 よもやアンナと二人っきりで海に来るなんて考えてもみなかった。


 自分のプランのなさに幻滅しつつ、ため息と共に海をぼんやりと見つめる。


 何となく元いたの世界で見た海を思い出して、少し懐かしさを覚えつつ。

 だけど、この世界が今の俺の現実なのに、アンナと海にいるっていう非現実さが何処か不思議でふわふわとした気持ちにもなっていた。


 ……もし向こうの世界に残ってたら、俺は今頃どうしてただろ?

 ここまで人に関わって、ここまで死物狂いになるほど大変で。だけど充実した日常を送れてはいないか……。


 そういう意味では、たまたまアーシェを助けるためこっちに来たけれど、それはそれで良かったかもしれないな。

 まあ、ここ数日、皆に振り回されているのだけは、ちょっと大変だけど……。


 何となく時間を持て余し、俺がぼんやりそんな事を考えていると。


「あの……お待たせ、しました……」

「お帰り」


 アンナらしくない何とも気まずそうな声が聞こえて、自然と彼女に顔を向けたんだけど。

 俺はそこで、困った顔をするアンナと、困った顔をさせる元凶を目にして、思わずまたぽかんとしてしまったんだ。


   § § § § §


「でっかいな……」

「大きい、ですよね……」


 アンナによってテーブルに置かれたのは、テレビで位しか見た事のない、大きなグラスに色鮮やかな果物が飾られた、カップル限定のトロピカルジュースがひとつ。


 何でも、さっき追い払った二人組は、最近海辺で問題になっていた素行の悪い冒険者二人組だったらしいんだけど。俺達にあっさり破れ、尻尾を巻くように逃げ出したのをここの店長さんも見ていたらしくってさ。

 アンナが飲み物買いに行った時にそれを大層喜ばれたのと、二人で歩いてたからカップルに間違われたのもあって、ご厚意でただでくれたらしい。


 とはいえ、ひとつのグラスにストローが二本という状況には、向かい合い座った俺達もちょっと扱いに困ってしまっていた。


 アンナも素直にただの仲間だって言って断れば良かったのに、なんて思うものの。


「あの……本当に申し訳ございません」


 なんて言いつつ真っ赤になって小さくなっている彼女にそんな事言える訳がない。

 きっとアンナも優しいから、断るに断れなかったんだろうし。


「気にしないでよ。アンナが悪いんじゃないし。折角だし飲んでみよっか?」

「え? あ、は、はい」


 って、流れで言ったけど。


 ……あれ? いいのか?

 ……ま、まあいっか。アンナもOKっぽいし。こ、こういうのもきっと、経験だよな。


 俺達は露骨に緊張しつつ、やや前のめりになり互いのストローに口をつけると、ジュースを啜ってみる。


 口の中に入る冷たい何か。

 ……うん。何か。


 あ、いや。絶対美味しいんだと思う。

 だけど……互いの距離が近くなって、アンナの顔と一緒に、その……近くなった胸の谷間に一瞬目がいっちゃってさ。

 そのせいで、もう味なんか分からない位パニくっててさ……。


「あ、甘すぎず美味しいですね」

「う、うん。美味しいな」


 互いに一口飲み込んだ後、パッと同時にストローから離れ、ぎこちなく笑みを交わす。

 アンナが顔を真っ赤にしてるけど、俺も正直顔が火照ったのを誤魔化せなくってさ。互いに恥ずかしげに俯くと、少しの間言葉が出なかった。


 ……うーん。

 何か色々と空回りしてるけど、何を話せばいいんだ?

 俺が少し困って頬を掻いていると。


「カズト。少しお話をしても、良いでしょうか?」


 と、アンナの方がそう切り出してくれた。


「ん? あ、勿論。何?」

「あ、あの……カズトは以前、わたくしと交わしてくださったを、覚えておりますか?」


 約束?

 その言葉にふと記憶を探ると、思い当たる事があった。


「あの、お供したいって件?」

「……は、はい」


 背筋を伸ばし俯いたまま、彼女は未だ顔を赤らめたまま、上目遣いにこちらを見る。


「あの……わたくしは貴方様に迷惑をかけた身。こんな我儘わがままな事を言える身ではございません。ですが……もしロミナ様達が貴方様をパーティーから追放する選択をなされた時には、その約束、叶えてはいただけませんか?」


 表情の真剣さ。それはマルージュでの夜を思い返させる。


「どうして?」


 俺の問いに、彼女は視線を落とすと、


「……わたくしは、貴方様を忘れたくないのです」


 そう言って、少しずつ語り始めた。


わたくしは、貴方様に弟だけでなく、シャリア様共々救われました。カズトが時に皆様の為に。時に世界の為に必死に戦って下さり、傷つき、時に命を落とした事への恐怖や後悔もございます。ですが、そのような辛い記憶を持ってでも、わたくしは貴方様に感謝し、貴方様を忘れず、共にありたいのです」


 ……その時、きっと俺は嬉しさと不可思議さが入り混じった、何とも言えない顔をしたと思う。


 いや、感謝してくれてるのもわかるし、

それだけの想いを向けてくれたのも嬉しい。

 ちゃんと仲間だって想ってくれてるんだなって伝わってきて、凄く嬉しくなったしさ。


 だけど、アンナが俺のお供をしたかったのって、冒険者になりたかったからだろ?

 俺が聖勇女パーティーを追放されたらっていうのは何か変な気がしてさ。


「……ダメ、でしょうか?」


 俺の顔色を伺っていたアンナが気落ちしたように呟く。


 しまった。ちょっと考え込み過ぎたか。

 まあ変な話だけど、あの日の約束を覚えていてくれて、どんな理由であれ叶えたいって思ってくれたのは大事だし、嬉しさしかない。


 ただ、覚悟は大事だと思う。


「……あのさ。俺といるって事は、また

同じような辛い経験をするかもしれない。それは分かってるよね?」

「……はい」

「覚悟は、ある?」

「……恐れはあります。ですが、共に歩めるのであれば、わたくしが時にそれをお止めし、時に死地でも共に未来を切り拓ける。そう信じております。貴方様に実力は及ばないかも、しれませんが……」


 真剣な中にも謙遜も忘れない。

 何処か彼女らしい答えに、俺はふっと笑う。


「だったら、ロミナ達にも話しなよ。もし俺がロミナ達とパーティーで居続ける時は、自分も加えてほしいって」

「え?」

「だって、アンナは冒険者を目指したいからあの日も俺に付いて行きたかったんだろ? あの時だって俺は最終的にロミナ達とも合流するつもりだったし。別に俺がパーティー外れたらなんて条件、要らないんじゃないか?」

「あ、そ、その。それはそうかもしれませんが。それでは皆様にご迷惑が──」

「それはまるで、俺には迷惑が掛かってもいいって聞こえるけど」

「あ……」


 アンナが失態を犯したと言わんばかりに目を丸くし口に手を当てたけど、俺は今の言葉が本気だって思われたくなくて、できる限り安心させるように微笑んだ。


「今のは冗談だよ。アンナが俺を忘れたくないって思う気持ちは嬉しいし、俺は一緒にいるのが迷惑なんて思ってない。ただ、折角冒険者になりたいなら、皆とも旅をすればいいだろ? 大体その方が女子も多いから気持ちも楽だろうしさ」


 そこまで語った俺を見て、彼女は小さくため息を漏らすと、ふっと笑みを浮かべる。


 ……ん?

 何でため息なんだ? 俺は何かやらかしたか?

 少しだけそんな不安を持った俺を他所に、彼女は微笑みを崩さない。


「……貴方様の優しさには、敵いませんね」

「別に普通だって。それに冒険者としての実力はアンナの方が上だしさ」

「それはランクだけにございます。立ち振る舞いも、勇気も、腕前も。もう貴方様には到底敵いませんよ」

「別に褒めても何もでないって。ま、折角なんだし考えてみなよ。あいつらとの旅もきっと楽しいぜ。ミコラに稽古稽古って強請ねだられるのだけは、ちょっと大変だろうけどさ」

「確かに、そうかもしれませんね」


 そうやって少し呆れると、アンナもくすっと笑う。


 眩しい笑みを見せる彼女の反応に少し気恥ずかしくなった俺は、思わず無意識にストローに口を付けにいったんだけど、まるで息を合わせたみたいにアンナもまたストローを咥え、思わず互いの顔が近くなる。


 顔を赤くしながらも、微笑んだ彼女がジュースを啜り、俺も気恥ずかしさを堪えつつジュースを啜る。


 ……アンナが嬉しそうな顔をしてるのは安心するけど、この距離は流石に恥ずかしい。


 でも。どちらに転んでもアンナの願いが叶うなら、それが一番良いだろうし。彼女なら皆に見劣りする事もないだろうから、きっと大丈夫だよな。


 そんな事を考えつつ、同時に忘れたくないって言ってくれた彼女の気持ちに感謝して、俺は笑ってみせたんだ。

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