第五話:我慢
「キュリアにはまず、野菜を切って貰いたいんだけど」
俺はまず、キュリアに包丁の使い方を教えようと思ったんだけど、その時点ですぐ、彼女の料理がああなった理由が分かった。
「うん……」
と言いながらも、何処か恐ろしい物を見るような目で包丁を見つめたまま、彼女が動けなかったからだ。
「包丁、怖いのか?」
「……うん。指、切っちゃうし」
いきなり気落ちしてる彼女だけど、確かに慣れないと怖いかもしれない。
よし。今日はメニューじゃなくって、器具の使い方からだな。
「この辺は慣れはあるけど、まずはゆっくりでいい。俺に
「う、うん」
彼女の緊張をほぐすように俺は笑うと、包丁を手にし、皮を剥いた玉ねぎっぽい野菜を半分に切って、互いのまな板に乗せる。
「いいか? 抑える手は添えるけど、指切らないようにこう曲げて。包丁をこうやってまな板に垂直になるように野菜に乗せる」
「垂直に、乗せる……」
「そうそう。こうしたら抑えてる指が刃先に来ないんだ。切る時はそのまま奥を下にやや斜めに刃を当てて、こうやって押すように切る」
「押すように、切る」
キュリアが見様見真似で包丁を手にし、俺に続いて恐る恐る、ゆっくりと野菜を切り進めると、特に引っ掛かりもなく包丁がそれを半分にした。
「おー」
たったひとつの事だけど、驚きを示す彼女。
うん。いいぞ。
俺はそこから、こっちで皮を剥いた野菜や芋を渡して、同じように切らせた。勿論ゆっくり、無理はさせずに。
その間に俺は、肉の下拵えだったり、さっきのスープから根菜だけ取り出し、更に煮込んだりする。
思っていたより出汁は出てたから、これをベースにスープを再構成するんだ。
「切れた」
「お、どれどれ」
「……どう?」
「うん。うまく切れてる。いいぞ」
褒めてやると、顔を綻ばせ嬉しそうな顔をするキュリア。
うん。喜べるって事はいい事だ。こういう成功体験って大事だしな。
次に豚肉の切り方なんかも実践して見せた後、彼女に任せてみると、ゆっくりながら意外に器用にこなしていく。
何だ。案外センスあるじゃないか。
俺は仕込んでいたキュリア特製のスープを
「火、熱くない?」
「油はねなんかがちょっと。でも、美味しいって言ってもらいたいからな」
「……うん。言って、貰いたい」
真剣な顔で見守るキュリアに、俺は肉の焼き方なんかを簡単に説明しつつ、フライ返しを持たせて返すのを手伝わせる。
勿論おっかなびっくり。だけどそれでいい。経験が大事だから。
そして切り終えた野菜を煮詰めたスープに入れ、少し水を足して再び煮込むんだけど、その間に包丁に慣れてもらう為、葉野菜をゆっくり千切りにして貰った。
少しずつ包丁に慣れてきたみたいだな。
速度も少し上がってる。
「……カズト。何で、そんなに早く切れるの?」
一旦腕を止めた彼女が、同じ野菜を倍以上の早さで切る俺に羨望の目を向ける。
ははっ。お前がそういう目をするの、何か新鮮だな。
「俺、小さい頃から沢山料理してきたから。でも最初はお前と一緒で、おっかなびっくりだったし、切るのも凄い遅かったんだ」
「そうなの?」
「ああ。いいか? 料理って冒険者と一緒だ。センスの差はあるかもしれないけど。技や術を覚えて、うまく使えるようになって、少しずつ強くなるのと同じ。まず道具を使えるようになって、味付けや調理方法覚えて、多くの手間暇掛けて、美味しい料理を作れるようになる。今日一日で美味しい料理が作れるようにはならない。でも、これが第一歩だ」
「お料理、大変」
「そうだな。まずはFランクからって感じだし、物足りないかもしれない。だけど、誰かの依頼したクエストを達成して、『ありがとう』って言ってもらえたら嬉しいだろ?」
「うん。嬉しい」
「それと一緒だ。お前が言ってた通り、『美味しい』って言ってもらいたいから頑張れる。だから少しずつ覚えていくんだ。何ならロミナ達に教わったり、手伝わせて貰ってもいいからさ」
「うん」
俺の言葉に迷わず頷くキュリアの素直さに、俺は微笑んでやる。
フィネットの料理も美味かったからな。
きっとお前も上達するさ。
§ § § § §
彼女に教えながらだったから、結局お昼を過ぎてやっと料理が完成した。
今回はシンプルに野菜スープとサラダ。
だけど正直手間暇は掛かってる。
「じゃ、食べるか」
「うん。いただきます」
「いただきます」
料理の配膳を終えた俺達は、向かい合うようにテーブルに付くとそう挨拶し、料理を食べ始めた。
キュリアが少し緊張した顔で、スープを口に運ぶ。
まあそんな顔にもなるだろう。
何たって、最後に味を整えるのを、彼女にさせたからな。
勿論、塩コショウを少しずつ入れる事と、毎回味見をさせるのを徹底させた。この工程を面倒で飛ばす奴は、だいたい失敗するんだよ。
それに自分がやらかしたって経験しないと、味を抑えるってのができないからな。
「どうだ?」
「……美味しい」
スープを飲み、肉や野菜も口にしたキュリアが目を輝かせ、凄い嬉しそうな顔をする。どっちかっていうと、感動したって感じか。
「カズト。やっぱり、凄い」
「おいおい。お前が持ってきたスープをベースに、お前が味付けしたんだ。半分はお前が作ったようなもんさ」
そう言って俺もスープを口にする。
「……うん。これは美味いな」
これは本当にお世辞じゃなく本音。
煮込んでたスープの味のお陰で深みもあるし、塩気と豚の脂の旨味もあって、味はバッチリだ。
「……本当に?」
「ああ。キュリア。お前だってちゃんとやればできるんだ。勿論覚える事とかはまだまだあるけど、色々覚えたら覚えただけ、もっと色々な美味しい料理作れるようになるぞ。フィネットみたいにな」
「お母様、みたいに?」
「ああ。だからこれからも皆と一緒に料理頑張ってみろ。あ、ただしフィリーネには習うなよ。あいつは全然料理できないしな」
ふと、勝手に人の家に上がって料理していたフィリーネとキュリアの事を思い出し懐かしくなる。
結局あの時も、二人の料理を再利用してたもんな。
思い出し笑いをしていると、キュリアがスプーンをテーブルに置き、俺をじっと見つめてくる。
「……私、カズトに、もっと料理、教わりたい」
やる気って感じじゃない。
どこか切なげな顔でそう口にしてきたキュリアは、視線を落とすと、ほろりと涙を見せた。
「私、ロミナも。ルッテも。ミコラも。フィリーネも。皆、好き。でも、カズトも、好き。皆から、料理を教わってもいい。でも、カズトにも、料理教わりたい。もっと、皆で、一緒にいたい。カズトと、一緒に……いたい……」
俯き、嗚咽を漏らし。
キュリアが目の前で涙する。
……こいつは、昔は本当に何も話さなくって。掴みどころもなくって、本当に何を考えてるかも分からなかったのに。
随分と素直に感情を出すようになったな。本当に。
「……泣くなって。まだ何も別れるって決まった訳じゃないだろ?」
俺が微笑みながら声を掛けるけど、キュリアは泣き止まない。それを見ている内に、俺も少し釣られて申し訳ない顔をしてしまう。
「……そんなに、一緒にいたかったのか?」
「……うん。だって、ずっと、我慢してたから」
「我慢?」
「うん。だって、カルドが、カズトって、知ってて、別れたから」
その言葉に俺は思わず目を
知ってて別れた。その言葉の意味に気づいたから。
「まさかお前。あの時気づいてたのか?」
「うん。ロミナとカズト、船で話したの、聞いちゃったから……」
……あれ、見られてたって事かよ。
だからあの日、別れ際に急に一緒に行こうって言い出したのか。
でも、俺の正体がミコラやルッテにばれてなかったって事は、そこはずっと隠してくれたって事か……。
「二人が約束してた。だから、我慢した。でも、本当は……一緒が……良かった……」
「……ごめん。お前も気を遣ってくれたんだな」
「……うん」
……まったく。情けないな。
俺とロミナの約束が、まさかキュリアにも辛い想いをさせてたなんてな。
込み上げる涙を、ぐっと堪える。
心に後悔が浮かぶ。だけど今はそれを捨てろ。振り返ったって、変えられないんだから。
「……キュリア。食べ終わったら、今度はおやつでも作るぞ」
「……え?」
予想外だったのか。俺の一言に小さく驚く彼女に、俺は意地で笑う。
「いいか? 俺は一緒に行けるか約束はできない。皆に託したから、その結果を待つだけだしな。でも、今は一緒だから側にいられるし、料理だって教えてやれる。だからせめて、今は一緒の時間を楽しもうぜ。そして信じよう。また俺とも一緒に旅をできるってさ」
……分かってる。
こんなの慰めにならないって。
結果が見えない不安を取り除けないって。
でも。
希望はあるんだ。
今生きてて、今があるんだ。
だから俺は、今彼女にできる事をしよう。
そんな気持ちを言葉にした。
……俺の表情でなのかはわからない。
だけどキュリアはローブの袖で涙を拭くと、同じく無理矢理笑顔を作って、「うん」と小さく頷いてくれる。
……フィネット。悪いな。
お前の娘をこんな風に泣かせてさ。
だけど、こいつは強い奴だし、凄い奴だ。
きっとお前みたいになるぞ。
「じゃ、まずは冷める前に昼を済ませようぜ」
「おやつ、甘いのがいい」
「じゃあホットケーキなんてどうだ?」
「うん。カズト、食べさせてくれる?」
「は? それってどういう意味だ?」
「あーんって、してほしい」
にっこりと笑みを浮かべ、そんな小悪魔じみた事を口にするキュリア。
って、お前。そんなのにも憧れてたのか!?
「……だめ?」
俺が戸惑ったのを見て、彼女が少し不安げに上目遣いを見せる。
……だからそういう顔するなって。ったく。
俺は顔を真っ赤にしながら視線を逸らしつつも、あいつに「わかったよ」って答えてやった。
それで喜んでくれるなら、それ位してやるよ。
今まで我慢してた分のお詫びにさ。
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