第100話 安堵

 王宮内の一室で、リディは眠っていた。ギルバートはその傍に座り、動こうとしない。


「ギル、リディのことは私たちに任せて、お前は帰りなさい」


 リクハルドは小さな子に言い聞かすように言うが、ギルバートは腕を組んだまま、リディを見つめていた。


「帰りません」

「リディは大丈夫だ」


 それくらい、ギルバートにも分かっていた。目立った傷もなく、ただ眠っているだけのように見える。それに、しっかりと魔力の気配も感じられる。だから、大丈夫だと分かってはいたが、それでもエルフをどこか信じられないと感じていた。


「お前は、一国の王子だ。その自覚を持ちなさい」


 必死に冷静になろうとしていたギルバートだったが、リクハルドの一言で頭がカッと熱くなった。


「王子だから何だと言うのですか」


 呟くように言った言葉は、リクハルドに届いたかは分からない。ギルバートは怒りを抑えることができず、リクハルドを睨んだ。


「王子だから怪我をしてはいけない?他の者は死んだって構わない?リディは身分が低いから、どうなったってよかったと?」


 だんだん大きくなっていく声を抑えようとして、声は震えた。怒りのままにリクハルドに掴み掛かろうとさえ思った。しかし、ギリギリのところで理性が働き、ギルバートは膝の上で硬く拳を握る。


「ギル、落ち着きなさい」

「落ち着いていられるか」


 とうとうギルバートは怒鳴り声をあげて、勢いよく立ち上がった。ギルバートが座っていた椅子は、大きな音を立てて後ろに倒れた。


「お前たちは、あの状況を想定していたのだろう!?いや、もっと悪い状況を!それなのに、本人にすら何も知らせず、どういうつもりだ!?下手したら、リディが死んでいたかもしれない」

「ギル、ギルバート。静かにしなさい」


 ベッドの上で、リディが身動いだ。ギルバートは、リクハルドを睨んだまま椅子に座る。


「確かに私たちは、想定していた。しかし、リディだけは何があっても死なせたりしないよう、対策を練っていた。これだけは信じて欲しい。私たちは、リディのことを軽んじたわけではない。断じて」


 リクハルドの強い眼差しに、ギルバートは目線を逸らし、リディの方を見た。リディは相変わらず穏やかな寝息を立てている。


「取り乱しました。しかし、リディを連れてでなければ帰りません」


 リクハルドは途方に暮れたようにギルバートを見ていたが、しばらくすると、宙を見た。そこに、何かあるように。そして、「どうしますか?」と問うた。


「まあいいですよ。陛下には俺からなんとか言っておきます。しばらく預けてもよろしいですか?」


 どこからかアレクシスの声が聞こえた。


「こちらは構いませんが」

「では、よろしく頼みます」


 リクハルドはギルバートにも向き直る。


「帰らなくてもいいそうだ。部屋を用意しよう」

「ここにいます」

「数日は目を覚さないだろう。今日のところは、お前も休みなさい」


 そう言って、リクハルドが手を軽く振ると、ギルバートはどこかの部屋へ移動させられた。すぐに扉に向かい、部屋を出ようとしたが、開かない。どんな魔法を使ってもダメだった。ギルバートは舌打ちをすると、ソファに座った。ソファに沈み込み、苛立たし気に腕を組む。その時上着のポケットからなにやら音が聞こえているのに気づいた。ギルバートは上着のポケットから連絡用の鏡を取り出した。


「ギル!おい!ギル!聞こえているんだろう!?返事をしろ!」


 鏡からは、喚き声が聞こえていた。ギルバートはため息をつきながら鏡を見る。そこにはテオドアが映っていた。


「テオドアか」

「テオドアか。じゃないよ!いきなり消えて、どこにいるんだ!?」

「エルフの国。しばらくこちらにいる。リディもだ。エマに伝えておいてくれ」


 テオドアは何か言っていたが、ギルバートはそのまま鏡をしまった。リディのことは心配だったが、別の部屋に閉じ込められてしまったので仕方がない。ギルバートはそのまま眠ることにした。




 それから数日間、部屋に届けられる食事を食べるだけの日々が続いた。リディは変わらず眠っていると聞かされていたが、そんなことを信用できるはずもなく、何度も部屋を抜け出そうとしたが、エルフの魔法に太刀打ちできるはずもなかった。


 リディが目を覚ましたのは、五日後のことだった。エルフに呼ばれ、リディの部屋へ向かった。リディはベッドの上で身体を起こし、治療師と思われるエルフと話していた。リディはギルバートの方をちらりと見たが、そのまま治療師の方に視線を戻した。治療師がいなくなるまで、ギルバートはソファに座って待っていた。


 治療師が部屋を出て行くと、ギルバートはリディの方へ行った。リディはギルバートを見上げると、にこりともせずに口を開いた。


「今回、私は悪くないです」


 これがリディの第一声だった。


「分かってる」

「体調も問題ないです。怪我もない」

「分かってる。何なんだお前は」

「気絶後に目を覚ますといつも怒られていたもので。自己防衛です」


 ギルバートは少し笑った。


「元気そうでよかった」

「なんか変なもんでも食いました?」

「なんでそうなる」

「機嫌が良さそうなので」

「いつも通りだ」


 まだ何か言いたげにリディはギルバートを見ていた。ギルバートは軽くため息をついた。


「俺のことをすぐ怒る奴みたいに言うな」

「みたいと言うか……」

「お前がすぐに無茶をするから怒るんだ」

「……はい」

「目を覚まさないと、心配するに決まっているだろう。俺だけじゃない。みんなだ」

「はい」


 ギルバートはベッドの傍の椅子に腰掛けた。元気そうなリディを見て、思っていた以上に、自分がリディを心配していたことに気づいた。気を抜いたら、涙が出そうだった。


 リディの身体がリューディアに乗っ取られたとき、ギルバートは別室でその様子を見ていた。ただ、見ていたのだ。リディの元へ向かいたくても、エルフたちに押さえられ、それもできなかった。リクハルドには、今ギルバートが出て行けば、リューディアの思う壺だと言われ、何もできなかった。いや、リディの元へ駆けつけたところで、何もできなかったことに変わりはないだろう。


 リューディアが喚き散らした呪いにリディが飲み込まれた時、ギルバートはリディが死んでしまったと思った。リディの魔力の気配が一瞬、ぷつりと消えてしまったからだ。絶望感が身体中を駆け巡った。頭のてっぺんから指先まで氷水にでも浸けられたような気がした。あの時の感覚を思い出すと、恐ろしくてどうしようもない。


 ギルバートはリディの手を取った。リディは嫌がるかと思ったが、手を引っ込めようとはしなかった。ギルバートはリディの手を両手で包み込むように握った。リディの手はちゃんと温かかい。ちゃんと生きている。


「リディ、本当に無事でよかった」


 手が震えていた。リディも気付いていたはずだが、何も言わなかった。

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