第79話 補完された魂
アッシの家と同じように、小屋には転送魔法が仕掛けられていたらしく、三人はどこか別の空間に移動していた。古い屋敷らしく、少し動くと床板がぎいっと軋んだ。
オーラは長くため息をつく。その理由はリディにも分かった。どうやら敵は、エルフらしい。
「おや、これはこれは。王の忠実な下僕、オーラ殿ではございませんか」
振り返ると、エルフが立っていた。リディはこの話し方をどこかで聞いたことがあった。
「アシ。やはり貴様か。とうとう地に堕ちたようだな」
「なんとでも仰ってください。血を裏切る王家に、忠誠など誓えません」
オーラはエルフと知り合いのようだった。リディとシリルを守るようにアシと呼んだエルフの前に立ち、エルフを睨む。エルフの男は三人に向かって手を振り上げた。
「アシ、やめなさい」
静かな声がリディたちの後ろから飛んでくると、アシはゆっくりと手を下ろす。リディは変な感じがした。言葉では言い表せない、奇妙な感覚だった。シリルの方も怪訝な顔で振り返る。二人の背後からは、エルフの女がゆっくりと歩いて来ていた。透き通るように白い肌に、透き通るような金髪を靡かせている。美しいが、全体的に白く、リディは幽霊のようだと思った。
女はリディを見ると、くすりと笑う。
「自ら進んで来るとは。それとも、この娘を囮に使うことにしたのかしら?」
「残念ながら完全に事故ですよ」
「そう。それは好都合」
「しかし、ここの守りもそろそろ破られる頃でしょう」
「そうね。早く逃げなくては。そう言うとでも思った?」
エルフの女は自信たっぷりに微笑む。
「面白いものを、見せてあげるわ」
女の微笑みは美しく、そして不気味だった。リディたちは、女とアシに挟まれ、ある部屋へ連れて行かれた。部屋の中央の床には、大きく魔法陣が描かれている。そして、その魔法陣の真ん中に、双子の兄弟が横たわっていた。
何人かのエルフが魔法陣を取り囲み、全員、長い杖のようなものを両手で体の前に持っている。
全員が呪文を唱え、杖で床をつくと、魔法陣が発動した。魔法陣は光って浮かび上がり、双子の兄弟からは、目に見えない何かが出てきた。そして、二人から出てきた目に見えない何かは、宙で混ざり合う。
「やめろ。何を考えているんだ」
オーラが静かに言った。いつも柔和な笑みを浮かべている顔は、青白く、恐怖に染まっている。
「予備を作っておこうと思ったのよ」
女は歌うように言った。目に見えない何かにうっとりと目を細めている。
「予備……?」
「ええ。私の、魂を補完するための予備よ」
「まさか……」
「そう。魔力の強い子の魂ならと思ったけど、うまくいかなかった。だから、何人かの魂を合成してみたの。そうしたら、魂の純度が下がってしまって良くなかったわ。だから、原点に帰ってみたのよ。双子という特別な存在にね」
エルフの女はリディの方を見ると、目を細めて笑った。
「双子の魂なら合成しても純度は下がらない。それに、魂を合成することで、魔力も二倍になる。そうすると、私の中に取り込んでも壊れたりしないの」
リディには、エルフの女がなんの話をしているのか分からなかった。しかし、オーラは蒼い顔のまま、エルフの女を見つめていた。
「賢いあなたなら分かるでしょう?魂を補完した私に、あなたが勝てるわけがないことを」
「私一人ならそうでしょう」
「助けが来ると思っているのかしら?魂を補完した私の守りを破れるとでも?」
「人間の魂で補完したところで、万全じゃないのでしょう?彼女に手を出さないのが、何よりの証拠だ」
「あら、随分冷静なのね。残念だわ。じゃあ、交渉しましょう」
「何を言っているのですか。交渉の余地なく、あなたはここで捕まるのです」
「いいえ、捕まらないわ。今の私の守りを破るには時間がかかるもの。あなたを殺すくらいの時間はあるのよ。あなたが死ねば、この子たちがどうなるかしら?」
「彼女を連れ去る気ですか?そんなことをすると、困るのはあなた方ですよ」
「それはどうかしら?私はもう、辛うじて生き永らえている存在ではないのよ」
オーラはエルフの女を睨み続けていた。エルフの女は馬鹿にするようにオーラを笑った。
「いいわ。ここで死になさい」
エルフの女が魔法を放つ。真っ黒な闇のような魔法だった。冷たい空気が室内に充満する。壁にかかっている燭台は不気味にカタカタと揺れた。オーラはリディとシリルの前に立ち、二人を守った。リディとシリルに何の害もなかったが、その代わり、オーラの顔色はどんどん悪くなる。闇に飲まれながら、オーラは魔法を放った。しかし、その光は弱々しく、エルフの女まで届かない。
「さようなら、オーラ」
エルフの女が呟くように言うと、闇に飲まれていたオーラが闇から解放された。しかし、オーラは床に倒れたまま動かない。死人のようだった。リディとシリルはあまりの寒さに、その場にへたり込んだ。
「オーラ」
寒さにカチカチと歯を鳴らしながらリディは言った。しかし、オーラはなんの反応も示さない。隣を見ると、シリルの顔は蒼白で、意識があるのかどうかも分からなかった。いつものように見開かれた藍色の目は、凍ったガラス玉のようだった。
エルフの女は、ゆっくりとリディに近づく。リディはカチカチと歯を鳴らしたまま、エルフの女を睨み上げた。
「そろそろ行かなきゃ。時が来たら、迎えに行くわ」
エルフの女は柔らかく微笑むと、リディの頬を指ですうっと撫でた。氷のように冷たい指だった。
「何、言って……」
リディは寒さで上手く話せなかった。口を開くと、口内が凍りつきそうだった。震えるリディの唇に、エルフの女の人差し指が押し当てられる。これ以上喋るなと言っているのだろう。
「あなたは、私よ」
リディの中で、何かが大きく脈打った。リディはその痛みに、胸のあたりを押さえてうずくまる。エルフの女はゆったりとリディに背を向け、数歩進むと消えてしまった。
リディは床に這いつくばった。このままではだめだ。近くにはシリルもいる。生きているかどうか分からないが、オーラもいる。リディは床に爪を立て、懸命に意識を保とうとした。
「おやおや、大丈夫か?お嬢さん」
この話し方は、アッシだ。上を見ると、アシと呼ばれていたエルフの男がリディを覗き込んでいた。おかしそうに笑っている。この男がアッシと名乗る男を操っていたのだろう。
リディの中で何かが弾けた気がした。リディはあまりの苦しみに叫んだ。アシは何を察したのか、逃げようとしたが、リディはアシの胸ぐらを掴んだ。
「離せ」
アシは喚きながら魔法を使ったが、何も起きない。その後、リディには何が起きたか分からなかった。目の前には、大量の血を流すアシが倒れている。リディ自身も、どくどくと血が流れていく感覚があった。目の前の床はすぐに血で覆われた。リディの耳飾りが割れて、血の上に落ちた。
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