第61話 それぞれの記憶
潜入調査開始から数週間。大した進展もなく、リディは調査に嫌気がさしていた。どう考えても潜入調査なんて地道な任務、リディの性格には合わないのだ。
他の学校へ派遣された者たちも、どうにか勉強会へ入り込むことには成功したようだが、その後の進展はなし。全員、年齢だけを理由に集められているため、潜入調査に適性のある者は少なく、諦めムードが漂っていた。
リディとシリルは学校から戻り、いつものようにギルバートの執務室へ向かうと、珍しくテオドアがいた。ここ最近、忙しなく各所を回っているようだったが、それが落ち着いたのか、リディとシリルに用があるのか。
「さて、報告はないですね」
「ないけど」
どうやらリディたちに用があるらしい。ギルバートは黙々と仕事を続けていた。
「アッシという青年の件ですが、そんな名の学生はバーブルシェードにもセントバーンにも存在しませんでした」
「偽名か?」
「他の学校へ派遣している方々にもお話を伺いましたが、全員、アッシと名乗る青年に勧誘されたと言っています。全員の記憶から、アッシを見ましたが、全員違う人物でした。同じ学校へ派遣されていて、同時に誘われたはずのペア同士ですら違う人物に見えていたのです」
「なんだと?」
「とりあえず、リディの記憶とシリルの記憶を確認させてもらいます」
テオドアはリディとシリルの肩にぽんと触れる。その途端、どこかへ移動していた。なんの説明もなく移動するのはやめてほしい。リディは顔を顰め、あたりを見回した。あまり広くはない部屋で、部屋の雰囲気から研究所のどこかの部屋のように思えた。目の前には歳をとった魔法使いが椅子に座っていた。両手で木製の杖をついている。
「上級魔法使いのエゴール翁です。エゴール翁、始めてください」
「では、シリルから。魔法陣の真ん中に立って」
エゴールは嗄れた声で言った。シリルは部屋の床に大きく描かれている魔法陣の真ん中に立った。
「まずはバーブルシェードで話しかけられた時のことを思い出してください」
テオドアは言う。リディは床に描かれている魔法陣を見つめた。見たこともない魔法陣で、リディには構造すらよく分からなかった。エゴールは椅子に座ったまま、目を閉じる。魔法陣が光り、魔法が発動した。リディの脳内に、いきなり映像が入ってくる。
映像の端にはリディが映っている。目の前には、バーブルシェードの正門。
「魔術科は向こうの門だよ」
振り返る。そこにいたのは、地味な男だった。本当にぱっとしない。これと言った特徴がなく、記憶に残らないような容姿をしている。リディが見たアッシではない。
脳内の映像はすうっと消える。
「私が見た男とは違う」
「とりあえず、セントバーンで話しかけられた時の記憶も見ましょう。エゴール翁、お願いします」
エゴールが再び目を閉じると、リディの脳内にまた映像が入り込んできた。
本を読んでいるらしい。本の文面を目で追っている。リディには何が書いてあるのかよく分からない。とりあえず、魔法の理論的な小難しいことが書いてある。
「ねえ、君、バッケル教授の魔法、解除したんだって?」
視界が動く。本から離れ、目の前に立つ人物へ。その男の目は隣にいるリディを捉えていた。男は、目立たない容姿をしていたが、バーブルシェードで話しかけてきた人物とは別人だった。リディが覚えているアッシとももちろん別人だ。
脳内の映像が消える。テオドアの方を見ると、テオドアもリディの方を見ていた。
「別人だ」
「なるほど。では、リディの記憶をみましょうか」
リディはシリルと入れ替わり、魔法陣の真ん中に立った。エゴールが魔法を発動させると、頭の中がくすぐったいような変な感覚になった。
バーブルシェードでの記憶と、セントバーンでの記憶を立て続けに見た後、テオドアは何かを考え込んでいるようだった。
「なんだよ」
「これが彼の本来の姿なのだとは思いますが、どこかで見たことがあるような気がします」
テオドアはしばらく考え込んだ後、無言でどこかへ消えたかと思うと、ギルバートを連れて戻ってきた。
「エゴール翁、もう一度お願いします」
テオドアが言うと、また脳内がくすぐられるような感覚になった。記憶を見終わると、ギルバートはゆっくりと口を開いた。
「この男、二年前にバーブルシェードを首席で卒業した男じゃないか?」
ギルバートの言葉でテオドアは何かを思い出そうとしているようだった。
「二年前に、バーブルシェードを首席で……ああ!思い出しました!そうです!学長が派遣員へ推薦していたのに、行方をくらませてしまった」
「なんでそんな男がいろんな学校で勉強会に学生を勧誘してるんだよ」
「なぜでしょうね」
「バーブルシェードを首席でってなると、結構優秀なんじゃ」
シリルがぽつりと言う。
「ええ。学院にも入学できたレベルでしょうね。中級二つ星に認定される予定でした」
「じゃあ、その時点ではシリルより下じゃねえか」
「二年もあったらいろいろ変わるよ」
シリルは冷静な声で言った。経験を積めば積むほど、潜在的な魔力を解放できるのは確かだが、それでも二年の伸びしろなど知れている。現時点でシリルより格上になっていても、リディを超えていることは絶対にない。
「気を抜くな。奴が認定試験や学校で本気を出していたとは限らない」
リディの考えを読み取ったようにギルバートは言った。ギルバートの言うことも尤もだが、人間である時点で、ハーフエルフであるギルバートと同等の魔力を有するリディより上手である可能性はほぼない。
「アッシを見つけたら、俺に報告しろ。すぐに向かう」
「ギルバート様が?直々に?」
テオドアは勝手なことを言うなといった様子だ。しかし、ギルバートはそんなテオドアの言葉など無視して、消えてしまった。テオドアはため息を漏らす。
「ということですので、勝手な行動は謹んでください。特にリディ、あなたは無茶をする節がありますからね。絶対にギルバート様にご連絡を」
「分かったって」
リディはうんざりとして言った。ギルバート本人が来れば、エルフの護衛も来るので、ギルバート本人に何かあることはないだろうが、それでも気が進まないことは事実だ。遭遇したら、なんだかんだ理由をつけて一人でちゃちゃっとやってしまおうか。リディはそんなことを考えながら、エマを迎えに研究室へ向かった。
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