第51話 偽物

 エマの研究室はしばらく見ないうちに、緑で覆い尽くされていた。エマがなんの研究をしているのかよく知らないが、植物に囲まれていないと死んでしまう病気か何かだということは知っているため、何も言わない。


 視察後、シリルは何かとエマの研究室へ入り浸っているらしく、学校が終わる頃エマの研究室へ来て、せっせとエマの手伝いをして夕方には帰るという毎日を送っているそうだ。


 今日も例外ではなく、昼過ぎにシリルは現れた。


「学校ってこんなに早く終わんの?」

「今日は一つしか授業とってないから」

「へえ」


 リディは学校に通ったことがないため、学校のシステムがよく分からないが、興味もないためそれ以上のことは聞かない。シリルはエマの手伝いを始め、リディはたまに押し付けられる雑用を片付けていた。


「そうだ。手、どうなった?包帯を巻いておいた方がいいんじゃない?」


 エマは急に思い出したように言った。リディはエマの方に手を差し出す。


「さっき王子が魔法で……解けてる」


 先ほどまで、ギルバートの魔法で見えなくなっていたはずのかぶれが、見えるようになっている。


「どうしたの?」


 エマの手伝いで何かの植物の葉をむしっていたシリルが尋ねる。


「何かの植物でかぶれちゃったみたいで」

「王子が見えないようにしてくれてたんだけど、魔法が解けてる」

「やっぱり病棟で診てもらった方がいいわよ」

「面倒くさいし、退院したばっかなのに、行くのはなんか嫌」

「じゃあ薬剤部で薬貰えば?」


 葉をむしりながらシリルは言う。


「なるほどな。そうするか」

「あ、薬剤部に行くなら、これ持って行ってくれない?」


 エマはリディに薬草の入ったカゴを渡した。リディはそれを受け取ると、研究室の扉へ向かう。


「じゃあ行って、うわ!」


 扉を開けると、テオドアが目の前に現れた。リディは驚きのあまり、カゴを落とし、薬草は散らばった。後ろに倒れそうになったが、テオドアに支えられ、なんとか体勢を保った。


「リディ!?」


 テオドアは何故か驚いた様子で言う。リディは文句を言おうと顔を上げたが、テオドアの顔色が悪いことに気づき、一度口を閉じた。


「何かあったのか?」

「リディ、あなた、今までずっとここにいたんですか?」


 テオドアはリディの肩を掴んだ。見たことのないテオドアの取り乱しぶりに、不吉な予感がした。


「そうだけど……なんだよ」

「先ほど、ギルバート様が倒れられました。毒を口にしたようです。私が発見した時、ギルバート様の傍にはリディがいました」

「はあ?」

「そんな!リディはずっと私と一緒にいました!シリルも一緒に!」


 エマが言うと、シリルは何度も頷いた。


「あのリディは、偽物……?なぜギルバート様は気づかなかった?」


 リディもそれが気になった。リディはギルバートの部屋など訪ねていないし、もちろん毒など盛っていない。そのリディが偽物だったとして、魔力の気配を察知する能力に長けているギルバートが、見抜けないとは思えない。


 リディは右手を見た。手が痛々しくかぶれている。簡易魔法は術者の死によって魔法が解ける。ギルバートの魔法が解けたのは、もしかして……


「王子の容体は?」

「分かりません。エルフが治療をしています」

「そうか」


 リディは内心穏やかではなかった。誰かが自分の姿で人を殺そうとしたのだから、怒るのも当然だろう。エルフの一団が訪問中だったのが、不幸中の幸いか。いや、ギルバートが助かる保証など、どこにもない。リディは拳を強く握った。


「とりあえず、リディではなくて良かったです」


 テオドアは力なく言うと、壁にもたれかかった。エマがテオドアの方へ行き、椅子に座るように促す。リディも室内へ戻り、扉を閉めた。誰も何も言わず、重い空気が流れていた。




 重い空気のまま、長い時間が流れた。ギルバートの容体も分からないまま、テオドアが何度目かのため息をついた時だった。慌ただしく扉がノックされ、返事も待たずに扉は開かれた。扉を開けたのは、若い女。二十代くらいに見えるが、何十年もその姿のままであることをリディは知っている。


「リディ、ちょっと来てくれる?」

「シルヴィア!?お前、なんでここに」


 数年ぶりに見る母親は、ある点を除いて、何一つ変わっていなかった。


「いいから来て」


 シルヴィアに腕を掴まれ、あっという間に魔法でどこかへ移動した。到着したのは、部屋の内装から、城の中であることだけが分かった。室内にはエルフが数名いた。全員、リディに注目している。そして、シルヴィアは、他のエルフたちと同じ服を着ていた。エルフたちがきている服は、エルフの王子の従者たちが着ていたものだ。


「お前やっぱりエルフ」

「そうよ。四分の三くらいね。今はそんなことどうでもいいの。名前は?」


シルヴィアはリディの目を見つめた。


「は?」

「名前を答えなさい」

「リディ・イヴ・フォレ」

「そうね。どこで暮らしてる?」

「マイユール」

「そう。私の名前は?」

「シルヴィア・フォレ」

「私はあなたの何?」

「育ての親」

「いいわ。最後に、エルフの秘薬の材料は?」

「なんだよいきなり……」

「いいから答えなさい」

「星の実、氷の花、虹色の雫、黄金の欠片、大地の宝石」


 それまで、なんの反応も示さなかったエルフたちが息を呑んだ。シルヴィアも深刻そうな顔をしている。


「思い出してしまったのね」

「なんだよ」

「何でもないわ」

「は?」


 いつの間にか、リディの後ろには椅子があり、シルヴィアはそれにリディを座らせた。エルフたちは、一定の間隔を保って、リディを囲んで立った。床には、魔法陣が浮かび上がる。


「大丈夫よ。落ち着いて。次に目を覚ました時、あなたは全てを忘れてる」

「何言って--」


 リディは立ち上がろうとしたが、動くことができない。瞼が重くなってきた。


「待て!私の質問に答え……ろ」


 リディは深い眠りについたような感覚に陥った。とても心地良かった。何もかも忘れて、何も考える必要はない。何も知らないまま、ただ生きていけばいい。

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