第17話 複雑なオモテとウラ キーワード:表局域、裏局域、観光社会学

 カンナギはちらと腕時計を見た。祖父亡き後、譲り受けた形見の品である。時間を確認するならスマホでも事足りるが、話し相手が目の前にいるときに逐一スマホをいじるのはカンナギの好むところではない。


 時計の針はもうすぐ三時に到達しようとしている。ははぁ、どうりで糖分を欲しているわけだ。カンナギはひとり納得し、それでも意識は次の話題に向けられ、どういう順番で話すべきかを探り続けていた。幸い、頭はまだ動いている。


「さっきの例は表局域と裏局域がわかりやすく物理的に区切られていたんだけど、必ずしもそういうパターンだけではないんだ。

 たとえば、カフェのホール。ホールではスタッフが一般的に求められるであろう役割に従事して、お客さんを席に案内したり、オーダーを取ったり、にこやかな接客をするだろう?」


「ホールが『表局域』ってことよね。それは私もわかってきた」

「そうなると、お客さんから区切られた場所……厨房が『裏局域』かな」

「そうそう。でも、『表局域』が『裏局域』の場になることもあるんだよ」

「「え? どういうこと?」」


 蓮と愛がほぼ同時に疑問を呈した。


「ホールにいるスタッフが、端っこの方でおしゃべりに没頭している姿って見たことない?」

「あ、あるある! 注文しようと目配せしてもおしゃべりに夢中なのか全然気付いてくれなかったから、パパが大きい声でスタッフさんを呼んだことがあったわ」

「なるほど……表局域であるホールが、裏局域に変化しちゃうってこと?」


「そうそう! 同じ場所であっても、そこにいる人たちの振る舞いや発言でその場に与えられる意味づけが変わるんだよ。だから、たとえホール……つまり、表局域の場であっても、そこにいるスタッフたちがちょっとした息抜きに私語を挟むとか、あくびをするみたいな舞台裏で行われるような振る舞いをすれば、裏局域の場が生まれるんだな」


「それなら……たとえばだけど、営業中のホールは表局域でも、閉店後のホールは裏局域に変化するよね。つまり、ホールは接客の場では無くなって、スタッフも接客の役割から降りて、スタッフの時とは違う顔でお互い接したり、掃除をしたり」


 合点がいった様子の蓮が事例を述べる。そのいきいきした話しぶりにつられるように、愛が続いた。


「そうだ、こういうのもあるんじゃない? ほら、授業中に先生がちょっとの間席を外すような時って、自習の時間になるでしょ? それまで一生懸命授業に集中して勉強していたのに、先生がいなくなって自分の好きなことをし始めるパターン!」


「ああー、よくあるなぁ。最初だけシーンとしてるけど、先生の気配がなくなったと思ったら話し始めたり、スマホをいじる子もいて。あれも、教室の場が表局域から裏局域に変化してしまったんだよね」


 局域の変化は意外と「あるある」なのだ。「社会学」を通じて盛り上がる二人を前に、カンナギは笑みを隠しきれない。


「ふふ。二人とも、どんどん思い当たるシーンが浮かんでいるようだね。

 表局域と裏局域が〝必ずしも〟物理的に区切られているものではなくて、『局域』はあくまで知覚的な仕切りであるってこと、なんとなくイメージしてもらえたんじゃないかな。舞台裏的なやり方さえ作動させれば、人はどんな場でも舞台裏に変えてしまうことができるんだよ。それと、空間的な仕切りだけじゃなく、蓮が話してくれたカフェの例――時間帯によって演技が変わることを思えば、時間的な仕切りもあるってことだ」


「同じ空間でも、そこで繰り広げられる会話や振る舞い、どういう人々がいるのかによって状況が変わることをふまえると、表とか裏を単純に区切ることは難しそうだね」


 蓮の言葉に肯きながら、カンナギは表局域と裏局域の概念を活用した研究を思い出した。フランスの社会学者ディーン・マッキャーネルによって展開された観光社会学である。


 マッキャーネルは、現代の観光が「擬似イベント」化しているとのダニエル・ブーアスティンの主張に反論し、観光客はむしろ本物――オーセンシティを求めているのだと指摘した。


「擬似イベント」とは、1960年代にアメリカの歴史学者ブーアスティンによって提起された造語で、広く報道されることを前提に、マス・メディアによる演出や脚色の過程を経て、意図的に仕組まれた「出来事」や「事実」のことを指す。その「出来事・事実」は実際のものより本物らしく、さらに劇的で理解されやすいよう作られており、受け手はそれらを現実と受け止めかねない。


 メディアによるイメージの大量生産が人々の想像力に影響を及ぼし、「擬似イベント」が作られていく中で、ニュースは〝報道〟されるものから〝製造〟されるものへ、〝英雄〟は〝有名人〟へ、そして〝旅行者〟が〝観光客〟へと変容したことを指摘したブーアスティン。

 彼は、「われわれは現実によってイメジを確かめるのではなく、イメジによって現実を確かめるために旅行をする」と述べ、擬似イベント化が顕著な事例として観光を分析したのだ。


 そもそも中世における旅行とは教養を身につけることを目的としており、若い貴族が成長するために出かけるものだったが、その道中および旅先は決して楽なものではなかった。道は未整備の上、強盗や人殺し、病気などの危険が伴う。おまけに宿泊施設も少なく、衛生的とは言い難かった。それがこんにちでは鉄道や汽船などの交通機関が発達し、苦痛のない観光へと変化したことから、「観光客(楽しむために旅行する人)」が台頭したという。やがて、旅行の大衆化および商品化がもたらされ、人々はその土地そのものではなく、観光客用に作られたものを見て満足し、また観光地の側も観光客の期待に添えるように土地の風景を変え、創作を施していく。


 留意すべきは、メディアが一方的に仕掛けていくだけではこれほどの擬似イベント化は成立しないという点であろう。需要なきところに供給は成立しないように、大衆の終わりなき欲望、途方もない期待があってこその擬似イベント化である。人々の欲望や期待に沿って「擬似イベント」はどんどん生産され、気がつけば社会は幻影imageに支配されているような状況。しかし、人々はそのことにすら気付かず、擬似イベントにどっぷりと浸かりきっている――なんと刺激的で興味深い議論だろう。

 そんなブーアスティンの議論に対し異議を唱えたマッキャーネルもまた……ん? マッキャーネル? そうだ、マッキャーネルの話をしなければ!

 

 カンナギは脳内の自己評価表に「人前で話をする職業は不向き」と書き加えた。もし、教師にでもなったものなら、しょっちゅう話が脱線して授業どころではないだろうと容易に想像がついたからである。


「蓮のいう通りだ。表局域と裏局域は常にはっきりと区切られているわけではないし、状況によって変わることもある。そんな表局域と裏局域の考え方を観光の分析に活用した人がいるんだ」


「カンコウって、どこかに行って見物してまわる、あの観光?」

「そう。ディーン・マッキャーネルっていうフランスの社会学者が、観光研究にゴフマンの概念を適用したんだよ」

「へぇー、誰かの言ったことを使って、新しい研究ができるんだ」

 感心したような口ぶりで愛が言った。

「うん。誰かの言ったこと……つまり、誰かの『視点』を使うことで、今まで見えてこなかったものが見えるようになったり、新しい発見につながることもあるんだよ。研究、とまではいかなくても、僕たちだってすでに同じようなことをしているだろ?」

「……あ、ゴフマンの視点――『演技』や『局域』を使って、お店や学校について説明してきたよね」

 蓮が、カンナギの言わんとしていることを代弁する。

「そっか、なるほど! なんか、急に賢くなった気分だわ」

 うきうきした声の愛がそう言って胸を張る。


「で、そのディーン……マキアートさんだっけ? どんなことを言ってるの?」

「マッキャーネルだ」 

 カンナギはすかさず訂正し、甘い飲み物を連想させる愛の言い間違いに何気なく視線を落とし、再び腕時計を確認する。三時を少し回ったところだ。切実に糖分を摂取したい。しかし、今日はすでに三品も注文してしまっている。もし、自分が大富豪なら財布の中身をいちいち気にせず注文できるだろうにと反実仮想のような嘆きが思い浮かんだが、無い袖は振れないのだから仕方がない。

 気持ちを切り替えるべく、カンナギは深く息を吸ってソファに浅く腰掛け直した。


「さて。マッキャーネルの話の前に、ここで質問です。観光地に行ったら、二人はどんなものを見てまわる?」

 カンナギの問いかけに蓮が首を捻りながら答える。

「え? うーん……そうだな、最近はほとんど行ってないけど、その土地の名所とか、名物と言われているようなところを見ようとするかな」

「そうねぇ、ガイドブックに載ってる人気スポットとか、やっぱり気になるし行きたくなるかな」

「なるほど、ありがとう。二人の回答からは、観光先にかんする情報やイメージがすでにあるように感じられたんだけど、その点についてはどうかな?」

「……たしかにそうかもしれない。とくに、有名な観光地ならなおさら、テレビや雑誌なんかで色々見る機会も多いし、行く前からすでに結構な量の情報だったりイメージをもっているような気がする」

「そうよね、むしろ観光先についてまったく何も知らない状態ってことの方がないかも……。ガイドブックで事前に色々調べて、あれ見たいとかあそこに行きたいとか準備しちゃうもん」

 それぞれに意見を言い終えた蓮と愛が窺うような視線をカンナギに向ける。


「うん。二人が言うように、おそらくほとんどの人が観光先についての情報をメディアからすでに入手していて、それぞれにイメージをもっていると思うんだけど、この点について、アメリカの歴史学者であるダニエル・ブーアスティンという人が、こんなことを指摘したんだ。

 現代の観光はその土地そのものの文化や人といった〝本物〟に出会おうとするのではなく、メディアによってつくられたイメージを確かめるためのものになっている、ってね」


 二人とも、目を丸くしてカンナギの言葉に頷いている。両者の好ましい反応にこのままブーアスティンについてあれやこれやと伝えたくなってしまう気持ちを抑え、カンナギは予定していた話題に突入する。


「その指摘に意義を唱えたのがマッキャーネルだ」

「出た! マッキャーネル!」

 今度は言い間違えないぞとばかりに、愛が反応した。


「ブーアスティンの指摘に対し、マッキャーネルは観光とはむしろオーセンシティを求めるためのものだと主張したんだ。オーセンシティとは〝本物らしさ〟とか〝真正性〟を意味する言葉だな。この〝本物〟にかんする議論について、マッキャーネルはゴフマンの表局域、裏局域の考え方を活用するわけだ。

 すなわち、観光客は決して観光客向けに作られたようなもの――表舞台だけを見て満足しているんじゃなくて、舞台裏を覗きたがっている……つまり、本来の文化やありのままの姿といった〝本物〟を求めてるってね」


「ブーアスティンの指摘にはハッとしたけど、こうして聞くとマッキャーネルの主張にも賛成できるなぁ」


 しみじみといった風に蓮が言い、愛もその言葉に頷いた。口には出さなかったが、カンナギもかつて蓮と同じような感想を抱いたものだった。それぞれに着眼点の鋭さがあり、鮮烈な主張がある。「社会」の姿を捉えた珠玉の議論だ。面白くないはずがない。ゴフマンだってそうだ。


 偉大なる先達が残した議論や概念はいつだってカンナギの好奇心を刺激し、心をときめかせてくれる。自分の感じた〝面白い〟を、〝好き〟を、共有したい、知って欲しい。……が、話が広がりすぎるのはよろしくない。相手への配慮に欠ける。骨子を見失わず、それでいてコンパクトに。それらを肝に銘じ、カンナギは蓮と愛を交互に見遣りながら言うべきことだけを出力する。


「人々が観光客用に設定された表舞台ではなく、いわゆる舞台裏を覗きたがるのは、〝裏〟にこそ〝本物〟があるという考えがあるからなんだよな」


 マッキャーネルは、単に観光客が本物を求めているということを言わんとするために議論を展開していたわけではなかった。中心となるテーマはあくまで「近代化」であり、舞台裏を見ることによって〝本物〟を――価値を見出すような近代社会の構造、いわば、そうした価値観を生み出す社会がいかなるものであるのかを論ずることが彼の目的だったのである。


「だけど、舞台裏っていうのはふつう人に見せないものだし、観光地の人たちだって見せ物じゃあるまいし、そんなの嫌がるだろ?

 だから、観光地や観光の業者は、観光客向けに舞台裏を演出するんだよ。これをマッキャーネルは『演出された本物』と言ったんだけど、その例として児童向けの工場見学や普段なら訪れることのできない施設への観光なんかを挙げているんだ」

 愛がハッとした表情を見せる。

「あ! そういえば小学校の時、お菓子工場に見学に行ったことがあったわ! あの時、たしかに舞台裏を見た、って感じがしてワクワクしたかも。なるほど、演出された本物、かぁ……」


「……演出に演技。こうなると、もう何が本物なのか、どこに本物があるのか、わからなくなるな」


 蓮が伏せ目がちに、聞こえるか聞こえないかくらいの声でぽつりと言った。


「すまない、蓮。ちゃんと聞き取れなかったからもう一度言ってくれないか」

 カンナギが申し訳なさそうな顔で訊ね返した。

「――あ! ええと、観光客向けに演出された舞台裏ってことは、それはもはや裏局域ではなくて、表局域になってるんじゃないかなって思ってさ」


 ――? さっきと言葉が違っているような……。

 カンナギは蓮の返答に少し違和を覚えたが、瞬時に理解した。おそらくは無意識に出た独り言を自分が耳ざとく拾ってしまったのだろう。本人が隠したがっているであろうことをわざわざ深追いするような無粋な真似はするまいとカンナギは蓮に調子を合わせた。


「そうなんだよ。表と裏、なかなか深いだろ?」

「うん。ところで、ちょっと気になることがあるんだけど、質問していいかな?」

 いつもの爽やかな表情で蓮が訊ねる。彼にとってここは今おそらく表舞台なのだろうとカンナギはなんとなく思った。

「ああ、もちろんだ」

「ありがとう。その……表局域で演技をするって言っても、いつもそんなに望ましい演技っていうか、求められる役割をやり遂げられるのかなって疑問に感じて」

「それ、私も気になる」

 愛が遠慮がちに小さく手を挙げる。

「……んだけど、ごめん! ちょっとお手洗いに行ってくる!」

 そういうやいなや、二人の返答を待たずして愛は店の奥に引っ込んでいった。

 カンナギは行ってらっしゃいの代わりにと愛の背に向けて掌をひらひらさせている。


 愛の突然の離席。チャンスだと、蓮は思った。



――――――――――――

主要参考文献(既出のものは省略しています)

 D.マキャーネル(著),安村克己ほか(訳)『ザ・ツーリスト 高度近代社会の構造分析』,2012,学分社.

 ダニエル. J . ブーアスティン(著),星野郁美・後藤和彦(訳)『幻影イメジの時代 マスコミが製造する事実』,1964,東京創元社.

 土井文博「観光社会学の可能性 J.アーリーの『まなざし論』を超えて」,2014『海外事情研究』41(2),p.11-40.

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