特別編 バレンタインデーSS(単独でお読みいただけます)

ご覧くださりありがとうございます。

本来であればゴフマンの続き、なのですが、今日がバレンタインデーであることに気づきまして、何か楽しいお話をご提供できないかと勢いで執筆いたしました。


一話完結です。それではどうぞご覧ください。


――――――――――――


「ロマンティック・ラブからコンフルエント・ラブへ?」


 愛はたった今聞いた言葉をおうむ返しに尋ね返す。

 こいつが言う耳慣れない言葉は十中八九社会学絡みの話であることは見当がついているが、〝ラブ〟という単語は聞き捨てならない。なにしろバレンタインが近い。愛は今年手作りのチョコを想い人―― 志之元しのもと れん ――に手渡すという一大ミッションを抱えている。


 ただ手渡せばいいというわけではない。数々の監視の目を掻い潜り、かつ、本命チョコであることが本人に伝わるよう渡さなければならないのだ。

 クラスの、いや学年の王子様的存在である彼に対し、恋愛感情を持つことは許されていない。つまりファンとしてチョコを渡すこと――〝個人〟単位ではなく、〝集団〟を介して蓮に渡す――は許されても、本命チョコを渡すなどもってのほかであり、その行為が周囲に知れれば愛の学校生活は文字通り終了する。


 平穏(たとえそれが幻想であっても)な学校生活は死守したい。しかし、蓮に心を込めたチョコはちゃんと渡したい。恋する乙女は欲張りなのだ。チョコを手渡し、告白、そしてあわよくば前向きな返事を……想像して愛は軽く身をよじらせる。もちろんその顔は緩み切っている。


 ――はっ! いかんいかん。


 愛は即座に妄想――違った、想像のスイッチをオフにして、真面目な表情をつくった。高難度のミッションを滞りなくこなすにあたり、平静であることは必須条件だ。感情に流されるやつは素人である。玄人なら冷静に、そして一見関係なさそうな情報であっても簡単に切り捨てたりせず、収集する。


 なんの変哲もない場所に宝の山へと通ずる隠し通路があるように、一見すると冴えない平凡な子が正義のヒーローとして暗躍するように、大切なことはいつだって皆が軽んじたり、大したことないだろうとスルーしてしまうところにあるのだ。


 すなわち、ミッションを成功させうる重要な情報も、意外なところからもたらされる可能性は十二分にある。だから愛は聞き流したりしない。少なくとも〝ラブ〟なんていうバレンタインイベントにかなり関係がありそうなワードが放り込まれているのだから、これはもうフラグに違いないのだ。


 愛は空咳を挟んで、改めて問いかけた。


「コホン。う…ゲホッ、ゲホッ! ええと、それで、なんだっけ? ロマンティックとカンフル? いや、コ…ンサル? だったっけ」

「落ち着け。コンフルエント・ラブだ」


 クラスメイトのかんなぎゆうが水を差し出した。変わっていると評判だが(〝変わっている〟ことについては愛も同意している)案外気が利くやつである。


 土曜日のうららかな午後。愛の祖父が営んでいる純喫茶『ルディック』で二人はお茶をしている。バレンタインに向けてガトーショコラを改良したので試食してほしいと祖父から店の常連客であるカンナギ、蓮、愛に声がかかり、こうして有り難く絶品スイーツを堪能しているというわけだ。


 惜しむらくは、ここに蓮がいないことである。なんでも今日は習い事で一日中都合がつかないとのことだった。


「マスターが作るんだからもう絶対美味しいことは間違いないけど、食べたかったなぁ」と心から残念がる蓮の姿には胸が痛み、しかしそんな表情すら素敵だと見惚れている間に「じゃあ僕がマスターに頼んで蓮の分も後でもってってやるよ」とおいしすぎる役割をカンナギにかっさわれてしまった。いや、実際には愛が出遅れてしまっただけなのだけれども。


「ふつう、恋愛感情っていうのは私的で、個人的なものだと思われがちなんだけど、実は外的な――つまり、社会的な要因によって規定されている側面ももっているんだな」


「ほうほう」と愛は神妙そうな面持ちで頷き、小さく切ったガトーショコラを口に運んだ。

 甘さは控えめで、それでいてハイカカオ由来のチョコレート味が強い。バターと卵のコクがしっかり効いている。寒い冬に食べたくなるような、しっとりとした濃厚な生地。やはり祖父の腕は素晴らしい。後でレシピを聞いておかねば。


「恋愛関係は結婚みたいに公的な制度の支えを持たない。そういう意味においても、きわめてプライベートなものといえる。でも、恋愛に関するさまざまな意識や感覚って、実は現代社会に生きる多くの人たちによって共有されている社会的な意識なんだよ」


 そう言ってカンナギはガトーショコラに甘さなしのホイップクリームをたっぷりつけて一口頬張った。学校ではあまり表情が変わらない印象なのだが、美味しいもの――特にスイーツ類――を口にしたときは本当にいい顔をする。


「ああ、いつものあれよね。個人的で私的なものと見なされがちな対象が、実は『社会』と無関係ではないってやつでしょ。つまり、『恋愛』や『恋愛感情』も、社会的なものであるって話かな?」


 カンナギから社会学の話を聞くようになってそれなりの時間が経っているので、そろそろ社会学的なものの見方だったり発想だったりは少しわかるようになってきたように愛は思う。

 だが、こと恋愛に関してはまだ話が見えてこない。愛は続きを促すように、カンナギへと視線を合わせた。


「そうそう。今は恋愛を通してやがて結婚に至るっていう、まぁ言い換えれば恋愛のゴール、成就の先には結婚があるっていう見方が一般的になっていると思うんだけど、果たしてそういう『恋愛観』はそんなに当たり前かっていうことなんだけどさ」


 愛はこれまで親しんできた恋愛を題材にした漫画やドラマ、小説などを思い返した。


 細かな設定などの違いはさておき、確かに多くの場合、主人公たちは――時にライバルの存在に阻まれ、お互いの気持ちのすれ違いなどを経験しながらも――熱情に溢れた恋愛を経て、やがては結婚に至っていたように思う。お見合いなどのケースはあるけれど、その場合も互いの恋愛感情、それも〝純愛〟を育んでいくシーンなどがセットであった。

 結論、愛の中ではなんとなく恋愛と結婚はイコールで結ばれている(ということに気付かされた)。これがカンナギのいう〝当たり前の恋愛観〟なのだろうか。


「具体的にどういうこと?」

「その前に質問だ。愛は〝恋人〟っていうとどんな存在を思い浮かべる?」


 ――きた。こいつは何かと質問をふっかけてくる。しかし嫌な質問の仕方ではない。どこまでも興味をひくような仕掛けである。


「うーん、一言では言いにくいけど……すごく好きな人っていうか、恋愛の成就によって得られた大切な人って感じ? あ、恋愛関係に基づく相思相愛の間柄とか」


 おお、なんかそれっぽいことを言えたのではと満足げにカンナギを見ると、楽しそうに頷いている。まだもう少し回答が欲しいのかもしれない。


「あと……そうね、必ずってわけじゃないけど、人によっては〝結婚を意識する相手〟かもしれないわね」


「うん。今、愛が話してくれた内容からは、〝恋人〟には『愛』とか『恋』、『好き』の要素があること。そして、〝恋愛を経て、愛する人と結婚をする〟という恋愛と結婚を結びつける発想があるよね。

 そうそう、少し付け加えるなら、この話が〝異性愛〟を前提としていることには留意しておくべきだな。近年では特に恋愛、結婚のスタイル――言い換えるなら家族のあり方だったり関係性のあり方が多様化していることがようやく周知されつつあるけど、まだまだ恋愛と結婚を直接結びつけるような発想は未だ根強い」


「そうね」 


「つまり、現代の結婚というのは恋愛関係の基づくもの、あるいは愛情を介した関係性のことを連想させるものだと思うんだけど、こういう、恋愛と結婚が固く結びついた恋愛観を『ロマンティック・ラブ』というんだ」


「なるほど、ロマンティック・ラブね」


 いい感じに話は進んでいる。それすなわち、愛が一大ミッションを成功させるために必要な情報が得られる時も近いということだ。


「だけど、こういう恋愛観の歴史は実は浅い。日本でも60年くらい前まではお見合い結婚の方が多かったしね。本来のお見合いは親同士の話し合いであって、本人不在のまま行われることもあったんだよ。花婿と花嫁が結婚式の当日に初めて顔合わせなんてことも珍しくなかったわけで」


 はるか昔は見合い結婚が主流であること、しかも親同士が決めるものだという話を耳にしたことはあったように記憶しているが、こうして改めて聞くとなかなか重みがある。しかもそれほど昔の話でないところがまた驚きである。

 愛は親が勝手に自分の結婚相手を決めてくるような世界線に生まれなくて本当によかったと心の中でそっと感謝した。


「そもそも、伝統的な社会では結婚の目的が違ったんだよ。今みたいに、恋愛成就うんぬんではなくて、財産の継承や先祖代々のお墓を守るため、子どもを産み育てることみたいな〝持続性〟が期待されていたんだ。社会学的に言うなれば、『イエ』をはじめとする社会秩序の再生産が求められているってこと。で、この『社会秩序』に注目した場合、恋愛は社会秩序を乱しうる危険な要因とされるんだよ。持続性を期待されている結婚にとって、予測不可能で移ろいやすい恋愛感情は危険因子と見なされるってわけ」


 なるほど、と愛は頷いた。

 言われてみれば、恋愛はいいところばかりではない。恋愛感情に心をかき乱されて他のことが疎かになる人々――主に架空の世界の――を愛はたくさん見てきた。もっとも、愛自身はそこまでコントロール不能な状況に陥ったことはないけれど、恋に端を発する感情というものが得てして度し難いものであるということは現在進行形で体験している。


「もっと言うなれば、伝統社会に関係なく、恋した相手が結婚相手として相応しい人物とは限らないだろ?」


「ああ、それはなんか想像しやすいかも」


 言いながら、愛は魅力的だけれど、浮気や不倫の噂が絶えない芸能人たちの姿を何人か思い浮かべた。


「その一方で結婚相手としてはすごく望ましい人……たとえば、すごく優しかったり、経済的にゆとりのある人物だったりする相手に対して、どうしても恋愛感情を抱くことが難しいケースだってある」


「うんうん、わかる、わかるわぁ」

 実際にそんな相手はいないのだけれど、想像できてしまうのだから仕方がないとばかりに愛は深く同意を示した。


「すなわち、社会秩序の面だけじゃなく、感情の面から考えても恋愛って結婚を維持するには危険な存在なんだよ。こうして歴史を遡ってみると、元々恋愛と結婚は別物として扱われていたってわけ。そんな状況からどうやって恋愛と結婚が結びついたか、なんだけど」


「なるほど、それでそれで?」


「ええと、前置きとしてはだな、今僕たちが普通に使っている〝ロマンス〟って言葉には次のような由来があるんだ。それは、イタリア語やフランス語などのローマ帝国に由来をもつ言語――ロマンス語で語られた物語、特に〝恋愛物語〟のことを『ロマン』もしくは『ロマンス』って呼ぶようになったってこと。この物語ロマンスを見ていくと、今の僕たちにとって馴染み深い要素がいくつかあるんだ」


「たとえば?」

「劇的な出会い」


 愛の頭の中に、食パンを咥えた少女が遅刻するまいと全力疾走で登校しているところ、出会い頭に恋のお相手とぶつかるシーンなどなどが浮かんだ。


「二人の愛の成就を妨げるような試練」


 自分より遥かに高スペックな恋のライバルの登場、好きな相手に昔付き合っていた恋人が再接近、やっと両思いになりかけたと思えば絶妙なタイミングでどちらかの家が遠くに引っ越しになる……試練とは枚挙にいとまがないものだ。愛は顔をしかめ、カンナギに「それで?」と続きを催促する。


「悲劇的な逃避行」


 ――! それはつまり、世間的に見て釣り合わない二人が結ばれようとして、愛の逃避行を決行するというケースか。愛はごく自然に自身と蓮の姿を重ね合わせ、「それはつらい。是非とも幸せになってほしい」と独りごち、「あとは⁈」と無意識に力の入った口調でさらなる先を促す。


「不倫」

「なるほど、不倫……ふ、不倫⁈」

「そうそう。ふ、り、ん、だ」

「いやちゃんと聞こえてるし! っていうか、馴染み深い要素じゃないでしょそれ!」

「はは。いやぁ、なんだかすごく感情移入してるっぽかったからこのままのテンションで言えば気づかないかなと思ったけど、愛もなかなか手強いな。

 意外に感じるかもしれないけど、ロマンティック・ラブの原型には不倫の要素があったんだよ」


 ――ふ、不倫……。

 頭の中にまさかの三文字がぐるぐると巡る。ちょっと待て、私が求めている内容からどんどん遠ざかってやいやしないかと愛は急に焦りを感じ始めた。いやいや待て待て。早合点は禁物だ。ここは冷静に確認することが先決だ。オーケイ? 愛の脳内で緊急会議が開かれ、秒で議題は解決、お開きとなったところでカンナギに問いかける。


「えーと、もうすぐバレンタインですよねぇ」

「ああ、そうだな。そのお陰でこんなに美味しいガトーショコラを食することができている。感謝の念に堪えないな」

「えーと、カンナギさん。バレンタインといえば愛の告白、ですよね?」

 無意識に、愛はあらたまった言い方になっていた。

「ああ。それくらいの発想は僕にだってあるぞ。そう、愛の告白といえば、社会学者ギデンズの『純粋な関係』を連想したから、ロマンティック・ラブやコンフルエント・ラブの話をしてみようと思ったんだが」


 ――だめだ、こいつに期待した私が馬鹿だった……


 愛は空を仰ぎ、脱力したように大きなため息を吐いた。


「すまない。何か違ったのか?」


 少しだけ、シュンと落ち込んだような色を見せながらカンナギが訊ねてくる。

 そうだった。図太そうに見えるけど、こいつはけっこうな気遣い屋さんなのだった。愛は右てのひらをひらひらさせながらちいさく笑う。


「ううん、ごめんごめん。こっちの勝手な勘違い。それより、さっきの話、気になりすぎるから続きをお願い」


 ぱぁっとカンナギの顔が明るくなる。続きが気になるのは本当だ。


「そうか、よかった。それで恋愛結婚の誕生についてなんだけど………」 


 愛の告白くらい、自力で成功してみせる。景気付けとばかりにガトーショコラを口に入れ、ゆっくり咀嚼しながら友人の話に耳を傾けた。こんな休日も悪くない。いや、とてもいい休日である。


 愛は身を乗り出し、「へぇ、それでそれで?」とまた新たな社会学の世界へと身を投じていった。


(2022年バレンタイン特別編 了)


――――――――――――


 特別編、かつSSということで、がっつり社会学のお話!という回ではなかったのですが、少しでもお楽しみいただけましたらとても嬉しく思います。

 ご覧くださり、ありがとうございました!


【主要参考文献】

山田陽子「恋愛の社会学序説 ―〝コンフルエント・ラブ〟が導く関係の不確定性―」http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hkg/file/6445/20191115140901/AA11439362_10_p.133.pdf(2022年3月14日閲覧)


景山佳代子・白石真生(編),2020『自分でする DIY 社会学』法律文化社.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る