番外編 カンナギの過去『孤独のスケッチ』 第1話
いつもお読みくださりありがとうございます。
現在、社会学カフェで展開する話について文献や資料を調査したり、まとめているのですが、なかなか手強く、次回更新までまだ時間がかかりそうなので、いったんここでカンナギの過去話を掲載させていただきます。
カンナギは本来なら大学や短大、専門学校で習うはずの「社会学」を、中学生の時点で知っているのですが、それはなぜなのか?
数話に分けて更新いたしますので、お楽しみいただけますと幸いです。
――――――――――――
小学五年生の夏、僕の大好きな祖父が亡くなった。
穏やかで、理知的で、いつも温かい言葉を使う人だった。
そんな祖父の口癖は「大丈夫」。
正直に言うと、僕は軽薄な響きすら感じるこの言葉が苦手だった。
だけど、祖父の言う「大丈夫」は、不思議と僕を勇気づけ、時には落ち着かせ、いろんなことから守ってくれる、魔法みたいな力があった。
言葉が誰かの心を強くしたり、温めたりすることもできるってことを、僕は祖父から教わったんだよ。
祖父は昔、
僕の家はご利益があるって言われてる評判の神社で、遠方からの参拝客も多い。参拝客のなかには、祖父目当てで来る人もかなりいたんだ。相談に乗って欲しいって。
祖父は、どうやら僕が生まれる前から困ってる人の話を聴いては、必要に応じてアドバイスしていたらしい。相談者の話を絶対に
最初はどんよりした顔で祖父に会いにきた人も、相談を終えた後はみんな見違えるほど晴れやかな表情になって帰っていくものだから、祖父の「人生相談」にはいつの間にかたくさんの人が詰めかけるようになった。
相談料? いいや、祖父はお金を一切受け取らなかったんだ。でも、あまりにも多くの人が訪れるようになって、宮司の仕事もままならなくなってしまってね。周囲から「気持ちはわかるけど、神社を維持するためにもちゃんと対価を受け取ってはどうか」と説得されて、途中から「お気持ち」――と言っても、決して高額ではなく僕の神社で売ってるお守りひとつ分くらいの金額――だけ頂戴するようになったみたい。
ところが、今度は言い値を支払うから優先的に相談に乗って欲しいなんて困った人も現れてさ。僕のおじいちゃんがお金目当てでやってるわけないいのに、そいつ馬鹿だなぁなんて思ったよ。まぁ、祖父は結局、そんな奴相手でも優しく
そうそう、祖父には毎朝の日課が二つあってね。ひとつは玄関掃除。掃くだけで終わらず、必ず水拭きまでやるものだから、うちの玄関はいつもピカピカ。汚れているところなんて見た記憶がない。
僕がうんと小さかったとき、祖父にどうして毎日玄関掃除をするのか訊ねたことがあるんだ。すると祖父はにっこり笑って
「玄関がきれいだと、気持ちがいいからね。ここを使う家族みんなが、毎日心晴れやかに過ごせますようにと願いながら、掃除をしているんだよ」と答えた。それを聞いて、僕も祖父の掃除を手伝うようになった。手伝う、というより、邪魔になっていたかもしれなかったけど。祖父が亡くなった後はバトンタッチして、今では僕が毎朝玄関掃除をしているんだよ。面倒じゃないかって? 全然。すごくすっきりするし、むしろおすすめするよ。
で、祖父のもう一つの日課というのが、庭の手入れ。これがまたすごくてさ。祖父が世話した花や緑は必ず立派に芽吹くから、庭は年中色とりどりの生命に溢れてた。それも、思わず目を奪われるような美しさでね。近所の人がわざわざ見にくるくらい、すごかったんだよ。ちょっとした名所みたいなさ。
……おじいちゃん、いや、祖父の自慢話ならまだまだいっぱいあるんだけど、そろそろ本題に入ろうと思う。
――あの日。
僕が起きる時間にはとうに日課を終え、居間で新聞を読んでいるはずの祖父がまだ寝ているとのことで、僕は祖父の部屋へ様子を見に行くことにした。
なるべく音を立てないよう、ゆっくり襖を開けると、どうやら雨戸が閉まっているらしく、部屋の中は薄暗かった。夏だというのに一瞬、息を呑むような冷たさがまとわりついてきて、僕は思わず身体を強張らせた。
閉じた雨戸の隙間から差し込む陽光が畳の上に細長い光の道筋をつくっている。僕はなぜかその光景に言いようのない恐ろしさを覚えた。部屋中に、いつもとは違う異質な空気が漂っているように感じたのだ。その感覚に違和を覚えながらも、僕は布団のなかで横たわる祖父に目をやった。
寝息も聞こえず、祖父の様子があまりにも静かで、一瞬どきりとしたけれど、「ああ、侑。おはよう」と声をかけられ、安堵と共に慌てて「おはよう」と返す。僕は祖父の枕元に駆け寄った。
室内は扇風機が回っているものの、若干汗ばむくらいの暑さだった。――なのに、夏用とはいえ祖父は胸元までしっかり布団を掛けており、僕はいよいよ不安になった。
「寒い? 夏風邪かな……つらくない?」
「いやぁ、風邪じゃないよ。ちょっとうとうとしちゃってねぇ。心配しなくていいよ、侑。ありがとうね」
ゆったりした呼吸に合わせて祖父が笑った。汗をかくことも、咳をすることもなく、別段つらそうには見えない。祖父は本当に眠そうで、「うとうとしている」と言っているのだから寝かせてあげればいいものを、僕は祖父のそばを離れずひたすら話しかけた。なんでもいいから、一言でも多くを祖父の口から引き出したかったのだ。
「ねぇ、おじいちゃん。もうすぐ夏休みだね」
「ああ、そうだね」
「夏休みになったらさ、プール行きたい」
「プール? めずらしいねぇ、侑は人が多いところが苦手だろう」
「あ、そうだった。プールは人が多いな。じゃあ海……かな?」
「海水浴場も夏は人が多そうだよ」
「ホントだ。うーん、ごめん。やっぱりどっちもあんまり行きたくないや」
「ふふ……侑、無理をしなくていいんだよ」
「ううん、無理したいんじゃなくて、おじいちゃんと一緒にいろんなとこに行きたいだけ」
「そうか、おじいちゃんも侑とどこか出かけたいなぁ。散歩なんかいいんじゃないかなぁ」
孫のデタラメな提案もやさしく受け止め、嬉しそうに答えてくれた祖父。
もう少しマシな話を……と話題を切り替えようとしたちょうどその時、リビングの方から「そろそろ学校に行く準備をしなさい」という母の大きな声が響いた。
祖父が「もうそんな時間なんだね」と僕に微笑みかけて、どういうわけか僕の目に涙が
本心は学校なんか行かず、ずっと祖父のそばに居たかった。だけど、「いつも通り」学校に行かないということは、祖父に何かあるんじゃないかという悪い予感を肯定しているように思えてしまったのだ。何より、学校に行かないと言えば祖父が心配することは容易に予想がついた。
「おじいちゃん、眠いのに邪魔してごめん。学校行ってくる」
「いいんだよ、心配してくれてありがとうね。そうだ、侑。そこにある文机の一番上の引き出しに手紙が入っているから。少し早いけど、おじいちゃんから侑への誕生日プレゼント。学校から帰ったら読んでね」
「うん! ありがとう、楽しみにしてる!」
「行ってきます」のサインである握手を祖父とがっちり交わして、僕はリビングへ向かった。
*****
昼休み。曇った顔の学級担任が僕を呼び出した。
逃れようのない胸騒ぎが、僕を襲う。
どうして――僕はちゃんと学校に来たのに。
努めて「いつも通り」過ごしていたのに。
なんで呼びに来るんだよ。なんの用だよ。
そういえば――僕はここで気づいてしまった。
今朝、僕が「つらくないか」と訊いたとき、祖父はいつもみたいに「大丈夫」とは言わなかった。まさか、まさか……
泣きたくなるのを堪えながら、縋るような目で学級担任の顔を見つめ、言葉を待った。
「
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