第10話

 サクッ――  

 思い切り口を開けて、厚切りチーズトーストにかじりつく。ああ、この味。口の中に広がる甘じょっぱい味わい。

 トッピングをハチミツにして正解だった。カンナギは満足気に鼻から大きく息を吸い込んだ。


 「うわっ! 美味しい……!」


 口元を手で隠しつつ、蓮が驚きの声を上げる。蓮が口の中にものを入れたまま話すところをカンナギは今まで見たことがなかった。つまりそれほど美味しかったと解釈して差し支えないだろう。「だろ? なんといっても厚切りのトーストと、このパンに一番合うチーズの……」なんて、以前マスターから教えてもらった美味しさの秘訣とやらを余すところなく伝えたいところだが、チーズトーストを食べる手が止まらないので、うんうんと頷くだけにとどめておく。


 人生とは選択の連続である。数々の選択肢にも怯まず、優先順位をつけなければならない。それがどんなに困難なことであったとしても、である。そして今この時、最も優先すべきは、一番美味しい状態で――とろとろチーズが固くならないうちに――この極上の軽食を味わい切ることだ。


 いつもの食事ならあまり噛まずに飲み込んでしまうところだが、意識を集中させ、ゆっくりと咀嚼すれば、自然と鼻から大きく息を吸い込んでしまう。心がほぐれていくような味だ。マスターの包み込むような笑顔がふと脳裏に浮かぶ。そうか、料理の味とは作る人の人柄も関係しているのかもしれない、とカンナギは一人納得する。

 

 「チーズはもちろんなんだけど、このハムもすごく美味しくて……これが朝食に出てきたら毎日頑張れちゃいそうだよ、僕」


 「頑張る!」のジェスチャーなのか、右手をグーにしながら蓮が言う。

 真に美味しいものを食べた時、黙々と食べ続けるか感動を述べるのかは人により分かれるところだが、どうやら蓮の場合は後者らしい――そういえばかつての自分も後者のタイプであったことをはたと思い出した。誰かと何かの感想を言い合ったり、感動を分かち合うということは久しくしていない。


 「無口な上に無愛想」というレッテルを貼られたのはいつからだろうか。無愛想、に関して異論はないが、自分は決して無口ではなかったはずで。まだ祖父が生きていた頃はよく喋るとまではいかずとも、比較的素直に自身の感じたことを話していたような気がする。

 あの頃に戻ることはもうできないけれど、祖父がもし生きていたなら――カンナギは苦笑いとともにちいさく息を吐いた。大丈夫、蓮には気付かれていない。感傷を振り払い、勢いよく二枚目のチーズトーストにかじりつく。

 

 「――蓮の言う通りだな。これだけ美味しければ毎日でも全然いける。朝食ならハムトッピングがピッタリだろうし」

 

 カンナギの言葉に蓮が満面の笑みを返した。おそらく蓮は自分のことを友だちだと思ってくれているのだろう。なら自分は? 臆せず彼のことを友だちだと言えるだろうか? 今はこうして良好な関係を築いていても、いつまた独りに戻るかはわからない――ああ、だめだだめだ。カンナギは頭をくしゃくしゃっとかいた。感傷に浸るのも、不毛なもしもを想像するのも、いったいなにになるというのか。

 今はただ、社会学が繋いでくれた縁に感謝するだけでいい。そこまで思って、チーズトーストと一緒に注文したミルク多めのカフェオレ甘さなしに口をつけようとしたその時、


 「こんにちはー! おじいちゃん、お裾分け持ってきたよー!」


 ドアベルの音色とともに、どこかで聞いたような声が飛び込んできて、カンナギは反射的に視線をドアの方に向ける。あ、目が合った。大きく見開かれた目とぽかんと開いた口。そんなに驚かなくても、と心の中で声をかける。

 知っている顔が、みるみるうちにしかめっ面へと変化した。

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