2話「森から脱出できたみたい」
「うわあー! ちょ、ちょっと。な、ナニコレぇー!!」
いきなりの出来事に、素っ頓狂な声を姫は上げる。周囲を囲むスライムの数は、ざっと見て二十匹は下らない。
いくら最弱のスライムとはいえ、こちらの世界にやって来たばかりの姫にとっては、脅威となる存在であることはまず間違いないだろう。
ふるふると体を震わせる数十ものスライムは、見ていてあまり気持ちのいいものではない。それを間近で見ている姫にとっては、尚のこと嫌悪感を抱かずにはいられない。
そして、そのスライムの群れが一斉に飛び掛かってくる様は、まるでバラエティ番組のアトラクションゲームを彷彿とさせる一幕ではあるが、実際にそれを体験している人間からすれば、堪ったものではない。
「くそ、こいつら徒党を組みやがってぇー! 卑怯だぞ、サシで勝負しろ。このジェリービーンズ共め!!」
スライムの怒涛の攻撃をなんとか躱しながら、とても大人の女性とは思えないほどの悪態をつく。それほど追い詰められているといえば聞こえはいいのだろうが、スライムたちもまさか自分たちが違う世界の砂糖菓子呼ばわりされる日が来るとは、夢にも思っていなかったことだろう。
だが、このままではいずれ体力も尽きてしまい、帰らぬ人となってしまう。だからこそ、姫は必死にスライムの攻撃を避けながらこの状況を打破するための策を考えていた。異世界に来てすぐにスライムに殺された人間という不名誉な称号を得ることだけは、なんとしても御免蒙りたかった。
ただ避けるだけの時間が過ぎ、しばらくすると状況が一変する。姫というターゲットに向かって、ただ純粋に特攻を繰り返すスライムたちが、細かい戦術を使えるということはない。
最初は姫の周囲を囲む様にいたスライムも、体当たりによってその位置が入れ代わり立ち代わりになり、気付けば包囲の陣形が崩れて一部分にスペースができていた。
「しめた! ここは、三十六計逃げるに如かず。てことで、バイナラ、ナライバー!!」
スライムたちの隙を突き、そのスペース目掛け全力で疾走する。スライム耐久デスマッチから、からくも逃れることに成功したが、一難去ってまた一難とはこのことで、再び問題が浮上する。
「ぎゃああああ、貴様らぁー。追いかけてくるな! あっちいけ、シッシ」
スライムの包囲から脱出し、そのまま逃走を図ろうとする姫だったが、自然界の摂理として逃げる獲物を追いかけるのは当たり前のことであるからして、スライムたちが追いかけてくるのは自明の理であった。
再びやってきたピンチに、姫はその場から脱兎の如く逃走する。そんな彼女を逃がすまいと、スライムたちもぴょんぴょんと跳ねながら追撃を開始する。
どこまでも鬱蒼と木々が覆い茂る森を疾走するには、彼女はあまりにも頼りない。だがしかし、このままこの森に居続けても助かる見込みは零に等しい。
「はあ、はあ、はあ、異世界に、来てすぐに、命懸けの鬼ごっことか、ハードモード過ぎんでしょうが!!」
自らの境遇に、この状況を作り出した何者かに、無駄だとわかっていても叫ばずにはいられない。そんな中、姫の頭の中に“異世界”という言葉が強く響き渡る。
「異世界……ファンタジー……はっ、そ、そうか! 異世界やファンタジーといえば、魔法だ!!」
最初に見たステータスに魔力という項目があったこともあり、この世界が地球にはなかった魔法という概念が存在しているのではないか、という結論に姫が至るのにそう時間は掛からなかった。
ただ一つ懸念があるとすれば、この世界に魔法というものが存在していたとして、それを姫自身が使うことができるのかということだ。
だが、このまま何もせずただ逃げ惑っているだけでは、何も解決はしない。“やるしかない”今の姫にある思いは、ただ助かりたい一心だけであった。
「よし、落ち着くんだあたし。何のために今日の日まで、何千回と頭の中でシミュレートしてきたんだ。まずは体に意識を集中して、魔力を感じ取る。確か、丹田っていうおへその下辺りだったっけ?」
足を動かしながら、器用に独り言ちる今の姫を第三者が目撃すれば、かなりの変人に映ったことだろう。だが、今の彼女にそんなことを気にしている余裕はなかった。
体に意識を向けると、確かにそこにはいつもと違う感覚があった。おそらくこれが魔力なのだろうと感じた姫は、その魔力を丹田に集中させる。
すると徐々にその感覚が大きくなっていき、何かかカチリと嵌り込むような感触を覚える。姫はこれを魔法が使える状態だと判断し、とある魔法を行使する。
「ひとまずは、火を出してみよう。えっと……《ファイア》! お、出た。よしよし、第一段階は成功だ。続いて第二段階に移行する」
走りながらの魔法訓練だったが、一発で指先からライターのように小さな炎が出現する。続いて、この状況をなんとかするため、次に姫が選択した魔法は――。
「よおおおし、貴様らの悪行もここまでだ。闇の炎に抱かれて消えろ! 《ファイアーボール》!!」
次の魔法を使う覚悟ができた姫は、逃げることを止め、迫りくるスライムどもと正面切って対峙する。そして、両手を突き出し、先ほどと同じように魔力を操り、魔法が使える状態になった頃合いを見計らって魔法を放った。
突き出された両手からバスケットボールほどの大きさの火の玉が出現し、それがスライムたちに向かって飛んでいく。突然追いかけていた獲物が反転し、攻撃を仕掛けてくるとは思ってもみなかったスライムたちは、反応が遅れ逃げることすらできず火に包まれた。
姫の命を賭けたギャンブルは見事成功し、スライムの群れを撃退することに成功したのであった。だが、シリアスというのは長くは続かないものであるというのが相場であるからして……。
「うわぁー、火、火、火! も、森が燃えてる! スライムからは助かったけど、これじゃあ森林破壊じゃないかー!!」
それから、燃え広がった火をなんとかしようと、足で踏んづけたり息を吹きかけたりという愚行を演じていた。そのまましばらく不毛な鎮火作業を続けていたが、魔法で消せばいいという結論に彼女が至り、水の魔法で火を消すまでに数分の時を要した。
「はあ、はあ、はあ、はあ……あー、もう! 異世界なんて大っ嫌いだあー!!」
なんとか火を消すことに成功し、すべて終わった瞬間に出た姫の心の叫びであった。その場に大の字に倒れ込み、一旦体を休めることに努める。
しばらく休憩したあと、息も整ってきたので再び歩き出そうとしたが、ここで一度自分の能力を改めて確認すべく鑑定を発動させる。
名前:重御寺姫
年齢:25歳
種族:人間
体力:143 / 150
魔力:700 / 800
スキル:【火魔法Lv1 NEW】、【水魔法Lv1 NEW】、【魔力操作Lv1 NEW】、【鑑定Lv1】、【異世界言語学LvMAX】
修得魔法:
【火魔法】:ファイア、ファイアーボール
【水魔法】:ウォータ
称号:異世界人、英雄の素質、九死に一生
まずは体力と魔力の最大値が上昇している。これは無難に、スライムを倒したことによる経験値によるものだろう。
次にスキルは新たに火魔法と水魔法の二種類が追加され、覚えている魔法の項目一覧が追加されている。魔力操作は魔力の感覚を掴んでいる時に覚えたものらしく、レベルが上がればさらに円滑に魔力の操作ができるようだ。
称号については、九死に一生が追加されており、命に係わることが起こった場合、体力と魔力の数値が1.5倍になるというものだった。
というわけで、この世界にやってきて最初の死線をくぐり抜けたことで、確実に強くなることができたようだ。
「さて、ここでこうしてても仕方ないし、早いとここの森を脱出……って、あれは?」
森から脱出すべく、再び歩き出そうとしたところ、姫の目線の先に森が途切れている場所を発見する。急ぎ確認に向かうと、そこには人が通ったような形跡のあるあぜ道が続いていた。
どうやら、スライムとの追いかけっこ中に森の出口にまでたどり着いていたようで、姫の意図しないところで森からの脱出に成功していたのであった。
「なんか釈然としないけど、まあ脱出できたし結果オーライってことで」
誰にともなく呟いた姫は、そのまま人がいる場所を目指してあぜ道を歩いていくことにした。
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