第4話 進まぬ仲

 美和からのアプローチで始まった交際だけど、あの代々木公園の一件以降、僕はすっかり美和に夢中になった。

 そしてその当然の帰結として、より深い仲になりたいと強く思うようになっていった。率直に言ってしまえば、身体の関係を持ちたい、美和とセックスがしたいということだ。


 恋愛と性欲の違いと言われても良く分からないが、彼女以外の女性とも肉体関係を持てばそれはただの性欲だけど、彼女だけとするのであれば、それは純粋に愛なのではないだろうか。

 僕たち野郎どもの中には、アフリカのサバンナで獲物を狩り、子孫を残し続けた十万年前の人類のⅮNAが脈々と受け継がれているのだ。草食動物だって雌をめぐって雄同士で争う。草食系男子なんてのは、文明社会の真っただ中で、動物としての本能を喪失してしまった輩だ。


 ただし、僕にとっては本能一辺倒の話でもなく、社会生活をする人間として、二人のことを大脳新皮質でも考えてもいた。

 僕はこの九月で二十九歳になった。美和は二歳年下の二十七歳。僕たちは、別れたらまた一から次の人という時間的、精神的余裕が徐々になくなりつつある年齢に差し掛かっていた。

 将来のことを考える上で、二人の相性を見極めるためにも、僕はなるべく早くステップを進めたいと思っていた。


 ところが、僕の思いとは裏腹に、二人の仲はなかなか前には進まなくなった。

 まず、互いの住まいと職場が遠いという制約がある。電車に乗ってしまえば一時間足らずではあるが、会いたくなったら「じゃあ会おうか」というわけにもいかない微妙な距離だ。

 平日の夜にディナーを一緒したり、映画に行ったりという普通の恋人同士の楽しみは、互いの仕事が多忙なこともあり、前もってスケジュールを調整しなければならない。僕たちは遠距離恋愛もどきの恋愛をしていた。


 彼女も僕も自宅住まいのため、どちらかの家にお泊りデートというわけにもいかない。

 土、日のどちらかに、日帰りで僕が彼女のところに出向くことが多かったが、適度に田舎な彼女の地元では、小学校の先生である彼女はそれなりに知名度がある。どこにPTAの眼があるかもしれず、彼女はいつも周囲を気にしていた。

 彼女が案内するスポットは、観光客がほとんどいない穴場的なところも多いが、完全アウェイのアウトドアで、キス以上のことに及ぶわけにはいかない。


 でも、二人の仲が進展しない一番大きな理由は、僕の心理的なものだった。

 身体目当ての男、がつがつした奴と思われたくない。

 今迄の女性とは違う、心から大切に思っている美和とのことだ。ラブホテルでなんてダメだ。事前合意の上で、ちゃんとしたホテルを予約しなければならない。

 

 幸いなことに、日本にはクリスマス、バレンタインデーという、恋人たちにとって実に都合の良いイベントがある。クリスマスディナーを都心のホテルで、と彼女を誘ってみたが、この時期、小学校の先生は終業式に向けて何かと忙しいらしい。イブ直前の週末が三連休だったのだが、山上家は、クリスマスは家族でパーティをするのが恒例になっているという。

 

 バレンタインデーは、年度末に向けて僕の仕事が多忙になり、折悪しく海外出張も入って、お泊りどころか会うことすらできなかった。二月十四日に、美和から一目で手間がかかっていると分かる手作りのチョコレートが届いた。妹は、いよいよ兄貴もかと大騒ぎしながら、結局僕の大事なチョコレートを半分くらい食べてしまった。

  

 夜祭りだの、初詣だの、渓谷の氷柱だのと、冬の間も何度かデートはした。でも、当たり前だけど冬は寒い。さらに彼女の地元は都心よりも体感温度がかなり寒い。身体の関係はもちろん、あの代々木公園以来、睦みあうような機会も十分作れずに、時が過ぎていった。


 縮こまっていた冬が過ぎ、誰もが浮かれ気分になる春が来ても、僕たちの状況はあまり変わらなかった。過去には酔った勢いでラブホテルになんて恋愛も経験したことはあったが、今回ばかりは全くそういう気持ちにならなかった。

 精神的な足かせが嵌まっていた僕は、彼女との初夜のTPOに拘り、自分が納得できる舞台設定を作れないまま、季節はかりが移り変わっていった。


 一方の彼女はというと、最初の頃のあの積極性が嘘のように、キスを交わすだけのデートに大いに満足しているようで、二人の時はいつも本当に楽しそうだった。

 そんな彼女を見ていると、僕まで楽しくなってくる。彼女のその笑顔を壊してしまうことが怖くて、僕はますます慎重になった。

 そして、彼女と会うたびに、僕の心に鬱屈した不満が澱のように蓄積していった。た。


 桜の季節は新学期で彼女が何かと忙しく、ゴールデンウイークもうまく予定が作れずに日帰りのデートを繰り返した。秩父で満開の芝桜を見た帰り道、僕は食事をしながら、夏休みの計画について彼女に提案をした。

 彼女と休みを合わせて、ハワイは無理でも、沖縄とか、十分に設備の整った、おしゃれなリゾートでリラックスした休日を過ごす、そんな旅行を期待していた。

「ごめんなさい。今年の夏休みは家族で旅行に行こうって、前から約束していたの」

 それでも、僕は、カレンダーとにらめっこをしながら、夏休みのピークを少し後ろに外した時期に一泊二日で温泉旅行に行くことを決めた。

 僕は、やっとのことで、念願が叶うところまでたどり着くことができたと思った。


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