第28話 冬の始まり
「カズくん」
イチは学校の帰り、乗り換えの駅のホームで名前を呼ばれた。誰だろうかと振り向くとニイの妹がいた。
「舞ちゃん」
グレーのスーツ姿できちんとお化粧をした舞子は一段と美しくイチは言葉が続かなかった。
「お待たせ」
舞子はなぜかイチにそう言うと一緒にいた人達にお辞儀してイチの隣に来た。
「荷物……」
イチは訳がわからなかったが、舞子が持っていた大きな紙袋を受け取ると、舞子がほっとした顔を見せた。
来た電車に一緒に乗ったが、いつもと違うよそ行きの舞子にイチはなかなか話しかけられない。
「助かった。飲みに行こうって、しつこくて!キレそうだった」
少しすると舞子はいつもの調子で言った。ニイの妹は顔はニイにそっくりだが、ニイと違って人見知りが激しい。
「行かなくて大丈夫だったの?」
「知らない人と飲んでも楽しくないもん」
「知らない人?」
「今日、セミナーに参加して。あの人たちも参加者で今日初めて会った人たち。同じ会社でもないし今後一生会わない人たち」
それは舞子にはハードルが高すぎるなとイチは思った。でも勿体無い。俺は振られたというのに舞子はその気になればすぐに恋愛できそうだ。美人は得だ。それなのに舞子は出会いを潰している。いや、既に恋人がいるから出会いは必要ないのか。イチは考えを巡らせた。
この数ヶ月、彼女に連絡しても返事が少なく素っ気なかったから、いつ振られるのかと思っていた。悲しさと無力感が残ったが、不安から解放されて、ほっとしたのも事実だ。それにメールで別れを言われたせいか現実味がなかった。
「舞ちゃん、荷物が重いから家まで送るよ」
「それより、今から飲みに行けへん?さっきのお礼にお姉さんがおごるから」
「うん。ご馳走になります」
まだ振られたことを家の皆に気付かれていない。内緒にするつもりはないが、自分から言うのもタイミングが難しい。舞子に晩メシをご馳走になるのはイチにとっても気分転換になった。
「舞ちゃんの大阪弁久々聞いた」
途中下車して入った居酒屋の個室でイチは向かいに座った舞子と乾杯をする。
「転校した時大阪弁を頑張ったんだ。ネイティブレベルではないけど普通に出るようになった頃に東京勤務になった」
イチは「可愛いからいいと思う」と思ったが舞子に向かって言えなかった。
「そう言えば、レイはマジメ君の大きい弟と付き合ってるんだって?」舞子はビールを飲みながら聞いてきた。
マジメ君とはヨンの兄のことだ。舞子とヨンの兄は同級生で子供の頃からヨンの兄をそう呼んでいる。
「ニイに聞いたの?」
「レイから聞いた。
「おじさん達には内緒にしてあげて」
「マジメ君の両親は念願が叶って喜ぶでしょ?何が問題?」
「さぁ。ヨンはああ見えて思考型だから何か考えてるんだと思うけど」
「レイは衝動型だよね」
舞子はふふっと笑った。
「ヨンの両親は何でレイを気に入っているんだろう?」
「おばさんは一番喋らないヨンがレイには色々話しているみたいだと分かったから。おじさんはレイが痴漢を蹴り飛ばしたのを見たから」
舞子は笑いながら答えた。
「高校の時だよね。レイは小学校から中二までテコンドーを習ってたもん」
「だからか。レイのキックにおじさんが惚れたんだって
「今では笑えるけど、当時は大変だったよ」
あの当時、駅近辺で女性の胸や尻を触って逃げるという痴漢が出ていた。高校教師のヨンの父は地域パトロール隊に入っていて、レイが学校からの帰り道で痴漢にあったのを目撃したのだ。正確にいうと、痴漢が尻を触った後にレイの右足が痴漢の脇腹にジャストミートするのを見たのだ。
パトロール隊が目撃してくれていたおかげで、悶絶する痴漢を警察に引き渡し、レイの行為は正当防衛ですんだのだが、当時ばあばも俺も相当心配した。
「最強のカップルだよね。怖すぎない?」
「さすが兄妹だね。ニイも同じこと言ってる」
イチは憮然とした顔もニイとそっくりな舞子を見て思わず笑った。
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